INDEX
吉村弘の楽曲と環境音とが、豊かに交叉する
さらには、「仮の音楽」であったはずの吉村弘の楽曲も、幸運にも完成版本編へそのまま残ることになった。そして、ヴリーランドの仕事に敬意を表しつつも、より強く惹かれてしまうのは吉村の音楽の方であるのも、筆者の包み隠さぬ本心である。
通常、劇場映画における既存音楽の使用申請というのは、しばしばそれ専任のスタッフがいることからも分かる通り、粘り強い交渉力と(オリジナル曲の作家が故人であるなどには特に)調査力が必要になる作業だ。しかし、偶然の為せる業というべきか、今回の吉村の楽曲のライセンスに関しては、映画制作よりも少し前に吉村のアルバムの再発を手掛けていた米シアトルのレーベル「Light in the Attic」が権利元との仲介役となることで、思いの外スムーズに実現したのだという。
本作で使用された吉村の楽曲は計4曲。没後に発売された未発表作『Flora 1987』(1987年録音、2006年発売)から“Asagao”と“Flora”、アルバム『Pier & Loft』(1983年発売)から“Horizon I’ve Ever Seen Before”と“In The Sea Breeze”が、各所で鮮やかな効果を上げている。

そもそもアンビエントというのは、それ単体を固定された「作品」として括りだして静的に鑑賞するためのものではない。むしろ、その音を取り囲み、音と混じり合う環境との関係性の中においてはじめて存在する、動的に開かれた音楽である。
先に述べたように、この映画のサウンドデザインに現れている「音」への鋭敏な感覚は、まさしくそうしたアンビエントの思想と奥深くから響き合うものだといえる。吉村の曲に限らず、劇中で音楽が流れるとき、耳をすませば、そよぐ風音、足音、虫の羽音、往来の音、どこからか聞こえてくる話声など、様々な音がつくるサウンドスケープが楽音と分かちがたく重なり合い、溶け合っていることに気づくはずだ。アンビエントが持つ、耳と身体、そして環境との交歓的関係。音と、それを捉える感覚、そして環境世界。本作では、それらの豊かな交叉のありようが随所に観察できる。