2000年代のカフェブームを牽引し、そのBGMから生まれたコンピレーションCDシリーズも大ヒットとなった「Café Après-midi」でかつて店長を務め、自身もDJとして活躍してきた中村智昭さんが、2010年にオープンした「Bar Music」。
音楽評論家・柳樂光隆は、同店は昨今のジャンルレスなリスニングバー / ミュージックバーのさきがけ的な存在であり、中村さんの選曲や場づくりが多くの店に影響を与えてきたのではないかと指摘する。
東京を代表する「新しい老舗」を、柳樂と訪ねた。連載「グッド・ミュージックに出会う場所」第5回。
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ある冊子に記録された、店主・中村智昭さんの姿
先日、『音楽のある風景』という2006年に発行された小さな冊子を手に入れた。そこには後に渋谷に生まれるBar Musicの店主・中村智昭さんのことが書かれていた。
コーヒーを注文するとバーテンダーがコーヒーを淹れはじめた。丁寧に一杯ずつ淹れられた焙煎のきいたコーヒーの味はひと口飲むだけで、この店の店主が、かなりの本物嗜好の持ち主で妥協を許さない本質主義者であるということを無言で教えてくれた。すると、さっきまでコーヒーを注いでいたバーテンダーが、急いで隣のDJブースに行くと、壁からレコードを取り出し、慣れた手つきでターンテーブルにのせ、片方の耳にヘッドフォンをあてながら、絶妙のタイミングでつないでみせた。そしてその後、照明のコントロールをかすかに調整しながら、店の明るさを、わずかだけ暗くした。それは決して誰にも気づかれることなく、そっと、さりげなく。そんな彼の丁寧な仕事ぶりは、ずっと見ていても飽きのこないものだった。
この文章はまるでBar Musicについて書かれているように思えるが、有線放送のプログラム『usen for Café Après-midi』プロデューサーの野村拓史さんが2000年の秋に初めてCafé Après-midiを訪れた際の印象を綴ったもの。このバーテンダーが当時の中村さんだ。

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「日本のBGM」に大きな影響を与えた名店との連続性
1999年、DJで選曲家の橋本徹さんが渋谷公園通りにあるビルの5階(*)にひっそりと作ったCafé Après-midiは、2000年代の東京屈指の文化的なスポットのひとつだった。橋本さんはパーティー向けのダンサブルな曲をまとめたコンピレーションCD『Free Soul』シリーズの後、自身のカフェを作り、そのカフェの雰囲気に合わせて、より日常に寄り添うような選曲を提示した『Café Après-midi』シリーズでも大きな成功をおさめた。その選曲は「カフェミュージック」のひな形を作り、その後は2001年から有線放送での『usen for Café Après-midi』という形で店舗のBGMとして今も日本中の飲食店や商業施設を彩っている。橋本さんがCafé Après-midiを拠点に行った活動は「選曲」の枠を大きく超えて、以降の「日本のBGM」に大きな影響を与えることになった。そのCafé Après-midiでオープン時からリーダー〜店長を務め、実際に店に立ち、お客さんのためにレコードを選んでいたのが現Bar Musicの中村さんだった。
*現在はファイヤー通りに移転している。

『音楽のある風景』には、中村さんが寄稿した「BGM選曲におけるアプレミディらしさ」というテキストも掲載されている。そこには橋本さんがCafé Après-midiを立ち上げる時に中村さんに声をかけ、当時学生だった彼がひとり暮らしをしていた部屋の雰囲気がインスピレーションのひとつになっていたことなど、様々なエピソードが彼らしい控えめな筆致で書かれている。

ここまで長々と前置きのようなことを書いてきたのには理由がある。僕の中で公園通りにあった頃のCafé Après-midiとは橋本徹と中村智昭であり、Bar Musicはその「Café Après-midiにおける中村的な側面を抽出した場所」という印象がずっとあった。それで、「Café Après-midiとBar Musicの選曲の違いはあるんですか?」と尋ねてみたところ、中村さんは「カフェからバーになったけど、ずっとやっていることは変わらない」と答えてくれたあと、「Café Après-midiのエピソードについて僕も文を寄せた本があるんですよ」と『音楽のある風景』を見せてくれたわけだ。
