甫木元空と菊池剛からなるバンドBialystocks(ビアリストックス)の3rdアルバム『Songs for the Cryptids』のリリースに際した短期連載。Bialystocksの音楽に心を盗まれた3人に、本人に向けた手紙を綴ってもらった。
小林私に続く2人目は、『爆音映画祭』のプロデューサーであり、映画批評家の樋口泰人が登場。樋口が代表を務める会社「boid」では甫木元空が監督を務める長編映画『はだかのゆめ』を配給、また2025年公開の甫木元監督映画『BAUS』も樋口がプロデュース。『BAUS』は当初監督を担当する予定だった青山真治が亡くなり、樋口がその遺稿を甫木元に託した。甫木元の表現に対して、それだけの信頼を置く理由はどういうものだったのだろうか。樋口から、甫木元に宛てた手紙が届いた。
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『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』の編集委員をへて、ビデオ、単行本、CDなどを製作・発売するレーベル「boid」を98年に設立した。2004年から、吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライブ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画 / 上映。2008年より始まった『爆音映画祭』は全国で展開中。2020年、新レーベル「Voice Of Ghost」を立ち上げた。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)。最新刊『そこから先は別世界 妄想映画日記2021-2023』(boid)が12月25日に刊行される。またプロデュース作品、甫木元空監督による『BAUS』は2025年3月21日より全国ロードショー公開が決まっている。
ふたつのこだまーー青山真治の遺稿を甫木元空へ託した想い
ふたつのこだまについて考えている。ひとつは太平洋から響いてくるこだま、もうひとつは日本海から響いてくるこだま。どうしてそんなことを思ったのかというと映画監督としての甫木元空最新長編『BAUS』の冒頭の波を見てしまったからだ。
あの撮影地はいったいどこだったのか、自分がプロデュースしていながらすでに記憶のかなたである。物語の設定上はかつては鰊(にしん)漁で栄華を誇った青森の深浦で、その鰊漁が不振を極めいよいよ落ちぶれるばかりということが誰の目にも明らかになった「斜陽」一直線の時期の海の風景、ということになる。だがそんな人間の営みにはまったく関係なく波は常にやってきて、その冷たさと陰りによって、いつであろうとわれわれは斜陽まっしぐらなのだと思わされてしまう冷たい痛みを、その波はわれわれの心にそっと残していく。その蓄積としての深浦の海、それが『BAUS』全体を覆っていたのではないかとさえ思う。

映画のシナリオハンティングも兼ねて一緒に深浦に行ったのは2022年の9月だった。秋というにはいくら北国でも十分に夏の日差しが残る深浦の街は、もはや単なる北国の港町のひとつにすぎなかったけれども、そのところどころにあるかつての栄華の痕跡が、なぜか過去ではなく現在のものとしてわれわれを興奮させたのを憶えている。栄華の記憶ではなくいずれ再び訪れるであろう未来の栄華が、まさに今そこにあるくすんで落ちぶれた町のどこかで輝き始めているのではないかとさえ思えるような現在性、果てしなく続く下り坂を後ろ向きに、つまり上を向きながら下っていく危うく捻じれた一歩一歩の確かさを、われわれはそこに感じたと言ったらいいか。
同じ年の3月、『BAUS』の監督予定だった青山真治があっという間に亡くなって遺されたシナリオを前に右往左往していたわたしの前に、「ようやく完成しました」と差し出された『はだかのゆめ』という甫木元の当時の新作映画の持つ奇妙な明るさ、ユーモアと言ってもいいのだが、もはや生死に関係なく人は営みを続けるものなのだと泣き笑いで語りかけてくるその空気、気配は、甫木元なら青山の遺したシナリオの壮大さ、優雅さ、邪気、狂気、そして愛を失うことなく新たな映画として思わぬ道を切り開いてくれるのではないかと思わせるものだった。
人はたとえ死んでしまったとしても、酒におぼれてしまったとしてもある日突然不意に新しい世界と出会うことができる。出会ったところで我々に何ができるわけではないし、その先に行くのも行かないのもわれわれにゆだねられつつそれさえもまたわれわれの自由にはならない何かの力によって決められてしまうこともあるのだが、『はだかのゆめ』に映る甫木元のルーツでもある高知・四万十の川や海や山や草原の、それまでの時間の持続を断ち切るような突然の出現が、それでもその先はあるのだと告げる。いつどこで訪れるかわからないそんな事故のような幸運を、それぞれが抱えながら生きているのだと。



