漫画家オカヤイヅミさんが、ゲストを自宅に招いて飲み語らう連載「うちで飲みませんか?」。第8回は『メタモルフォーゼの縁側』でおなじみの漫画家・鶴谷香央理さんにお越しいただきました。
オカヤさんと鶴谷さんは、以前ルームシェアしていたことがあり、今も数日に一度はLINEをつないで通話しながら仕事をしているという、大の仲良し。気心知れた間柄ならではの、忌憚ないトークとなったサシ飲みの模様をお届けします。
当日振る舞われた「クレソンと鶏団子の鍋」のレシピもお見逃しなく!(レシピは記事の最後にあります)
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「棚って便利だね」という話ができる相手は貴重
オカヤ:あけましておめでとう。年末年始って、人と会わなきゃいけない状況が多くて疲れるよね。
鶴谷:オカヤさん、お正月が嫌いって毎年言ってるよね。
オカヤ:「人に会うガソリンがもうない、スッカスカだ」みたいな気持ちになるよ。そういうことって、ない?
鶴谷:え、そんなのすぐなるよ(笑)。私は容量が少ないから。最近、実家に帰るのですらゲージが減る。
オカヤ:実家は減るよー。一番減るかもしれない。

漫画家。1982年、富山県生まれ。BLを介した老婦人と少女の交流を描いた『メタモルフォーゼの縁側』(1〜5巻、KADOKAWA)が、各賞を受賞し映画化されるなど大きな話題となる。他の著書に『don’t like this』(リイド社)、『レミドラシソ 鶴谷香央理短編集 2007-2015』(KADOKAWA)。現在「web TRIPPER」にて『傲慢と善良』(原作:辻村深月)連載中。
鶴谷:そっか。でも、オカヤさんとはしょっちゅう会って話してるけど、ぜんぜんゲージが減らないよ。
オカヤ:そうだね。つるちゃんと話していて楽なのは、変につっこんだ話をしないからかも。「棚を買ってみたら、いろいろ置ける! 棚って便利だな!」みたいなことしか言ってないもんね。
鶴谷:棚は便利だよ(笑)。それに、棚が便利なことは、人と共有したくなる。最近目が乾くようになったこととか、よかった調理器具のこととか。
オカヤ:そういう話ができる相手って、案外貴重なんだよね。一人暮らしだと余計に。ここ何年か、Podcastの雑談コンテンツや日記本が流行ってるのも、みんな案外どうでもいい話が好きだったんだなと思う。
鶴谷:オカヤさん、雑談のPodcastをよく聴いてるよね。私もYouTubeの「Kevin’s English Room」とか「オモコロチャンネル」とかめっちゃ見てる。あと、金田淳子さんとカレー沢薫さんがXでやってるスペース。
オカヤ:シティボーイズのPodcastとか、土岐麻子さんの「こんな話が、したかった」とか、去年よく聴いたな。ぜんぜん知らない人の雑談もよく聴いてる。
鶴谷:オカヤさん自身も日記のZINEを出したしね。この連載も雑談だし。

