みらんと小原晩の交換日記『窓辺に頬杖つきながら』 Vol.05
INDEX
from みらん #8 ― 7月15日(土)
上京して、ひとり暮らしを始めて、1ヶ月が経ちました。毎日なにかと寂しくて、友だちに今日は会えないかと連絡をする日々。断られることも多くなってきた。みんな、忙しいのね。私もちょっと前まですごく忙しかったはずなのに、今はなんでかけっこう暇。やることはそれなりにあったりするけれど、やってみれば30分のうちに終わることが多い。これが東京に来た効果なのか。マネージャーが近くにいるおかげで、なんか出来ちゃう。そしたら、あれ〜、もうあと寝るだけ? うそでしょ、まだ寝れない。誰か、誰か、話そうよ〜〜となる。きっとそろそろ、これがひとり暮らしというもので、持て余す時間を寂しさと共に、どうやり過ごしていくかと向き合っていかなければならない。そして多分、きっとそろそろ、『君たちはどう生きるか』、見なければならない。今こそ、私こそ。
晩ちゃんは最近、忙しい?
この前連絡したら、大阪にいると聞いた。なぜなぜ? 気になる。そういえば、晩ちゃんにとって、大阪と東京はなにが違うと感じるのかしら? 東京の方が書きやすいと前に聞いたけど、もうちょっと詳しくというか、文字で聞きたいかも。文字で聞きたいなんて、はじめて言うことだわ。
そうだ、私が東京に来て、とても良いことだ! と明確に感じていることがひとつあってね、それは、標準後が醸し出す丁寧さとやさしさ。なんだけど、晩ちゃん分かってくれるかな〜。
今まではなんの気なしに関西弁を使い使われ生活してきて、当たり前のようにその発音や言葉遣いで楽しかったり、落ち込んだりしてきた。それがここへ来た途端、めっきりと変わり、私は何故か標準語を前から使ってたように使いこなせるし、こっちの方が言葉がとてもスムーズに出てくる。すごく、喋れる。うんと合ってる気がするし、何よりも、誰かしらから発せられるひとつひとつの指示やら誘導やらお礼やらがとっっっても上品に感じてね。余裕ありげなかんじで。にこやかな気持ちになれる。これ決して大阪が上品じゃなかったわけではないと思うんだけど、なんだろうな、焦らずにいられるんだよな。
そういう土地が関係するニュアンスの違いを、東京生まれ東京育ちの晩ちゃんはどう感じているのか、是非とも聞きたいよ。
べらべらと長くなってしまったので今回はこのへんで。。とにかく最近、本格的に暑いね。命に関わるので、冷房だけは惜しみなく使ってます。晩ちゃんの本は夏に合ってる気がして、繰り返し読んだりもしてます。涼みながら、お返事待ってるね。
from 小原晩 #8 ― 7月23日(日)
ひとり暮らしのさびしさが私は結構すきです。いやんなっちゃうときも、勿論あるのだけれど、でも差し引いたら、やっぱり好きだなあと思います。ひとりで生活する日々は、真夜中のしんとした感じとか、いつ散歩に出てもよいところとか、他人に見栄を張ったり、嘘をついたりしなくていいところが良いです。
みらんちゃんは働きものだから、きっと何をするにもテキパキうごいて、時間を持て余すのかなあ。私は机の前に座るとハシビロコウみたいに微動だにせず、じっとしてばかりなので、いつも時間が足りなくて困っています。
私が大阪に行っていたのは、大阪で暮らす恋人との時間をつくるためです。しばらく忙しくて(なんせずっとハシビロコウしているものだから、ぜんぜん原稿がすすまなくて)なかなか大阪へ行けなかったのだけれど、やっぱりそういう時間は無理矢理にでもつくったほうがいいような気がして、急に行っていたんです。
私にとっての東京と大阪はなにが違うのかというと、それは例えば夜のことです。
「東京のほうが書きやすい」と以前言ったのは、東京には真夜中でも開いている喫茶店やファミリーレストランがたくさんあるからです。私は夜型なので、深夜三時くらいに、なんだかもやもやとしてきて集中できないとき、そういうところが開いていると助かるんです。
でも、大阪には大阪のいいところがあります。たとえば大阪の家には湯船があって、東京の部屋はシャワールームだけなのですが、私は湯船に浸かりながら本を読むのがすごく好きなので、大阪の家で過ごしているとすごく心がチャージされます。ああ東京の部屋も、湯船のある部屋にしたらよかったなあ。
あと東京のスーパーでは見かけないおいしいお漬物が、大阪の家の近所のスーパーで売っていて、大阪の家に帰るたびにそればかりを食べています。パリパリ京菜って言うんだけど知ってる?
