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書き手にとっての、親という存在の難しさ
村田:オカヤさんのご家族は、オカヤさんの漫画を読んでますか?
オカヤ:隠すのも変かと思って、「出たよ」とかは言いますね。家族に読まれるのって複雑ですよね。
村田:私の家族は、基本、読まずに応援する、というスタイルなのだと思います。
オカヤ:ああ、それは一番いいですね!
村田:うん、一番助かります。あ、でも一度、父の郷里をモデルにした架空の田舎が出てくる小説を書いたことがあって、それは読んでくれたみたいなんですが、最後みんなで人肉を食べる話だから「嬉しいけど、最後はなあ」と複雑そうでした(笑)。
オカヤ:あはは。
村田:そういえば、家族が崩壊する小説を書いたときに、父が職場の人に頼まれたらしく、私のサインの横に自分も連名でサインしていたことがありました。「でもこれ、家族が崩壊する話だよ……?」って一応伝えたのですが。あの本が世界のどこかにあると思うとちょっと怖いですね。
オカヤ:こないだ出した漫画は、母から「厳しい話だね」と言われました。私はだいたい漫画の中で母に厳しいので、ショックを受けたのかなと思ってるんですけど。
村田:私は、デビュー作で母親という存在を書いたとき、自分の母のことではなく、自分が将来こういう人間になるかもしれないという恐怖がどこかにあった気がするんです。自分ではまったくコントロールしていないのですが、後から読んでそう思いました。だから、筆が容赦ない動きになったのかな。
オカヤ:母って難しいですよね。母と自分を切り離すのも難しいし、母が私を切り離すのもなかなか難しい。親離れじゃないけど、切り離す作業として描いている、みたいな部分もある気がするな。フィクションを作る人は全員そうかもしれないですね。
村田:昨日までゲラをやっていた小説でも、改めて読み返すといろいろなシーンがしんどかったです。主人公の母親も、友人も、みんな苦しそうでした。
オカヤ:感情を描くのって、疲れますよね。私も、たまに起伏のあるくだりを描いたあとは、しばらく「あー……」みたいになります。自分がふだん感情を出し慣れてないからそうなるのかな。
村田:「怒り」って、自分の感覚ではほぼ存在しない感情で、変形しているのでかなり難しいです。そもそもあまり感情がない気もしますが、でも、よくわからないタイミングで感動することは最近むしろ増えた気がします。
オカヤ:わかります。
村田:先日、レキシのライブに誘っていただいて、お客さんがみんな稲穂を振っているのを見て、すごく感動して泣いてしまって。一緒に行った友人から「なんで泣いてるの!?」と笑われました。
オカヤ:わかります。みんなが同じ方向を向いてることに感動することはありますよね。合唱とか。それはそれでどうかな、と思う面もあるけど。
村田:その日1日仕事をして疲れたり、いろいろ嫌なことがあったかもしれないけど、でもいま稲穂を振って、みんな楽しそうに笑っている、ということに感動したんじゃないかと思います。
