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「手に職がない」という独立後の危機感から、ライブ行脚をスタート
―レーベルを始めてすぐにお金がなくなったというお話でしたが(笑)、実際経営的にはどのように進めて行ったのでしょうか?
曽我部:まあ、やりながらかな。結局ライブで各地を回って、そのギャラとか物販の売り上げがないとっていう感じではあったよね。ライブめちゃくちゃ入れてたもん。

―宣伝はどうしていたんですか?
曽我部:当時は雑誌に広告を打ったりする体力は全くなかったし、例えば『ROCKIN’ON JAPAN』に広告を打つことと、好きなアーティストに自分たちの曲をリミックスしてもらってレコードをつくるのと、どっちがいいかなって考えたら後者だったのね。そもそも比べるもんじゃないんだけど、根本にはそういう思いがあるから、次第にメディアへ出稿もしなくなったんです。
だから宣伝と言っても、自分の足でどこでも行って歌ってくることしかなくて、もうひたすらそれ。そうやって「どこでも行きます」っていうスタイルでやり始めたら、「ライブとかやったことがないカフェなんですけど、呼べますか?」みたいな連絡が結構増えてきて。だから今はいろんな人がそこでライブをやってるけど、俺が一番最初だったっていう場所が結構あるんです。

―曽我部さんきっかけでライブスペースとして使われるようになったと。
曽我部:「どこでもできますよ。マイクとかなくてもいいんで」ってやってたから。それは一つには、自分の力をもうちょっとちゃんとつけなきゃっていうのもあったんです。それまでどさ回り的なことをしたこともなくて、移動に新幹線が用意されているようなおぜん立てされたツアーだったから、自分で会場に行って、お金をもらって帰ってくるっていうのをやらないとなって。そのとき30代前半だったんだけど、ここでこのあとのキャリアも変わってくるなってすごい思ってて。だからもうめっちゃライブやってた。
―そんな危機感があったんですね。
曽我部:独立したときに手に職がないなっていうのをすごい実感して、手に職をつけなきゃって思いました。そのうちに、ここはお客さんがこれだけ入ったら何%バックをもらえるとか、チケットの売り上げは全部バックしてもらう代わりにドリンク代は会場に入れるとか、いろんなやり方があるんだなっていうのも勉強になったし、物販はどういうのが売れるかなとか、Tシャツつくるのはいくらかかって、みたいなこともちょっとずつわかっていって……それで今に至るって感じ(笑)。そのやり方は今もあんまり変わってないね。