みらんちゃんは標準語がすごく合っているということだけれど、私は東京生まれ東京育ちだから、関西弁をはじめとする方言というものにすごく憧れがあります。だから、関西弁を聞いているのはすごくすきです。大阪のひとも敬語のときは標準語のひとがおおいような気がするけれど、タメ口になると急に関西弁がでるでしょう。あの瞬間がうれしいです。「そうなんですか」が「そうなんや」になる瞬間が好きです。
今は実家に帰る電車の中で、この交換日記を書いています。みらんちゃんは実家に帰ると、誰とどんなことを話しますか?
from みらん #9 ― 7月29日(月)
ハシビロコウ晩ちゃん、パリパリ京菜をぽりぽり晩ちゃん、どちらも愛しいだね。(パリパリ京菜知らなかった。スーパーに行くとすんと佇む漬物より派手にアピるキムチについ手が伸びるもんでね。)
私はいつからか、動いてないと不安で、動かない楽よりも動く楽を選ぶんだけど、そうね言ってくれた通りきっと、働きものなんだろうな。けど曲を作ったり日記を書いたるするときは、動かずじいっと集中してるから、静と動のバランスをおのずととっているのかもしれない。寂しさは、差し引いたらやっぱり好きって言葉、とても救われました。ありがたいなあ。
そろそろ私も実家に帰ろうかなーと思っているところだよ。実家にはお父さんとお母さん、モンチがいます。たまーにタイミングが合えば、帰省してるお兄ちゃんもいる。いつも何を話してるかと聞かれると、近況報告から始まる、まあ世間話だね。私が大人になるにつれ、家族に対して自分の気持ちを素直に共有できるようになってきた気がする。ひとりの人間として興味を持って話したい、みたいな。けど友達とは違って、嫌われないようにとほんのちょびっとだけ気を使いながら話すようなことはなくて、いつどんなだって家族は絶対に味方でいてくれるという甘い考えを頼りに、どっと疲れたこととか、どうしても許せないこと、どう足掻いても嫌いな人のことや、どうしたって好きな人のことを、まんまと話します。自由で、オチがなくて、おもしろくなくて、それでも笑ったりしてくれて、幸せなことだなと思う。あー、帰りたくなっちゃう。。。
最近気づいたことなんだけど、ついこの間まで晩ちゃんと会うときは大阪だったから、東京で晩ちゃんに会えた時に、私はとっても安心感を抱くようになった。それで先日、晩ちゃんが住む東京の家にお邪魔した時には、私はへらへらと、ゴールのない、思いついた言葉を口にするばかりだったような。帰り道に良くなかったかもしれないと反省しました。楽しかったんだけど、晩ちゃんは友達だから、もっと深く噛みごたえのある話、出来たかなとか、考えたりね。
そうだ、前回の日記で私たちはタコパや手巻き寿司に思いを馳せていたけど、結局この前は肉を焼いたね。アスパラと、ブラウンマッシュルームもなんとなく買って焼いたね。
晩ちゃんの左手親指は最近料理中に切ったとかで、包帯みたいのが巻かれてたので、その日は私がほとんど料理をしていて、すると私の手、とても綺麗なことに気づく。冬場は乾燥で荒れたり、たまに紙や段ボールや包丁で傷ついていたのに。なんだか無性に、怪我したくなってきた。こんな感情ってあるんだな。へんな気分。わざと自分を傷つけるなんて、しないけれど。たまに、不意に、手を痛めるくらいの生活をしていきたいなと思った夜でした。ステーキ美味しくて、27時間テレビつまんなくて、タトゥーシールで遊んだの、楽しかったね。
みらん
1999年生まれのシンガーソングライター。
包容力のある歌声と可憐さと鋭さが共存したソングライティングが魅力。2020年に宅録で制作した1stアルバム『帆風』のリリース、その後多数作品をリリースする中、2022年に、曽我部恵一プロデュースのもと 監督:城定秀夫×脚本:今泉力哉、映画『愛なのに』の主題歌を制作し、2ndアルバム『Ducky』をリリース。その後、久米雄介(Special Favorite Music)をプロデューサーに迎え入れ「夏の僕にも」「レモンの木」「好きなように」を配信リリース、フジテレビ「Love music」でも取り上げられ、カルチャーメディアNiEWにて作家・小原晩と交換日記「窓辺に頬杖つきながら」を連載するなど更なる注目を集める中、新曲「天使のキス」を配信/7inchにてリリース。
小原晩(おばらばん)
作家。1996年東京生まれ。2022年3月、初のエッセイ集となる『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。