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その選曲が、映画をつくる

『マルセル 靴をはいた小さな貝』は「アンビエントの映画」だった

2023.6.29

#MOVIE

ストップモーションと実写を組み合わせたユニークなモキュメンタリー映画『マルセル 靴をはいた小さな貝』が、2023年6月30日に公開となる。本作には実は、日本のアンビエントの草分け的存在である作曲家、故・吉村弘の音楽が使用されている。

この一風変わった作品に、アンビエントがどう「響いて」いるのか。音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二が読み解く。連載「その選曲が、映画をつくる」、第3回。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

「おしゃべりな、靴をはいた小さな貝」の物語

映像、物語、音楽。それら全てをまるごと抱きしめたくなってしまうような、愛らしい映画だ。

マルセルは、おしゃべりで好奇心旺盛な貝の子供。ある日、祖母とふたりで暮らす一軒家に映像作家のディーンが引っ越してくると、彼は、マルセルの日常を撮影してドキュメンタリー映画を作り始める。ある日、ディーンが動画の一部をYouTubeにアップしたところ、大きな話題となり、マルセルは一躍全米の人気者になる。マルセルは、離れ離れになってしまった家族を探すためYouTubeを通じて捜索を呼びかけるが、同時に、平穏だったそれまでの生活にも急激な変化が訪れる……。

ディーン役を務めるのは、監督のディーン・フライシャー・キャンプ自身である。彼が注目を集めるきっかけになったのは、2010年から2014年にかけてYouTube上で順次公開した本作の元となる短編作品だった。以来Filmmaker誌の「インディペンデント映画の新しい顔 25 人」にも登場するなど、大きな活躍が期待される気鋭の映像作家だ。

本作『マルセル 靴をはいた小さな貝』は、実写とストップモーションアニメーションの融合の巧みさと現代社会をさりげなく風刺するストーリーで、『第95回アカデミー賞長編アニメ映画賞』ノミネート、『第80回ゴールデングローブ賞アニメ映画賞』ノミネート、『第 50回アニー賞』3部門受賞等、輝かしい評価を獲得している。

劇中で取材に応える、ディーン(右)とマルセル(左、テーブルの上)。
© 2021 Marcel the Movie LLC. All Rights Reserved.

映画を観てまず惹き込まれるのが、マルセルの可愛らしい造形と仕草、そして、そのおしゃべりのおしゃまっぷりだ。祖母をいたわり平穏な生活を好むマルセルは、決して外交的で快活なタイプではなかったが、ディーンを始めとする人間との出会いや外の世界の見聞を通じて、大きな「一歩」を踏み出す勇気を身に付けていく。そういう意味でこの作品は、正統的なビルドゥングスロマンでもあり、私達一人ひとりの歩みに重ね合わすことのできる普遍的なテーマをもった映画だともいえる。

マルセルの祖母コニー(左)。声はあのイザベラ・ロッセリーニが演じている。
© 2021 Marcel the Movie LLC. All Rights Reserved.

2.5センチの主人公を取り巻く「音」の巧みな表現

加えて本作を特別なものにしているのが、様々な「音」への鋭敏な感覚が実に巧みに表現されているという点だろう。体長たった2.5センチメートルのマルセル主観の聴覚体験を強調しようとすると、例えば、人間の発する音を鋭い大音量にするといったギミックを使うこともできたはずだ。しかし本作では、様々なサウンドはあくまでも自然な処理を施され、巧みにデザインされている。そよぐ風音、足音、虫の羽音、往来の音、どこからか聞こえてくる話し声。それら全てが、あくまで普段私達を取り囲んでいるサウンドスケープの印象と違わぬよう、繊細な音響操作とともに配置されているのだ。

こうした音響設計を伴った映像作品の場合、そこで使われる音楽の選曲と配置には、通常にもまして細やかな神経が要求されるだろう。ドキュメンタリー作品の場合、このような困難を避けるために、そもそも一切の音楽を排してしまうのも珍しくないし、逆に、開き直って劇的効果を狙ったいかにも演出的な音楽付けがなされる場合もある(もちろん、そうした作品にも優れたものは沢山あるわけだが)。しかし本作は、この難しい課題も巧みにクリアしている。

© 2021 Marcel the Movie LLC. All Rights Reserved.

