10代の頃に自主制作して鳴かず飛ばずだったレコードが、30年後に「再発見」されて「バズ」ったら——
『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』は、そんな実話を題材にした劇映画だ。
自身も音楽ディレクターとして様々な作品の発掘リイシューを手がけてきた評論家・柴崎祐二は、本作をどう見たのか。連載「その選曲が、映画をつくる」第22回。
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感銘を受けた、ドニー&ジョー・エマーソンのリイシュー
私がアルバム『Dreamin’ Wild』の存在を知ったのは2012年のことだった。同業者の端くれとして日頃から尊敬の念を抱いていたシアトルのレーベル「Light in the Attic」が大々的に送り出す注目リイシュー作品として、CDショップの店頭でその印象的なジャケットを目にしたのだと思う。

多数の良質カタログを誇る同レーベルへの信頼感から、新アイテムのリリースのたび詳細を知らずともまずは手に入れるということを繰り返していた私は、その日も同じように商品を手に取り、まっすぐにレジへと持っていったのだった。
帰宅後、早速CDを再生してみると、なるほど素晴らしいその内容に大いに感銘を受けた。冒頭を飾るパワーポップ調の“Good Time”からして、ティーンエイジャーらしい純真さと、何よりも音楽を奏でる喜びに満ち溢れている。そして、3曲目の“Baby”が流れてくる時には早くも確信していた。これは……稀に見る傑作に違いない、と。
それからというもの、音楽好きの友人や気の合うミュージシャンたちと話している際にも、このアルバムがしばしば話題に上ったのを記憶している。アメリカ東部の田舎町に住む年端もいかないティーンエイジャーがこうした傑作を作り上げ、家族の支援を受けて果敢にも自主レーベル体制で世に出したということが何より感動的だったし、後年になってそれがコレクターによって「再発見」されたことで、米西海岸の音楽シーンを中心に熱心な支持を広げ、名門からのリイシューへと結びついたという物語もまた、否応なく胸を熱くさせた。
思えば、私自身がその後同様の「幻の傑作」の再発作業に携わるようになったのも、本作にまつわる一連の物語に深く心を動かされたことが、大きなきっかけの一つだったと思う。
*柴崎は音楽ディレクターとして、リイシューシリーズ「PSYCHEDELIC FLOATERS」の監修や、大きな話題となった浅井直樹『アバ・ハイジ』(1988年)のリイシューなどを手がけている。
本作『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』は、1979年にドニ―とジョーのエマーソン兄弟によって作られた件のアルバムと、彼ら兄弟と家族の物語を元にした劇映画である。The Beach Boysのブライアン・ウィルソンをモデルにした映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』の監督、および『ブロークバック・マウンテン』や『それでも夜は明ける』等の製作者として知られるベテラン映画人ビル・ポーラッドが脚本と監督を務め、1970年代当時と現代にまたがる家族の様々な想いや葛藤が、ごく丁寧な演出によって描かれていく。
私のようにかねてからアルバム『Dreamin’ Wild』を愛してやまない一部のファンはもちろん、今回その存在を初めて知るという観客にとってもきっと忘れられない一本になるであろう、出色の音楽 / 家族映画だ。

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家族の過去と現在、複雑な感情を描く物語
あらすじを紹介しよう。時は1970年代後半。若きドニー(ノア・ジュプ)とジョー(ジャック・ディラン・グレイザー)のエマーソン兄弟は、自家が保有するワシントン州フルーツランドの広大な土地に一家で暮らしながら、音楽を演奏し、作ることに熱中していた。特に、弟のドニーの才能には周囲も驚くほどで、彼の才能に早くから可能性を感じていた父ドン・エマーソン・シニア(ボー・ブリッジス)は、私財を投じて自前の練習スペース兼レコーディングスタジオを建ててしまうほどだった。
みるみるうちにレパートリーを増やしていった彼らは、ドニーが17歳、ジョーが19歳を迎えた1979年、ついに自分たちだけでアルバム『Dreamin’ Wild』を作り上げ、溢れんばかりの希望とともに、家族で設立した自主レーベルからリリースした。しかし、音楽業界にコネクションがあるわけでもない一家は、実際のところそれをどうプロモーションするかも分からず、結局は数少ない知人たちの手に渡ったのみだった。当然ながら商業的にも何らの反応も呼び起こさず、時の経過の中に埋もれていったのだった。それでも息子の才能を信じてやまない父は、新たな作品の制作のため自身の土地を抵当に入れて借金を重ね、ついにはほとんどの資産を手放すに至ってしまう。