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齢をとって楽になったことと、がっかりしたこと
オカヤ:どうでもいい話ができる相手がほしくて結婚する人も多いよね。
鶴谷:やっぱりみんな棚の話がしたいんだよ(笑)。私、もし自分が結婚したいと思うことがあるとすれば、そこがほぼ全部だと思うよ。「めくるめく〜」みたいなのはなくていい。
オカヤ:そうだよね。でも、恋愛が絡むと、そこがなかなか難しくなるからね。例えば「自炊してますか?」という会話が、この人は料理をしてくれる人かを値踏みされている、みたいになっちゃうと、楽しくないじゃん。こっちは「ごはんつくるの楽しいよね」という話をしてるだけなのに。
鶴谷:わかる。あなたと「棚、便利ですよね」の話がしたい、とこっちは思ってても、向こうはもっと恋愛的なことを思ってるかもしれない。もちろんそれを否定する権利もないし。だから、今から恋愛するとしたら、そういう手続きや「恋愛市場」みたいなところから下りた人同士でしてみたいな。
オカヤ:そのあたり、齢をとって楽になったなと思うことが多いよ。若い女でいることがつらかったんだと思う。
鶴谷:若い女扱いされるのが嫌だったってこと?
オカヤ:自分では「若い女」をやってるつもりはなかったのに、その役割を背負わされていたことに、中年に近づいてから気づいたんだよね。タクシーの運転手のおじさんから説教されたりとか、おじさんの上司にやたら飲みに連れて行かれたりとか。そのときはそう思ってなかったけど、世の中の方がちょっとずつ変わってきたこともあって、「ああ、あれは私が若い女だったからなんだ」「なめられてたんだ」って。
鶴谷:私、今でもめちゃめちゃなめられるから、よくわかるよ。私は中年になったことにわりとがっかりしてたんだけど、それは、私は物事に馴れるのに時間がかかるからでさ。「20歳の子ができるぐらいのことしかできないのに、もう40歳なんだ」みたいながっかり。200歳くらいまで生きてたらちょうどいいのに、って。
オカヤ:なるほど。
鶴谷:もう自分がゆっくりなことはわかってるし、受け入れてるから、ショックとかではないんだけどね。「漫画家である自分」にもまだぜんぜん慣れてないよ。

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SNSがしんどい
オカヤ:クローズドな、誰にも聞かれないところでする雑談って、大事だよね。いまのSNSって、すぐに強い言葉で反応したり、人との距離感が近すぎるような人しかコメントをしなくなってて、あとの人は「何か言ったら良くないんじゃないか」と思って黙って見てる感じだから。
鶴谷:そうなんだよ! 陰口って悪いことのようだけど、むしろクローズドな場で言うのは大事だと思う。
オカヤ:人と話すと、親しい人の中にも違う意見の人がいて、それで気づいて考え直したりもできるんだけど、その感じがもうインターネットだと難しくなってるよね。
鶴谷:今にして思えば、昔のTwitterが奇跡だったのかもしれんよね。
オカヤ:そうだよね。私たちTwitterで知り合ったんだもんね……。
*東日本大震災の直後、作家の長嶋有さんが「息抜き」にとTwitter上ではじめた言葉遊びのやりとりを介して二人は知り合った。二人は、その顛末をモデルにした小説『問いのない答え』(長嶋有、文藝春秋刊)の表紙も手がけている。
鶴谷:なのに、前ほど見なくなっちゃったよね、SNS。
オカヤ:私も。あと、SNSでは、言動が一致しないことや矛盾があることを、あんまり許してもらえない感じがある。
鶴谷:みんなそこに厳しくなってるけど、言動なんてそういつも一致しないものだよね。
オカヤ:『阿修羅のごとく』でさ、「出てけよ!」って言いながらすがりつくシーンがあったじゃん。すごい上手い脚本だと思ったな。
鶴谷:『阿修羅のごとく』、向田邦子すごすぎる! と思いながら見てるよ。「出てけよ!」ガシッ、わかるよ。しちゃうよ(笑)。
オカヤ:そういう、変なことしちゃったり、自分でも意味がわからないことって、いっぱいあるよね。

