連載「グッド・ミュージックに出会う場所」第10回は、新宿ゴールデン街「ウィスカ」を紹介する。
「ウィスカ」はウイスキーバーで、音楽が主役の店ではない。しかし、「ジャズのCD」に特化したBGMの選曲は、どのジャズバーやジャズ喫茶とも違う個性を放っている。
おそらくまだ存在をあまり知られていないだろう、隠れた「いい音楽に出会える店」を、音楽評論家・柳樂光隆と訪ねた。
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ゴールデン街の2階でひっそりと営業するバー
新宿歌舞伎町の一角にあるゴールデン街は、300近い小さな飲食店がひしめき合う、東京を代表する歴史ある酒場街のひとつ。近年は海外からの観光客にも人気のスポットになっていて、近くを通ると多くの旅行者が歩いている光景を見かける。かなり盛り上がっているイメージで、以前とは違う意味でハードルが上がっている印象もある。個人的には少し苦手意識を感じていた。

しかし、「ウィスカ(BAR UISCE)」の店主・戸嶋誠司さん曰く「店内が見える路面の店は賑やかですけど、2階にある店は落ち着いているところも多いですよ」とのこと。今まであまり考えたことがなかったが、確かにほぼすべての建物の2階にも店がある。どうやらゴールデン街の楽しみ方を僕は全く知らなかったようだ。

ウィスカというバーがあることを知ったのはSNSだった。おそらくたまたま流れてきたのを目にしたんだと思う。アルゴリズムもたまには素敵な悪戯をする。ゴールデン街にジャズが流れている店があると知ったこと、そして、そこがとても個性的な選曲をしているとわかったこと。しかも、静かに飲めそうな場であること。行かない理由はなかった。

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主役はウイスキー、音量は控えめ
ゴールデン街G1通りの2階にあるウィスカは、シングルモルトやオールドボトルを揃えたウイスキーバーだ。店主の戸嶋さんは以前から、ゴールデン街でバーをやるために長年ウイスキーを買い集めながらコツコツと準備をし、目途が立ったところでゴールデン街の空き店舗が出るのを待って、2020年に現在の店をオープンしたそうだ。
店内はカウンターのみで、正面にはウイスキーのボトルがずらりと並んでいる。ゴールデン街というと昭和っぽかったり、サブカルっぽかったりみたいなイメージがあるが、ここはシンプルな内装のカジュアルなバーといった雰囲気で、いい意味でゴールデン街らしさを感じさせず、敷居が低い。

僕は酒に詳しくないので、多くは語れないが、ここではアラン、ロングロウ、ラフロイグなどをいただいたことがある。好みを伝えると「では、こちらはいかがですが? こちらのウィスキーは~」と教えてくれるので、合いそうなものを頼んで飲むことができる。またウイスキーが苦手なら、自家製の「瀬戸内ハニーレモン」をサワーで、というのもいい。ちなみに、メニュー表のない店内に、けっこういいお値段の日本のウイスキーだけプライスリストが貼り出してあるのは、近年海外のお客さんから日本のウイスキーのリクエストが多いのが理由だそうだ。

ウイスキーをゆったりと楽しめる店内では、いつも控えめな音量でジャズが流れている。会話を楽しんだり、ウイスキーの味や香りに意識を集中させるのを邪魔しない程度の、ちょうどいい音量でジャズが聴こえてくる。ここでの主役はウイスキー。ジャズはあくまでBGM。リクエストは受け付けていない。だが、この脇役なはずの選曲もウィスカの魅力になっている。