オリジナルサウンドトラックのモデルとなった、日本の作曲家

通常、映画制作の工程においてオリジナルのスコアを音楽家へ発注する場合、コンテの段階か、あるいはあらかじめ仮編集を施した映像に対して監督自身や音楽監修者の選んだ「仮の音楽」が付けられ、それらのイメージを元に作業を進めていくことがよくある。本作の制作においても同じだったようで、これまでに『ミッドサマー』や『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』等にも携わってきた音楽スーパーバイザーのジョー・ラッジが、「仮の音楽」として、日本のアンビエント作家、故・吉村弘の楽曲をピックアップした。

https://open.spotify.com/intl-ja/artist/1DGpHnPOpMYY780hcQHmPB

吉村弘は、近年世界的な再評価を浴びる日本のアンビエントの草分け的な存在だ。1980年代から多くの作品を手掛け、レコードに限らず、サウンドオブジェやパフォーマンス、様々な施設のための音楽を発表してきた。生前において吉村は、ポップミュージックのリスナー一般に必ずしも名の知れた存在とは言えなかった。しかし、2010年代以降の日本産アンビエント再評価の機運の中で過去の作品が大きな人気を博すと、とたんに世界中のクリエイターから厚い支持を受けるようになったのだ。

ラッジもそうした一連の再評価熱を通じて吉村の作品を知った一人だった。彼は、映画情報サイト「IndieWire」の取材に答えて、次のように述べている。

「どんな映画でも、その『声』を見つけるのが一番難しいのですが、吉村弘の音楽が、本作のスコアとして欲しいものの基盤になるとわかっていました」

出典:https://www.indiewire.com/features/general/marcel-the-shell-with-shoes-on-sound-music-shakira-score-1234739824/ より

吉村弘を参照したオリジナルスコアを制作せよ。この命を帯びて作曲に取り掛かったのが、これまでに『イット・フォローズ』や『アンダー・ザ・シルバーレイク』などで優れた仕事をしてきた音楽家、Disasterpeaceことリッチ・ヴリーランドだった。その時点で彼は吉村の音楽についてはなんとなく知っている程度だったといい、各トラックの制作作業はなかなか骨の折れるものだったらしい(実際に映画で使用されているものの3倍に上るトラックを制作したという)。作品を観てもらえればわかるように、果たして彼のオリジナルスコアは素晴らしい効果を挙げており、なおかつ、たしかに吉村の音楽に通じるテイストを湛えたものになっている。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/1lCLFZ2nO53a7U0aLuTfjO

吉村弘の楽曲と環境音とが、豊かに交叉する

さらには、「仮の音楽」であったはずの吉村弘の楽曲も、幸運にも完成版本編へそのまま残ることになった。そして、ヴリーランドの仕事に敬意を表しつつも、より強く惹かれてしまうのは吉村の音楽の方であるのも、筆者の包み隠さぬ本心である。

通常、劇場映画における既存音楽の使用申請というのは、しばしばそれ専任のスタッフがいることからも分かる通り、粘り強い交渉力と(オリジナル曲の作家が故人であるなどには特に)調査力が必要になる作業だ。しかし、偶然の為せる業というべきか、今回の吉村の楽曲のライセンスに関しては、映画制作よりも少し前に吉村のアルバムの再発を手掛けていた米シアトルのレーベル「Light in the Attic」が権利元との仲介役となることで、思いの外スムーズに実現したのだという。

本作で使用された吉村の楽曲は計4曲。没後に発売された未発表作『Flora 1987』(1987年録音、2006年発売)から“Asagao”と“Flora”、アルバム『Pier & Loft』(1983年発売)から“Horizon I’ve Ever Seen Before”と“In The Sea Breeze”が、各所で鮮やかな効果を上げている。

© 2021 Marcel the Movie LLC. All Rights Reserved.