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“ごはん”から感じるBialystocksの始まり
たとえばBialystocksの“ごはん”は食事の際の母親の「ごはん」という呼びかけが山に響いてこだまする、その記憶とイメージで作られたものだと甫木元は各所で説明している。一方で<何回も聞いたその声は / 夕飯の味を 身に着けて / 遠い 海の中で 波にのれば / 月が飛んで 夜を告げる>とも歌われる。四万十ではこだまは太平洋にも響くわけだ。それは何度も波に乗り、もはや母親でも誰でもないどこのだれかわからない何ものでもない人のこだまとなって世界中を回り、繰り返し四万十の海にもやってきて、それが今ここの母親の「ごはん」と重なり合い子供の背後に広がって背中を貫き視界を満たす。

だがBialystocksの自主制作盤ファーストアルバムではそんな「こだま」となるはずのそれぞれの楽器の響きは極端に抑えられていなかったか。エコーゲートをかけたかのようなしかし人工的ではない、ただそこにある音そのものをむき出しのまま、出所のわからない無名の響きではなくまず今ここにある音のみを世界にそっと差し出す、そんな試みがなされていたはずだ。目の前にある「ごはん」という触ることのできる物体としての音をまず作り上げることからBialystocksは始まったと言ってもいいのではないか。
つまり当たり前だが四万十の子供にとって、母親の「ごはん」のこだまの先には物体としてのごはんがあったわけだ。そのむき出しの物体そのものが岩や石や花や木々や動物や鳥や空き瓶や雨や死人が映る看板として『はだかのゆめ』では映されていた。その物体としての力と強さの周りをこだまが取り囲む。あの鳥の声、虫の声、水の音はいったいどこから聞こえてきたものだろう。その場所と時間のいくつもの境界線を緩やかにすり抜けてどこまでもゆらゆらと広がるけむりのようなこだまを、ただの物体としてそこにありそこに生きるものたちのそれゆえの強さが優しく受け入れている。そんな物体とこだまの軽やかな共存は物体としての音の強い輪郭なしにはあり得なかったはずだ。


そんな物体とこだまとの軽やかな共存ゆえに見えてくる、もはやそこにいないものたちがそこにあり続けるものたちの強い輪郭に反射する小さな悲しみのきらめきのようなものを、奇妙な明るさとわたしは感じたのかもしれない。母親はもういない。酔っ払いももういない。あの蝉ももういない。あのすずめもこおろぎももういない……。だがそれゆえにそこにある物体たちは強くそこにあり続けるのだ。



深浦では過酷な海と波の厳しさが示す希望のかけらの導きで、人々は果てしない下り坂をひたすら降り続ける。終わりのない歩み、その終わりのない歩みの中で生まれた終わりのない歌がさらにこだまとなってそこで響き続ける。そんな歌と響きを甫木元はいったいいつ聴いたのか? とある小説を書くために日本海沿岸を旅したいと言った青山の運転手としてその旅に同行したその時の日本海の響きは、いったい甫木元に何を伝えたのか? あるいはその旅の途中青山の身体からこぼれ出た言葉の数々が日本海にこだまして空に舞い雲となり雨となって地面に降り注いだその雨音の中にふと現れた青山のつぶやきを、甫木元はどこかで聞いたとでもいうのか……。
……四万十と深浦に響くこだまは気がつくと増殖し重なり合いわたしを道に迷わせるばかりである。いい加減そろそろ現実に戻らねばと思う。とにかく今、わたしが甫木元に言いたいのはたったひとつのことである。「四万十の新子とうなぎのたたきを食いに行きましょう。案内します」と言ったあの約束はいったいどうなったのだ。もう2年が過ぎた。その約束ももはやこだまとなったとでもいうことなのか。このままだとわたしは新子とうなぎのたたきを幻視しながら果てしない坂道を下り続けるばかりである。

Bialystocks『Songs for the Cryptids』

2024年10月2日(水)発売
■[CD+Blu-ray] PCCA-06324 / 5,500円(税込)
■[CD ONLY] PCCA-06325/ 3,300円(税込)
<CD>(全10曲)
1.空も飛べない
2.Kids
3.近頃
4.憧れの人生
5.虹
6.聞かせて
7.Mirror
8.頬杖
9.幸せのまわり道
10.Branches
<Blu-ray>
Bialystocks 2nd Tour 2023 – EX THEATER ROPPONGI
1.Nevermore
2.コーラ・バナナ・ミュージック
3.花束
4.またたき
5.Emptyman
6.Over Now
7.ただで太った人生
8.差し色
9.朝靄
10.All Too Soon
11.灯台
12.フーテン
13.あくびのカーブ
14.Winter
15.Thank You
16.頬杖
17.I Don’t Have a Pen
18.Branches
19.Upon You
20.光のあと
21.日々の手触り
22.雨宿り
樋口泰人『そこから先は別世界』

製作・発売:boid
A5変形判 並製/本文496ページ/定価:本体3,800円+税