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オカヤイヅミの「うちで飲みませんか?」

レシピと文学は相性が悪い? 滝口悠生と語る、創作と料理

2024.3.12

#BOOK

漫画家オカヤイヅミさんが、ゲストを自宅に招いて飲み語らう連載「うちで飲みませんか?」。第3回は作家の滝口悠生さんにお越しいただきました。

『茄子の輝き』『ラーメンカレー』、そして現在『すばる』で連載中の『透波と乱波』など、料理の描写が印象的な小説の多い滝口さんと、自炊をテーマにしたマンガを数々手がけてきたオカヤさん。二人が料理と執筆について語り合ったサシ飲みの模様をお届けします。

当日振る舞われた「マスタード入り しいたけと肉団子かた焼きそば」のレシピもお見逃しなく!(レシピは記事の最後にあります。)

飲み会にいつもいる二人

滝口:今日はよろしくお願いします。オカヤさんと最初にお会いしたのは、『ランバーロール』がきっかけでしたよね。

*『ランバーロール』…安永知澄、森泉岳土、おくやまゆかによる漫画と文学のリトルプレス。二人もゲスト寄稿している。

オカヤ:そうですね。私も滝口さんも、あまり寄稿はしていないわりに、『ランバーロール』の飲み会にはいつもいますよね。お会いする前から「滝口さんは『ランバーロール』の守り神だ」と聞いていました(笑)。

滝口:『ランバーロール』は主宰の御三方が漫画家なので、そこに小説家を斡旋する役みたいになってて。誌面に合いそうなひとを紹介してるだけなんですけど、なんだか過分に感謝されてますね。

滝口悠生(たきぐち ゆうしょう)
小説家。1982年、東京都八丈島生まれ。埼玉県で育つ。2011年、「楽器」で新潮新人賞を受賞しデビュー。2015年、『愛と人生』で野間文芸新人賞、2016年「死んでいない者」で芥川龍之介賞を受賞。他の著作に『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『長い一日』『ラーメンカレー』『さびしさについて』(植本一子との共著、原題『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』)など。

オカヤ:今日は、干し椎茸と肉団子でかた焼きそばにしました。

滝口:おいしい。これは粒マスタードですね。お酢も入ってますか?

オカヤ:黒酢が入ってます。中華っぽい、揚げた肉団子がすごく好きなんですよ。

滝口:一回素揚げするんですか? 大変だ。料理は嫌いじゃないんですが、炒める前の素揚げとか下茹でとかはすごい手間に感じてしまって、そういう料理は作らないんですよね。

この日のおつまみは、しいたけと肉団子かた焼きそば、梅ごまごぼう、トマトのおひたし、焼き蕪はっさくマリネ、せせりポン酢。かた焼きそばのレシピは記事の最後に!

レシピ通りに料理を作れない

滝口:そう、今日は料理の話をしようと思っていたんです。オカヤさんは料理をするとき、どのくらい最終形のビジョンがあって作ってます?

オカヤ:作る前に、どういう味が食べたいかをしばらく考えますね。「酸っぱくて、ちょっと甘いくらいがいいな」みたいなことを。でも、作るときには、やりながら「これを入れたら美味しいかも」と進めることが多い気がします。

滝口:たとえばかた焼きそばに粒マスタードっていうのは、ちょっとひとひねりあるじゃないですか。あとから洋がらし添えたりはするけど。そういうアイディアって、事前にあるのか、それとも即興的に「これいってみよう」となるのか。

オカヤ:「あ、これじゃない?」みたいにひらめく時もあります。逆に、すごくしっかりレシピが決まっている料理は、めんどくさくてできないです。

滝口:ああ、僕もそうなんですよ。オカヤさんとはぜんぜん精度が違うんですけど、レシピ通りに料理ができないんです。強迫観念みたいなものがあって、なぜかどんどんレシピから逸れていくんです。

オカヤ:工夫を入れないと気がすまない?