そもそもアンビエントというのは、それ単体を固定された「作品」として括りだして静的に鑑賞するためのものではない。むしろ、その音を取り囲み、音と混じり合う環境との関係性の中においてはじめて存在する、動的に開かれた音楽である。

先に述べたように、この映画のサウンドデザインに現れている「音」への鋭敏な感覚は、まさしくそうしたアンビエントの思想と奥深くから響き合うものだといえる。吉村の曲に限らず、劇中で音楽が流れるとき、耳をすませば、そよぐ風音、足音、虫の羽音、往来の音、どこからか聞こえてくる話声など、様々な音がつくるサウンドスケープが楽音と分かちがたく重なり合い、溶け合っていることに気づくはずだ。アンビエントが持つ、耳と身体、そして環境との交歓的関係。音と、それを捉える感覚、そして環境世界。本作では、それらの豊かな交叉のありようが随所に観察できる。

マルセルの「気付き」は、アンビエントの感覚そのもの

かつては小さな世界の中に暮らしていたマルセルは、映画の後半にかけて外の世界と触れ合うにつれ、それまでに見聞きしたことのなかった風景や音を自らの知覚を通じてじっくりと味わっていく。小さなマルセルにとって、そうした「気付き」こそが、世界との出会いに繋がっていくのだ。映画の終盤で、マルセルは次のように語る。

「ある日 窓の前に座っていたら ちょうど頭の上を風が吹き抜けたんだ そして風が美しい音を奏でた」

「貝がらの中で響いてる 僕を導いてくれる気がした 新しくて特別な場所へとね 全てとつながってると思えた だって 僕がいなきゃこの音は存在しない 全てバラバラだと思っていたけど――そこに立つと一つの大きな楽器になった」

「自分は一つのピースとしてポツンと存在するのではなく 世界の一部だとね そして 全てとつながる音を楽しむんだ」

アンビエントを愛するものであれば、このセリフにハッとしないはずはないだろう。自らの存在が世界へと開かれていく感覚を綴ったこのマルセルの言葉は、私達がアンビエントに身を浸している際に味わうあの感覚、つまり、身体と知覚が徐々に環境世界へと開かれ、それと循環するように環境が私達の身体を満たしていくありようをそのまま言語化してくれているようではないか。

© 2021 Marcel the Movie LLC. All Rights Reserved.

アンビエントは、その「馴染みの良さ」や「曖昧さ」ゆえに、これまでも膨大な数の映画に使用され、ときに消費されてきた。しかし本作のように、その音楽が持つ根源的な性質と溶け合う形で使用される例というのは決して多くない。

「小さな貝を主人公にしたモキュメンタリー」という、一見突飛な設定の本作だが、逆にいえばその特殊性がゆえに、通常の劇映画におけるアンビエントの使用から一歩も二歩も踏み込んだ領域に達し得ているのだと考えられる。アンビエントがしばしば自分自身の内面世界や外部世界との「出会い」やそれにともなう「驚き」を導くものであるとすれば、『マルセル 靴をはいた小さな貝』は、その触媒として実に優れた映画といえるだろう。

『マルセル 靴をはいた小さな貝』

2023年6月30日(金)、新宿武蔵野館、渋谷ホワイト シネクイントほか全国公開
監督:ディーン・フライシャー・キャンプ
脚本:ディーン・フライシャー・キャンプ、ジェニー・スレイト、ニック・パーレイ、エリザベス・ホルム
出演:ジェニー・スレイト(声)、イザベラ・ロッセリーニ(声)、ディーン・フライシャー・キャンプ
提供:アスミック・エース、TCエンタテインメント
配給:アスミック・エース
https://marcel-movie.asmik-ace.co.jp/

『吉村 弘 風景の音 音の風景』

2023年4月29日(土・祝)~2023年9月3日(日)
会場:神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜(7月17日を除く)
料金:一般700円 20歳未満・学生550円 65歳以上350円 高校生100円 中学生以下と障害者手帳等をお持ちの方(および介助者原則1名)は無料
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-yoshimura-hiroshi

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