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「ジャズのCD」に特化した、こだわりのBGM
2010年代のレコードブーム以降、レコードをかけるカフェやバーが増えた。その中にはこだわりのオーディオで大きな音量で聴かせてくれる店も少なくない。しかし、ウィスカが面白いのは、ここでかけているのは全てCDであること。戸嶋さんは「狭い店内にはレコードプレイヤーやレコードを置く場所がなかったから」というが、それだけが理由だと僕は思えない。ウイスキーの棚の少し横に並んでいるここのCDのコレクションにはこだわりが感じられるからだ。まず、ここにあるのはほとんどが1980年代半ば以降のジャズ。日本でのCDの売り上げがレコードを上回ったのが1986年なので、ちょうど主流メディアがCDに切り替わった時期以降のアルバムが揃っていることになる。

1980年代半ばといえばマイルス・デイヴィスが若手を起用することで最後の輝きを見せた時期でもあるし、ウィントン・マルサリスの登場によりアコースティックのジャズが再び盛り上がりを見せていた時期でもある。具体的にはサックス奏者のケニー・ギャレットがマイルスのバンドに抜擢され、ウィントンが名盤『Black Codes』をリリースしたころ。つまり、ウィスカで鳴っているのは、多くの店がメインにしている1950〜1970年ごろのジャズではなく、その後の時代にフォーカスしている。それらを控えめに鳴らしているのだ。

しかも、CDがただ集まっているだけでなく、内容が抜群でたまらない。例えばロバート・グラスパーを軸に考えてみると、グラスパーが影響を受けたピアニストのマルグリュー・ミラーや、若き日のグラスパーを起用していたサックス奏者のケニー・ギャレットが揃っている。他にもグラスパーの憧れの存在だったトランペット奏者ロイ・ハーグローヴがネオソウルに取り組む以前の作品もあれば、グラスパー本人の初期作もあれば、若き日のグラスパーが同世代と録音した作品もある。どう考えても「わかっている人」の「こだわりのある」コレクションなのだ。
他に目についたところだとニコラス・ペイトンやマーカス・ストリックランド、ピーター・マーティンやアーロン・パークス、ジョーイ・カルデラッツォやクリスチャン・マクブライドなどなど。それらのCDが積み重なっている中にはなにげにジュリアス・ロドリゲスやイマニュエル・ウィルキンスのような最新のジャズも挟まっていたりもする。狭い店内に置かれたCDはしっかり厳選されているのだ。

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伝統に紐づきながらも、シャープでフレッシュな音楽
実は、1980年代半ばから2010年ごろのジャズには、CDでしか聴けないものも少なくない。いまだ配信をしていないレーベルだってあるし、再発の見込みがなさそうな作品も多い。しかも、買おうとすると入手が難しくなっていたりする。今やCDだってレコードと同じような存在になりつつある。「好きなアーティストはCDを揃えてしまう」と語る戸嶋さんだけに、ウィスカにはしれっと希少なCDも置いてある。ちなみに僕が特に驚いたのはウディ・ショウのCDコレクション。これ聴くハードル高いんだよな、というライブ盤がかかることもあり、そんなところにもグッとくるのだ。

音量は控えめだし、かかっているCDのジャケットも実にさりげなく置かれている。音楽に関してはどこまでも慎ましく、だからこそゆったりとウイスキーを楽しめるのだが、それでもふっと演奏に耳を奪われるくらいに選曲はすばらしい。「伝統に紐づいた音楽」的なジャズのイメージも満たしながら、同時に1980年代半ば以降のジャズならではのシャープさやフレッシュさがノスタルジーとは無縁のムードを生み出す。それは想像以上にウイスキーと相性がいいことを、ウィスカは教えてくれる。
《ウィスカが選ぶ5枚》

・Roy Hargrove『Earfood』
・Walter Smith III『Still Casual』
・Jeremy Pelt『Tomorrow’s Another Day』
・Christian McBride & Inside Straight『Live At The Village Vanguard』
・Marcus Strickland『At Last』
ウィスカ(BAR UISCE)
住所:東京都新宿区歌舞伎町1-1-10 新宿ゴールデン街G1通り2階
営業時間:18:00〜深夜
定休日:日
※営業時間、休業日はInstagram、Xにて要確認
https://www.instagram.com/baruisce/
https://x.com/baruisce