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単なる「昔風の再現」にとどまらない、ヴィンテージに対する信念
ところで、映画に限らない話だが、こうした「〇〇年代風」を明確に意図した作品というのは、その再現の巧みさが称賛されやすい一方で、結局のところそれ以上でも以下でもない、単に「モノマネ」としての精巧さのみが前景化して語られがちなのも、また事実である。実際、ひとしきり精巧なジオラマ表現に感嘆しつつも、ふと我に帰って「だからどうしたというんだ」という感想をつい抱いてしまう作品も少なくはない。しかし、名匠アレクサンダー・ペインの芸術的なヴィジョンは、そのような卑小な領域には収まってはいない。彼はこの映画で、そのようなヴィンテージな表象にフォーカスする営みそれ自体を、表層的な些事への執着と、それが必然的に発生させる閉じられたコミュニケーションのありようを超えて、信念というべき次元へと至らしめているのだ。

その信念の強さは、主人公ハナム先生の言動から見てとることができる。上で述べた通り、彼は古代史を専門とする歴史教師だ。生徒に対してはもちろん、同僚に対しても、彼はしきりに古代ギリシャや古代ローマ時代の哲人・知の巨人たちの言葉を引用しながらコミュニケーションを行う。それは一見すると、いかにも現実社会から隔絶された孤独な堅物教師の戯言に感じられるかもしれない。しかし、言うまでもなく歴史、あるいは過去の物語というものは、単に過ぎさった出来事を暗記するためのものなのではなく、現代の人々の生とそこに生じる悩みと太く通じ合い、ときにそれらを明るく照らし出すことのできる存在なのだ。
休暇中のある日、ハナム先生は「社会科見学」と称してアンガスと共にボストンの街を散策する。考古学博物館のある展示品を見てはしゃぐアンガスに、先生が言う。
「今の時代や自分を理解したいなら、過去から始めるべきだよ。歴史は過去を学ぶだけでなく、いまを説明すること」
ともすれば、よくある説教、お馴染みの文句に聴こえるだろう。しかし、自らに自信が持てず、親との関係に悩み、今まさに人生の難所を通過しつつあるアンガスにとって、その言葉の持つ力はあまりに鮮烈だ。真剣な表情で聞いていたアンガスは言う。
「とてもわかりやすい。授業でも怒鳴らずにそう教えてよ」
ハナム先生が放つこの箴言こそは、本作の「ヴィンテージ」な構造を理解するための最も重要な鍵ではないだろうか。アレクサンダー・ペイン自身が、映画の道を志す以前にスタンフォード大学で歴史と文学を学んだ経歴を持つことに鑑みれば、決して過分な類推とはいえないはずだ。