鶴谷:あとさ、例えば「食い尽くし系」の話題が流行ってるのを見ちゃうと、友達の子供に「いま食べ盛りでいっぱい食べるでしょー」とか言ったときに、「あっ、今のって含みがあったかな」みたいなことを考えちゃったりする。そんなにみんな「インターネットの人」じゃないのに、ついみんなそれを見ているみたいに思っちゃうな。
オカヤ:私は、スポーツ観戦すら、「争わないで」って思っちゃって苦手なぐらいでさ。選手のみなさんはやりたくてやってるのに、「こんなに走ってつらかろう」「こっちはあったかいところにいてお酒飲んでてごめんね」みたいな気持ちにすぐなっちゃう(笑)。だから、言ってる内容が正しくても正しくなくても、SNSで応酬を見て、心を痛めなきゃいけないことになるのが、わりとしんどいんだよ。
鶴谷:見ちゃうとあわあわしちゃうよね。しかも、オカヤさんは自ら深追いするよね。
オカヤ:そうなの。「1ツイートだけで判断するのは恐ろしい」と思ってるから、その人のホームに行って過去のツイートとか見ちゃう。
鶴谷:そのツイートに即座に「それ間違ってますよね」って言うんじゃなくって、その人がどういうピースでできてるからこう言ったのかをわかりたい、ってことでしょ?
オカヤ:そうそう。Amazonで悪い評価をした人が、ほかに何を買ってるのかとかも見に行っちゃう。「ああ、この人はほかも星1しかつけてないな」と思って安心したりね。でも、その人が何を考えてるかなんて、ほんとなら考えなくてよかったわけじゃん。ぜんぜん知らない人だし。
鶴谷:うんうん。本当にそうだよね。
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漫画を「意味」にしたくない
オカヤ:いま「ギスギスさせたくない」と「正しくしたい」が、両方すごく大きくなってて、どっちも両立するのが難しい。例えば戦争のこととかフェミニズム的なこととか、もちろん考えてるけど、声を上げないと現状に賛成していることになっちゃうのもしんどくてさ。
鶴谷:こんなに世の中が大変なときに、エンタメで何をすればいいのか、私はちょっと立ち止まってしまってる部分があるよ。オカヤさんは漫画の中で時事も描く人だけど、そこはどう折り合いをつけてるの?
オカヤ:時代性からは逃げられないし、時代性がない創作は存在しないと思うけど、自分の作品に関しては、漫画を「意味」にしたくないと思ってるよ。戦争反対ということを言いたい漫画、にはしたくない。そういう創作があってももちろんいいけど、私は漫画でそれがしたいわけじゃないから。社会的なイシューを投影したものは、みんな興味あるし、反響も大きいのかもしれないけど、私は、過程や矛盾や決められなさとか、それこそ「棚、便利だなあ」とかの方を描きたいんだよ。

鶴谷:うん、意味になりたくないのは私も完全に一緒。同時に、かといって「思考停止するための作品」にはならないように気をつけようと思ってる。フィクションの力って意外と大きいから。
オカヤ:エンターテイメントのためのエンターテイメントみたいな?
鶴谷:思考停止するためにフィクションを見たり読んだりすることって、私もあるんだけど。ぼんやりパズルゲームをするみたいに。そういう読み方をして助けられることはあるから、否定するつもりは全くないけど、自分から積極的に「この作品で楽になってね」みたいな漫画を描くのは違うかもなって思う。
オカヤ:そうだね。私は自分がいまどう思ってるかしか描けないから、誰かを気持ちよくさせるようなものはできない。
鶴谷:あとね、面白すぎる作品はいっぱいあるから、自分のはこんなに面白くなくていいって思うこともあって。売れる方向と逆に向かってて、やばい思考なんだけど……。
オカヤ:漫画だけじゃなくて、映像とかでもね。いまのイシューも取り込みつつ、ドラマづくりが上手くできていて、画面も豪華で、「次どうなるの!?」って鼻血が出る、みたいなね。
鶴谷:そうそう、Netflixのドラマとかね。めっちゃ面白いし大好きなんだけど、自分が作るものは、こんなにいっぱい入ってるパフェじゃなくていいなって思ってる。
オカヤ:そういうエンタメはあって然るべきだし、なくなると良くないとは思ってるけど、一方で「あ、あのー……」みたいな創作もあってよくないですか、と。それを商業でやるのって、だいぶ難しいんだけどね。
鶴谷:載せてもらえなくなるかもしれない問題があるよね。
オカヤ:私が作家としてやれてるのも、まだかろうじて漫画の裾野が広いからだと思ってるよ。でも、そういうものもないと、文化の豊かさはないんじゃないですか……って思うのも、もうおばさんなのかもしれないけどね。
