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漫画を「意味」にしたくない
オカヤ:いま「ギスギスさせたくない」と「正しくしたい」が、両方すごく大きくなってて、どっちも両立するのが難しい。例えば戦争のこととかフェミニズム的なこととか、もちろん考えてるけど、声を上げないと現状に賛成していることになっちゃうのもしんどくてさ。
鶴谷:こんなに世の中が大変なときに、エンタメで何をすればいいのか、私はちょっと立ち止まってしまってる部分があるよ。オカヤさんは漫画の中で時事も描く人だけど、そこはどう折り合いをつけてるの?
オカヤ:時代性からは逃げられないし、時代性がない創作は存在しないと思うけど、自分の作品に関しては、漫画を「意味」にしたくないと思ってるよ。戦争反対ということを言いたい漫画、にはしたくない。そういう創作があってももちろんいいけど、私は漫画でそれがしたいわけじゃないから。社会的なイシューを投影したものは、みんな興味あるし、反響も大きいのかもしれないけど、私は、過程や矛盾や決められなさとか、それこそ「棚、便利だなあ」とかの方を描きたいんだよ。

鶴谷:うん、意味になりたくないのは私も完全に一緒。同時に、かといって「思考停止するための作品」にはならないように気をつけようと思ってる。フィクションの力って意外と大きいから。
オカヤ:エンターテイメントのためのエンターテイメントみたいな?
鶴谷:思考停止するためにフィクションを見たり読んだりすることって、私もあるんだけど。ぼんやりパズルゲームをするみたいに。そういう読み方をして助けられることはあるから、否定するつもりは全くないけど、自分から積極的に「この作品で楽になってね」みたいな漫画を描くのは違うかもなって思う。
オカヤ:そうだね。私は自分がいまどう思ってるかしか描けないから、誰かを気持ちよくさせるようなものはできない。
鶴谷:あとね、面白すぎる作品はいっぱいあるから、自分のはこんなに面白くなくていいって思うこともあって。売れる方向と逆に向かってて、やばい思考なんだけど……。
オカヤ:漫画だけじゃなくて、映像とかでもね。いまのイシューも取り込みつつ、ドラマづくりが上手くできていて、画面も豪華で、「次どうなるの!?」って鼻血が出る、みたいなね。
鶴谷:そうそう、Netflixのドラマとかね。めっちゃ面白いし大好きなんだけど、自分が作るものは、こんなにいっぱい入ってるパフェじゃなくていいなって思ってる。
オカヤ:そういうエンタメはあって然るべきだし、なくなると良くないとは思ってるけど、一方で「あ、あのー……」みたいな創作もあってよくないですか、と。それを商業でやるのって、だいぶ難しいんだけどね。
鶴谷:載せてもらえなくなるかもしれない問題があるよね。
オカヤ:私が作家としてやれてるのも、まだかろうじて漫画の裾野が広いからだと思ってるよ。でも、そういうものもないと、文化の豊かさはないんじゃないですか……って思うのも、もうおばさんなのかもしれないけどね。