それから約30年。大人になったドニー(ケイシー・アフレック)は、アメリカ東部ワシントン州のとある街の小さなスタジオを妻ナンシー(ズーイー・デシャネル)と切り盛りしながら、ローカルミュージシャンとして活動を続けている。しかし、その生活はかつて若き日に思い描いていたような華々しいものではなく、スタジオの経営難もあって、徒労感を重ねながら毎日を過ごしている。
そんなある日、実家に残り家業を手伝っている兄ジョー(ウォルトン・ゴギンズ)から、思いがけない電話がかかってくる。なんと、30年以上前に兄弟で録音した自主制作盤『Dreamin’ Wild』にレコード会社の人間が興味を示し、フルーツランドまで直接訪ねてくるというのだ。
ほどなくして彼らに会いにやってきたレーベルのディレクター、マット(クリス・メッシーナ)は、一家にとってにわかに信じがたい話をする。あるコレクターが雑貨屋の隅に眠っていた『Dreamin’ Wild』を偶然「発掘」した経緯、それが一部の音楽ファンの間で熱い支持を広げていること、そして、同作が掛け値なしに素晴らしい内容で、是非とも自社からリイシュー盤を発売したいと考えていること。

ジョーや他の家族はこの話を聴いて大いに盛り上がるが、かつて自身が17歳だった頃、アルバムの全ての曲を書き、録音やミックスを含むほとんどの創作作業を行ったドニー本人は、そのオファーに驚きつつも困惑を隠しきれない。その困惑は、いざアルバムがリイシューされて各メディアで大きな話題となり自身への注目度が急上昇していく中で、いつしか苦悩へと変わっていく。次第にドニーは、父や兄への複雑な思いや、自身が抱え続ける感情と向き合うことへと導かれていく……。
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本人による演奏、既存曲の使用——その音楽の魅力
現在と過去を行き来しながら複層的に物語られてくその内容は、ポーラッド監督の実直な演出と相まって、全編を通じて、家族をテーマとした映画の王道にして正道ともいうべき雰囲気をまとっている。心情描写や各所のディティールの磨き上げも見事で、名優ケイシー・アフレックの繊細な演技をはじめ、著名な役者陣の才能にも改めて心を動かされる。広大な自然を背景にしたロケーションも実に壮麗で、アメリカ北西部の美しい風土が見事に映し出されている。

勿論のこと、何よりも印象的なのが音楽の存在だ。かつてワシントン州スポーケンに住んだ経験のある監督自身が選曲したといういくつかの既存曲――レオン・ラッセル、The Band、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、The Marshall Tucker Bandらの曲が絶妙のアクセントとなっているのに加え、ほぼ全編を通じて、アルバム『Dreamin’ Wild』からのオリジナル音源の他、現在のドニー・エマーソン本人が録り直した音声がフィーチャーされており、第三者のパフォーマンスを軸とせざるをえない通常の音楽伝記映画とは次元の異なる統一的な効果を生んでいる。
中でも、先に触れた“Baby”の存在感にはやはり群を抜いたものがある。同曲は実際に本編中でも繰り返し流され、物語の核というべき重要な役割を与えられている。
ループ構造にのっとった抑制的な展開、鍵盤とドラムを中心としたシンプルなアンサンブル。「俳句的」とすら言いうる削ぎ落とされた歌詞、孤独感と切なさ、そして温かな情感に溢れた歌声と、甘く気怠いコーラス。いかにもプライベートスタジオ録音らしい親密かつローファイな音像。そして、兄ジョーによる、ヒューマニックとしか言いようのない揺らぎを孕んだビート。それら全てが、今にも崩れ落ちてしまいそうなバランスによってお互いを支え合い、聴くものの心の内側へと柔らかに染み込んでいく。そのサウンドは、(ドニーのお気に入りアーティストだったという)スモーキー・ロビンソンやダリル・ホール&ジョン・オーツの作風を彷彿させるし、紛れもなく1970年代当時の質感を湛えていながらも、不思議なことに、2010年代以降にLAのレーベルStones Throw やニューヨークのBig Crown周辺のシーンから生まれた「新作」のようにも聴こえる。
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奇跡的なアルバムはいかにして生まれたか
アルバム『Dreamin’ Wild』は、何よりも兄弟の才能と努力によって実現した作品であることは間違いないが、本作『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』の中には、このような奇跡的な作品が生まれる下地となったであろう様々な環境や種々の要素が、随所に描かれている。
もっとも驚くべきは、当時の彼らの家にステレオ装置の類は一切なく、つまりはレコードも1枚たりとも買ったことがなく、音楽を聴くと言えば農作業用のトラクターに付属しているラジオを通じてのみだった、という描写だ(勿論、フィクションではなく事実だ)。