滝口:そう。例えば「鶏肉200g」と書いてあるじゃないですか。でも、200gぴったりのパックが売ってない。それで、230gぐらいのパックを買ってきて、気にしなければいいんでしょうけど、30g多いということに過敏に反応してしまって、その誤差をどうにか調整しなければと思ってしまうんですよね。

オカヤ:その分醤油はどれだけ増やせばいいんだろう、って。

滝口:それで、なぜか書いてないものを入れたりしちゃうんですよ(笑)。

オカヤ:違うんだから、何か補わなければ、と。

滝口:「何かしなければ」とやっていくうちに、どんどんおかしくなっていくんです。「これも入れてみよう」となったり、「玉ねぎは1個って書いてあるけど半分でいいや」とか。自分でも不思議なんですけど、暴走してしまうんですよね。

オカヤ:お菓子とかは、それをやると大変なことになりますよね……。

小説と料理は似ている?

滝口:オカヤさんは人が書いたレシピを見て作ることもあるんですか?

オカヤ:レシピは、読み物として読みます。レシピ本って、その人の思想がわかるようなところがありますよね。

滝口:なるほど。僕は、レシピという文章の形式とすごく反りが悪いんだと思うんですよね。最初に全部読んで「2番の工程は、7番でこういうふうな結果を得ることになる」とわかった上で2番をやればいいんですけど、それができないんですよ。例えば2番に必要な材料がないときに、「結果こうなるんだから、これがなくても大丈夫」という遡行的な視点がないまま、「できない、でもこれをやれと書いてある、どうしよう」となって、「ええいじゃあこれでどうだ」と場当たり的な何かをしてしまうんです。

オカヤ:そういえば、こないだハッシュドポテトを作るときに、片栗粉を使ってるレシピがあったんで、いつもは小麦粉で作るんですけど、片栗粉にしてみたんです。そうしたら、モチモチしたのができたんですけど、私、モチモチしてるのはあまり好きじゃないんですよ……。片栗粉を使えばそうなることは考えればわかったのに、書いてあるからそうしちゃった。そういうことはありますね。

滝口:なるほどー。でもやっぱり僕と違ってレシピから逸れるにしても大崩れしないんですね。事後の分析も完璧で、今後に生きる失敗ですね。

オカヤ:私は「自分よりも世間の方がだいたいのことに対して優秀だろう」と思っているところがあって。みんなこんなにだらしなくないんじゃないか、自分ができないことを他の人はみんなできているんだろう、と常々思っているので、レシピについても「書いてあるんだからこれが正しいんだろう」と思ってしまいがちかもしれません。

滝口:ああ、僕にはその謙虚さがないのかもしれない。どこかで、レシピを逸脱して、もっとおいしいものができるんじゃないかという夢を見ているところがあります。

オカヤ:ホームランを狙っちゃう。

滝口:そうですね。サインを無視して(笑)。

オカヤ:主人公タイプですね。そういうタイプがすごい発明をすることもある気がするけど。

滝口:ほぼ三振ですね。打率が低すぎる(笑)。

オカヤ:まあ、料理は失敗しても最悪食べれますからね。

滝口:そうそう。どうにかなると思うから、向こう見ずな感じで進んでしまうところもあるのかもしれません。

オカヤ:小説も、最後までの見通しがあれば良いものになるというわけじゃないですし。

滝口:そうか。小説を書く仕事をしているから、というのもあるのかな。最後まで決めてから書き始めても、どうせその通りにうまくなんかいかないよって思ってるから。なんで料理にもその考え方を当てはめてしまうのかわからないですけど。

オカヤ:そうですね……。

滝口:あと、いま話していて、書き手としてはそんな読み手は嫌だなと思いました。書いたものをどう読んでもらってもいいですけど、書いてもないことを勝手に読み取って「自分なりの読み方をすればもっと面白いかもしれません、それを夢見てるんです」って言われたら、「お前は何を言ってるんだ」と思いますよね(笑)。

締切が迫っても書かずにいることのつらさ

オカヤ:漫画を考えるときにも、プロットを立てて全体の流れを作る人と、次のコマ、その次のコマを考えていく人がいて。私は、次のコマ、次のコマというふうに考えた断片をいっぱい作っておいて、合体する感じですね。連載で書くことに慣れているので、次の話までしか考えていなかったりします。

滝口:僕は料理の工程と完全に一緒で、連載もいま締切の分しか考えてないです。

オカヤ:連載1本分の原稿は、ひとまとまりとして考えてます?

