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実在の事件を安易な物語にしない誠実さと批評性
恐らく多くの読者の方々は、「何を当たり前のことを言っているのだ」と思ったことだろう。「実際に起こったことは、実際に起こったこと」であるほかないではないか、と。しかし、懐疑論を元に根源的な問いをある方向へと突きつめていくに従って「実在」や「真実」が途端に儚いものになってしまうというのは、哲学の歴史を紐解いてみるとむしろ馴染み深い営みであるし、外でもない私達が近年日常的に目にしている現象だとはいえないだろうか。
ある時期から喧伝されるようになった「ポストトゥルース」の問題とはまさに、そうした「真実の蒸発」が、一般社会の「常識」にまで敷衍された末の災禍なのだといえる。加えていえば、現代哲学の前線では、そのようにして一度は徹底的な懐疑にさらされてしまった「実在」の概念をいかにして導き出していくのかを主題とする、様々な思索が積み重ねられているのだ。
そう考えるならば、私はこの『メイ・ディセンバー ゆれる真実』で試みられた、「実在」や「真実」への一見迂遠だがごく丁寧なアプローチにこそ、実在の事件を題材にこの映画の脚本を書いたバーチと原案のアレックス・メヒャニク、そして監督のトッド・ヘインズの誠実を、そして、現代社会への確かな批評眼を見出さないではいられない。
彼らは、文字通り実在の事件であるからこそ、その「真実」に関する断定的な認識を避けながら、なおかつその「真実」を(エリザベスが劇中で演じるいかにもメロドラマ的な映画のつくり手たちのように)安易にスペクタクル化することを避けたのだろう。あるいは、だからこそ、事件そのものの顛末を作中に組み込むことで実在の人物の人生を物語化してしまうことを避けたのだとも考えうる。そしてまた、多様な認識の並立をほのめかしながらも、不可知論やニヒリズム、「ポストトゥルース」の轍を丁寧に避けようとしているという意味で、そこに鋭く社会的な視点をも見出すことが可能だろう。
彼らは本作を通じて、現代の映画という存在において、「見透かされる」(=「feel seen」)のは誰なのか、そしてそれはどんな問題を提起するのかというクリティカルな問いを、実に迂遠かつ思わせぶりな手法を駆使しながら、それでいて惚れ惚れするような鮮やかな手際をもって提示した。『メイ・ディセンバー ゆれる真実』は、一見するとキャンプかつアイロニカルに見えて、いかにも実直で、なおかつ高度な倫理を内在化した作品だ。
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』

2024年7月12日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
監督:トッド・ヘインズ
出演:ナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーア、チャールズ・メルトン
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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