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哲学的コントとダンス。島地保武と環ROYが新作『あいのて』を語る

2023.9.29

東京芸術祭

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「言葉」と「身体」についての模索。言葉や感情は、身体の後から遅れてやってくる?

―『あいのて』で島地さんと環さんが口にされる言葉は、ある映像を見ておふたりが喋った言葉をテクスト化し、それを再構成していったとのことですが、何の映像だったんですか?

長島:『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』(1982年、ゴッドフリー・レッジョ監督)という、フランシス・フォード・コッポラが名前を貸してクレジットされていて、フィリップ・グラスが音楽をつくっているドキュメンタリー映画です。アメリカの都市や自然の風景が、スローモーションや早回しなどを取り入れた映像でとにかく撮られていくんです。それをおふたりが別々に見ながら副音声的に、好きなように喋ったものを、文字に起こしていったテクストが『あいのて』のもとになっています。

環:パフォーマンスの構造上、僕が喋った言葉を島地さんが言うパートもありますが、結果、テキストとしては、僕が喋った言葉だけが残っている状況ですね。

島地:僕のほうは自分の言葉のほとんどを、実際の動きに変換していこう、というようにシフトしていきましたね。

長島:環さんは文字起こししたテクストを自分で喋るためにリライトして整えていって、一方の島地さんは、僕が圧縮したものをご自身が踊る振付のために使い始めたんです。

―それはぜひうかがいたいポイントなんです。おふたりにとってそれぞれ、言葉 / 身体ってどういうものなんでしょうか。島地さんは環さんと共作される前から、パフォーマンス中に言葉を度々用いてきたダンサーでいらっしゃるわけですが、言葉ってどんな存在なんでしょう。

島地:うーん……それこそ『あいのて』の台詞のなかにあるんですが、言葉というか、物語的な感情って、身体の後から遅れてやってくるものだとずっと思っているんです。と同時に僕は、オノマトペのようなものにも関心があったりして。なんと言うんでしょう、言葉って手と一緒で、舌が動くという意味で、末端の動きという感覚が僕のなかではあるんですよね。自分の身体が動いた後に、それを整理するために言語化することもあって。

―理解したとはすぐに言えないお話ですが、面白いですね。そうして遅れてやってくる言葉という存在と、島地さんはつき合い続けていますよね。

島地:なんでしょう、言葉に対してコンプレックスがあるのかもしれないですね。うまく扱えないんですよ。ちゃんと主語があって、述語があって、修飾してというふうに、すぐに口にできないので。

環:でも、文章に書くことならできるでしょう?

島地:それも時間がかかるからね……そう、時間がかかるものが言葉だと思っているんですよ。踊りはすぐその場でできますから。それこそ、この言葉が伝わっているかわからないですけれど(笑)。

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