さらに、フルーツランドという町の環境にも注目したい。1970年代当時、右を見ても左を見てもひたすらに広大な自然が広がる同地は、控えめに言って「文化の孤島」と表現すべき場所だったそうだ(本作の原案となったスティーブン・クルツのエッセイ記事「Fruitland, Washington」によると、取材時の2010年代においてすら似た環境のままだったという)。当然ながら、町の人々は都市部のエンタテインメント産業とは何らのつながりもないし、時のメディア産業が躍起になって作り出す浅薄な流行ともほぼ無縁だった。楽しみと言えば、自分たちだけで音楽を奏で、作ること。そして、たまに催されるダンスパーティーと、地元若者同士で交わされる淡い恋愛関係だけ。それが、1970年代のフルーツランドで1600エーカーの土地に抱かれながら青春時代を過ごしたエマーソン兄弟の全てだった。
アルバム『Dreamin’ Wild』に漂う、いわく言いがたい純真の感覚と、少しでも他の要素が混じってしまえばとたんに雲散霧消してしまいそうな無垢の香りは、そうした環境だからこそ成し遂げ得た何ものかなのだと思う。そこには、ある善良なアメリカ人家族が互いに注ぎあったたっぷりの愛と、(劇中でも言及される)The Beach Boysの『Pet Sounds』に関する名句を引いたPitchforkのレビューに倣って言うなら、「神に捧げるティーンエイジシンフォニー」の響きが、永遠の鮮度を保ちながらこだまし続けているのだ。

「フック」「キャッチー」。「バズ」「インプレッション」。こうしたワードが日常的かつ大量に流通する世界に身を置きながら、ポップカルチャーの濁流を泳ぐのを余儀なくされている私たち現代の観客は、無名の兄弟ミュージシャンがかつてエデンの地で作った曲たちと、それを支えた家族の姿を描いた本作によって、「音楽を作る / 聴く」という行為が本来与えてくれるはずのパーソナルな喜びに再び出会うことになるだろう。そう、他ならぬドニー自身が、様々な逡巡を経て自分たちの音楽が持つ「マジック」の秘密へたどり着いたのと同じように。

追記:
『Dreamin’ Wild』再発の後、1979年から1981年にかけて録音されていた未発表音源集『Still Dreamin’ Wild: The Lost Recordings 1979-81』(2014年)がLight in the Atticからリリースされている。また、劇中でも描かれている通り、ドニーは1980年代初頭に初めてのソロアルバム(『Can I See You』)をLAのセッションミュージシャンたちと制作するが、お蔵入りしてしまう(後の1983年にリリース)。その後もミュージシャン活動を続け、1990年代にはカントリー調のソロアルバムを発表し、ヨーロッパの一部でヒットを記録、ツアーも行った。父ドンも息子への支援を絶やさず、フルーツランドに300人収容のコンサート会場を私設するなど、手厚いサポートを続けた。ドニーとジョーは、『Dreamin’ Wild』リイシュー後の再評価の盛り上がりの中で新曲を録音していたが、2024年、Light in the Atticからその音源が7インチシングル「Searching / Finally Found Someone」としてリリースされた。ドニーは、妻のナンシーとともに今もマイペースでライブ活動を繰り広げている。
『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』

2025年1月31日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
監督・脚本:ビル・ポーラッド
出演:ケイシー・アフレック、ノア・ジュプ、ズーイー・デシャネルほか
配給:SUNDAE
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