滝口:どうにかする、ということしか考えてないです(笑)。最初から進めていって、行きつ戻りつって感じだから、あんまり終わりが見えていることはないですね。1日ではなかなか書き終わらないから、書き途中で読み返して戻ってみたり、ちょっと俯瞰することはしますけど、でも、書き終えるまで終わりがどうなるかはほとんどわかりません。

オカヤ:すごくプロットがちゃんとしている作品でも、書いている側は意外とそんなにちゃんと考えてないかもしれない、という気もしますよね。

滝口:そう。事前準備の仕方の問題で、やる作業としてはそんなに違わないような気もする。心配性かどうかの問題というか。僕は、準備は何もしないで、もうやらないと間に合わないというときになってはじめて手をつけるんですけど、「刻々と締切が迫ってくるのに何もしないことのつらさ」に耐えられないタイプの人もいますよね。

オカヤ:というか、執筆のつらさって、主にそれですよね! 自分が何もしていない時間に耐えられるかどうか。

滝口:だから、プロットや事前準備をしておくことで、「何もしていなくはないぞ」という安心があるのかもしれませんね。僕はできないからわからないですけど。

オカヤ:私は、やっていなくてつらいと思っている時間も含めて、スケジューリングするのが大事だなと思うようになりました。それも仕事だ、って。本当にそれが一番つらいから。いや、だったら描けばいいんですけどね(笑)。でも、考えてないわけではないんです。

滝口:そうそう。だから、形になっているかどうかの違いだけのような気もするんです。それにしても、もうちょっとやっておけばよかったなといつも思いますけどね(笑)。

オカヤ:漫画は、ネームを考えてから作画をするから、作業が二重なんですよ。で、絵を描いている間は、考えなくていいんです。

滝口:ああ、漫画家さんは「ラジオを聴きながら描いたりできる」ってみなさん言いますよね。考えるところが終わっちゃえば気が楽なんですね。小説はそれはなかなかできないなあ。人にもよると思いますけど、僕は、書き進めるのも、止まらずに突っ走るというよりは、泥沼の中をのたうち回る感じなので。

オカヤ:私、絵はじっくり描くと、すごくつまらない絵になるんですよ。

レシピと文学は相性が悪い

滝口:レシピには、もうちょっと別の書法があり得るのではないか、みたいなことも思っちゃうんです。

オカヤ:それで言えば、友達からお土産でチェコスロバキアの料理本をもらったんですけど、なんかね、詩みたいなんですよ。気持ちが書いてあったり。「私たちがどれほど森のきのこを愛しているかあなたは知らない」とか。

滝口:面白い。僕はそういうレシピの方が料理できる気がするな。レシピって、ぜんぶが命令ですもんね。そもそも「こうしろ」って命令されるのが嫌いだというのもあるかも。

オカヤ:言い方の問題なのかな。「小さじ1入れてはいかがでしょうか?」とかだといいのかな。

滝口:ああ、その方がちゃんと書いてある通りできる気がする(笑)。あとは、選択肢があるとか。

オカヤ:ゲームブックみたいなレシピ本があったら面白いかもしれないですね。ハッシュドポテトの「片栗粉? 小麦粉?」で選んだページに進む、みたいな。

滝口:楽しいですね。うまくいけば、より作る人の好みに近い料理になるかもしれない。

オカヤ:「家にあるものは何ですか?」からはじまって、何ができるかはわからない。でも、それだとレシピの意味があるのかな。それはもう小説かもしれない。レシピと文学は相性が悪いのかもしれませんね。

滝口:そうですね、命令形って小説の文章にはほとんど使わないですし。

オカヤ:作家や漫画家の人、みんなに聞いてみたいですね。レシピをちゃんと読むかどうか。

滝口:うん。小説家に共通した傾向とかありそう。

オカヤ:漫画家も読まなそうな気がするな。

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オカヤイヅミ『雨がしないこと』上・下

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