映画監督・山中瑶子。生前の坂本龍一も激賞した『あみこ』(2017年)で一躍、注目を浴びた才能だ。そんな才能に心惹かれた人物がもう1人。それがドラマ『不適切にもほどがある!』や映画『あんのこと』『ルックバック』に出演し、大活躍する俳優・河合優実である。
高校時代の河合は『あみこ』を観て、山中監督に直接ファンレターを渡したと多くの媒体で語っている。そんな河合の山中監督への愛がついに実現したのが2024年9月6日公開の『ナミビアの砂漠』。河合は、自分を大切にしてくれる恋人を平気で裏切り、仕事も惰性で続けているような主人公カナを演じている。一見すると、理解しづらい人物であるカナの物語を、どんな思いでつむいでいったのか。監督本人に聞いた。
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はじまりは、一通の手紙だった。主演・河合優実との縁
―主演・河合優実さんが高校時代、山中監督の『あみこ』を見て、監督の映画に出たいと言われたそうですね。
山中:ポレポレ東中野での上映後に、手紙を手渡しでもらいました。そこに「女優になります」「いつかキャスティングリストに入れてください」って書いてあったんです。

1997年生まれ、長野県出身。日本大学芸術学部中退。独学で制作した初監督作品『あみこ』が「PFFアワード2017」に入選。翌年、20歳で「第68回ベルリン国際映画祭」に史上最年少で招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。ポレポレ東中野で上映された際は、レイトショーの動員記録を作る。本格的長編第一作となる『ナミビアの砂漠』は「第77回カンヌ国際映画祭 監督週間」に出品され、女性監督として史上最年少となる「国際映画批評家連盟賞」を受賞。
―そして、河合さんは本当に役者として活躍されていくわけですね。そんな出会いから、今回の企画にはどうつながったのでしょうか?
山中:もともとは全く別の原作モノの企画が約3年前に立ち上がって。原作を読んで、その主人公が河合さんにピッタリだなと感じて、オファーしました。1年半くらいその脚本を練るのに時間をかけていたんですが、撮影のための準備稿を出さないといけないタイミングでかなり煮詰まってインドに逃避したんです。
そこで今の自分ではその企画を全うできないとはっきりわかって、降りたいと申し出ました。そうしたらプロデューサーが「せっかく河合さんも待ってくれていたからオリジナルで好きにやってみない?」と言ってくれて、それで急遽企画変更になったんです。

―では最初は原作ありきで、河合さんとマッチしそうということで一緒にお仕事する方向になったんですね。
山中:そうですね。ただ実は、4年くらい前に人づてで「河合さんが一緒にやりたいと言ってくれているよ」と聞いたんです。『あみこ』から2年くらい経っていて、その頃には河合さんの活躍を見る機会も増えていたのに。「あの手紙で書いてくれていたことは本当なんだ!」とうれしくなって、いつか機会を見つけて一緒にやりたいとは思っていました。
―原作ものからオリジナルへと企画が変更になって、どう脚本を膨らませていったのでしょうか?
山中:まず私自身が、どういう河合さんが見たいかということを考えました。それで出てきた主人公像が、無責任で自分勝手だけど、どこか憎めないところのある人だったんですね。
そこから自分の好きな映画や気になるテーマ、男性2人が出てくるというざっくりとした設定とかをバーッと書き出していって、1本の映画になりそうな要素を見つけていくという普段通りの作業をしました。すると「逃走から闘争へ」というワードが浮かんできたんです。まだ脚本として書き出せる状態ではないけれど、そういう地図みたいなものは大きくなっていて、「いける!」と感じはじめました。
あらすじ:21歳のカナ(河合優実)は何に対しても情熱を持てず、恋愛ですらただの暇つぶしに過ぎない。同棲中の恋人ホンダ(寛一郎)は家事などもやり献身的にカナを喜ばせようとするが、彼女は自信家のクリエイター・ハヤシ(金子大地)との関係を深めていくうちに、ホンダの存在を重荷に感じる。
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作品タイトルに託したもの。安全圏にいる私たちの欺瞞に満ちたまなざし
―タイトルはなぜ『ナミビアの砂漠』になったんですか?
山中:構想となる地図を実際に脚本に落とし込んでいく段階で、河合さんが演じるカナという人物像があまり見えてこないなと感じるタイミングがありました。カナはいつも誰かと一緒にいるけれど、家に1人でいる時間は何をしてるんだろうと考えたときに、実際にYouTubeで配信されているナミビアの砂漠のライブ映像のこと、それを自分が見ていた時期のことを思い出したんです。
山中:それで調べていたら、あの映像に出てくる水飲み場が人工的なものだと知りました。国立公園が運営しているチャンネルなんですが、あえて言い方を悪くすると、動物をおびき寄せて我々に見せてくれているんだと思ったんです。
世界最古といわれている砂漠で、ナミビアとは「何もない」という意味らしいんですが、「めちゃくちゃ人工的な介入がここにまであるじゃん!」と驚いて。チャンネルの収益が還元されて、土地や動物たちが潤うのは良いことだと思うんですが、見ている私たちはいつでも手軽に安全圏から見ることができて、癒されている。そうした距離感のズレに社会の欺瞞のようなものを感じて、この作品とマッチしていると感じたんです。
―距離感のズレですか。
山中:カナは身近な友達や恋人は粗雑に扱うけれど、少し距離のある隣人や、医師の話は意外と素直に聞けるところがある。でもそれは普遍的なことだと思うんですね。親の言うことはすんなり受け入れられないけど、よく知らない人のアドバイスには耳を傾けてしまうとか。
そうした他者との距離感って、ナミビアの砂漠の配信を見てボーッと癒されるときに、フレームの外のことは考えもしないということと近いのではないかと思いました。無責任だからこそ、遠いところに思いを馳せられるのかもしれないなと。でもこれは私が勝手に考えたことなので、観た人は自由に楽しんでほしいとは思います。

―カナというキャラクターは生命力やエネルギーに溢れていて、タイトルも手伝って動物的な魅力のある人物にも見えました。
山中:世界に疲弊しているのに、感情が全身にいっぱい出ていますよね。私もカナが大好きです。