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Floor Essence 〜dance・club・party〜

SUGIURUMNが振り返る25年間。バンドマンが日本を代表するトップDJへ

2024.7.3

#MUSIC

イビサのトップクラブにDJとして呼ばれるように

ーそこから“Star Baby”まで一気に突き進むよね。

杉浦:そうだね、最初のイビサの後もう1枚荒木飛呂彦先生にジャケットを描いてもらった『Life Ground Music』が出て、クラウンに移籍して。

ー俺たちがイビサで一緒になったのが2003年で、この辺りから杉浦くんは毎年行ってるよね?

杉浦:行ってますね。

ーイビサで見たパーティードレスの熱気と日本のパーティーとのギャップは感じなかった?

杉浦:感じましたけど、日本もそれまでとは違う熱気が生まれていて、振り返れば今よりはよっぽど熱かった。それとまだみんなターンテーブルとレコードだったでしょ。Shazamもないから、この曲なんだ!? っていうのがフロア全体にダイレクトに伝ってきて。この前千葉の『GROOVETUBE FES』で瀧見(憲司)さんがほとんどShazamにない曲ばっかりでプレイしていて、今でもこれができるんだって思った。あの感覚が久しぶりで痺れた(笑)。

ー2007年には『WHAT TIME IS SUMMER OF LOVE?』が出て、自分のレジデントパーティーもはじまり、シーンでも認められて、ミックスCDも毎年出るようになったよね。

杉浦:自分のパーティー『HOUSE BEAT』をやる前に、レギュラーでやりはじめたのはclubasiaの『VIVARA』だったんだけど、外にものすごい行列ができるぐらい成功して。

ーその頃のフロアアンセムはなんだっか覚えてる?

杉浦:全く覚えてないんだよね、振り返らないタイプだし(笑)。でもあの時期ぐらいまでジャンル超えたヒットってあったよね。

ーあった! Dj Rolandoの“Knight of the Jaguar”なんかはテクノでもハウスでもそれこそトランスのパーティーでもかかることがあったね。

杉浦:そういうものがある時期を境になくなったよね。DJもCDJが主流になるタイミングかな。俺が最初にパチャでDJやったのが2007年ぐらいだと思うんだけど、ターンテーブル使うって言ったら驚かれて、倉庫から埃まみれのターンテーブル出してきた(笑)。実際やりはじめたらクラブのオーナーとかマネージャーがブースに来てやっぱりレコードは音がいいって盛り上がって。

パチャでプレイした際の写真

ーさすがにイビサのトップクラブでのDJはすごいことだね。あれはどういう経緯だったの?

杉浦:“Star Baby”のAxwellのリミックスがスペインのダンスチャートで1位になって、それがきっかけで。それから3年連続でやって、パチャのスタッフがいろんなとこに連れて行ってくれてエジプトでもやったり。

ーその時期にいちばん盛り上がった曲は?

杉浦:全く覚えてない(笑)。

ー覚えてなさすぎ(笑)。

杉浦:自分の曲や古い曲はあまりかけずに新しい曲中心でやってたから。

ーでも毎年どのパーティーでも絶対かかってる曲が10曲ぐらいあるじゃない、そういうのも覚えてない?

杉浦:X-PRESS 2の“AC/DC”とかDEEP DISHの“Flashdance”みたいな強烈なやつは覚えてるけど、あとは全く。聴けばわかるけど。

ーあー、あのブレイクでドライアイスのスモークがバシャーってでるタイプ(笑)。

杉浦:あとDJとフロアの駆け引きがめちゃ面白かったでしょ。DEEP DISHが“Flashdance”の前半だけかけて別の曲になったり、“AC/DC”のブレイク出さないでひっぱったり(笑)。あれでフロアが狂いそうになるのが最高だった。パチャみたいなクラブだとそういう駆け引きが成立してたよね。オーディエンスもリリース前の曲でも知ってたり。ブースも階段の途中にあって高級クルーザーのコックピットみたいで。フロアの最高に盛り上がる場所からDJブースが見えなくて、完全にオーディエンスが主役って感じが最高だった。

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