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結成約20年。台湾語で発信し続ける意義
ー改めてお聞きしたいのは、Sorry Youthがなぜ台湾語で歌うのか? というテーマです。2005年に結成して以来歌詞は全て台湾語で、2024年8月に台北ミュージックセンターで行われたワンマンライブのMCは、全編台湾語で行われました。台湾語は話者が2番目に多い言語ですし、母語保存運動というムーブメントがあるのは存じてるんですけど、それ以上に台湾語とみなさんのバンド活動や表現というのは、密接につながっていると思うんですよね。もともとみなさんは台湾の高雄市(※)出身でしたよね。
チュンハン:そうですね、子供のころから家庭では祖父母や両親は台湾語で会話をしていたので、台湾語が自然と身につきました。学校では中国語を習ったのでもちろん話せますが、中国語と台湾語は語彙が違っていて、中国語は生活に近い、実用的な単語が多いな、と感じます。一方台湾語は、現在の生活やトレンドとは離れている単語も多いんですけれど、その分想像の余地があり、感情豊かに表現できる言葉だと思います。
※台湾南部の都市で、台湾語使用率が高いと言われている。

ウェニ:台湾語で表現すること自体がロックだからとも言えます。台湾語は400年以上前に、台湾人の祖先が中国福建省から渡ってきて、鄭氏政権、清朝、日本統治時代などを経て独特の進化をしてきました。そして、終戦後は中国語が国語に定められ、台湾語で話すことを実質禁止され、政治的に厳しい抑圧をされた歴史があります。そんな中でも、リン・チャン(林強)、ウーバイ(伍佰)をはじめとする先輩ミュージシャンたちが台湾語で良い曲を作り、アイデンティティを残し続けた。今は自由な時代になったからこそ、その反骨精神や精神性を受け継ぎたいと思っているんです。

ーなるほど、中国語と台湾語の関係は、日本の標準語と関西弁のように、単純に主・副と置き換えられるものでもないと。特に好きな、台湾語の曲はありますか?
ジャン・ジャン:風籟坊 Windmillというバンドの“長途電話”が好きですね。ある少年が生活のために故郷を離れ、日雇いの仕事に奮闘しながらも、いつも故郷の誰かを探して長距離電話をかけ、生活の大変さを伝える、という物語を歌っています。