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感情を動かす練習、くだらないことに反抗する練習
―その「喜び」の感情と、最初に話した「怒り」の感情は、もしかしたら結びつくのかもしれないなとも思いました。というのも、私は音央に対して、何かを楽しんだり、面白がったりする力がすごく強い人だなという印象を抱いていて。それはもしかすると、普段から喜怒哀楽のいろいろな部分をちゃんと動かしているから、感情の筋肉がほぐれているということなのかもしれないなと。
空:そう言われて思い出したんだけど、自分にはどんな体験も経験できてよかったと思おうとする傾向があるんです。ちょっと、職業病みたいなところもあるかもしれないんだけど。たとえば、すごく嫌な感情とか嫌な出来事でも「それって、これまで感じたことがなかったじゃん」と考えている自分がいる。
自分は最近、父親が死んで。すごく悲しいし、死に際に立ち会うというのはショッキングな経験だったんだけど、人生で一度きりの体験なわけで。変な話かもしれないけど、それは経験できてよかったな、と思う自分がいることに気がついた。自分の感情が、今まで感じたことのない状態に動かされたことが、すごくありがたいなと思う部分もありました。

―「この感情を経験できてよかった」と考えるようになったのはいつ頃から?
空:中学か、高校のときかな。その頃、意図的に「痛い」と感じる映像を見ていたような時期があったんだよね。
―それはどうして?
空:知りたいから。
―痛い感情を?
空:そう。
―たとえばどんな……?
空:うーん、その頃、ちょうどYouTubeが出てきて、コンテンツの制限もあまりなく、手術の動画や戦場のリアルな映像とかを見ていました。……楽しんで見ているわけではなくて、本当はみたくないと思いながら、こういうことも世界にはあるんだから見る責任があるんだ! と自分に言い聞かせてみる、みたいな感じです。こんなこと言ったら、すっごいヤバい人みたいですけど(笑)。
―(笑)。
空:でもそのように、日常生活では経験できないことをメディアを通してやけに摂取しようとしていた時期がありました。世界ではいろいろな出来事が起こっているけど、それを自分は全ては経験できないし、ものによっては経験しにいく勇気もない。けど、できるだけいろいろな感情を知りたくて。

空:それは映画をよく観にいくようになった大きな理由の一つでもある。もちろん嫌なことだけじゃなく、ロマンティックな映画を観たら、自分が感じたことのないような、素晴らしい愛の感情を知れたりもするし。人がそれを観てどう感じたかを聞くのもすごく好きで。いろいろな感情を自分の中で蓄積させていきたいな、という気持ちが学生時代に芽生えたんです。
―感情を動かす練習みたいなことですよね。音央が『HAPPYEND』のプレス用資料で「筋肉をつけていかないと、本当に大きいルールや法律を破らないといけない状況に陥った時行動できなくなる」と書かれていたことも思い出しました。
空:日常の小さなレベルから無意味だったり、害があると思ったことに反抗して壊していくことを「アナキズム準備運動(anarchist calisthenics)」と言ったりもするんだけど。くだらないものに遭遇したらしょうがないと思うのではなく、それを変えるために直接的な行動に移せることは、本当に大事だと思ってる。映画の中では、ユウタがそれを無意識に、自然体のままでやっているキャラクターなんだけど、より自覚的にできればなおいいのかな、って思うんです。


空:自覚的にならないと、表面的に見えにくい構造的な暴力にはちゃんと抗えない。同時に、自覚しているだけでなく、積極的に反抗して壊していくというのも大事だと思ってる。そうじゃないと、徴兵制とか、人を戦争や虐殺へ向かわせるような法律やシステムが科されたときに、太刀打ちできなくなってしまう。
システムではなく「自分に従う思考能力」みたいなものを今後さらに培っていかないと、日本は戦争に加担してしまうと思うし、巻き込まれるとも思う。すでに日本社会に存在する暴力的な構造にも気付けない。たとえば、日本で年金を払っている人は知らず知らずのうちにそのお金がイスラエルの国債や軍需企業に投資されているんです。確実にそういう世界的な局面にいるんじゃないかな。