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映画『正体』レビュー 横浜流星と藤井道人監督、両者にとっての集大成

2024.11.29

#MOVIE

11月29日(金)より、染井為人によるベストセラー小説を映画化した『正体』が公開中だ。結論から申し上げれば、エンターテインメント性をストレートに押し出した、老若男女におすすめできる日本映画の決定版といえる出来栄えだった(ただし「殺害現場の流血の描写がみられる」という理由でPG12指定がされていることには注意)。

監督は『余命10年』『青春18×2 君へと続く道』などヒット作を続々と世に送りだす藤井道人。主演の横浜流星とは『青の帰り道』『ヴィレッジ』『パレード』でもタッグを組んでおり、この『本心』はもともと藤井監督が4年も前から「横浜流星主演で長編映画を作る」企画として立ち上げていたそうだ。

その念願が叶って、藤井監督は完成披露試写会で自ら「自分の中で集大成となった作品」と宣言した。その言葉通り、若くしてキャリアを積み上げてきた藤井監督と、作品によって様々な顔を見せてきた横浜流星という役者にとって、ひとつの到達点を迎えた作品となっていた。作品の魅力を示しつつ、その理由を解説しよう。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

主人公を疑いつつも気になっていく、人々の心の揺らぎ

本作のあらすじは「日本中を震撼させた殺人事件の容疑者として逮捕された青年(横浜流星)が脱走して逃亡犯となり、行く先々でその素性を隠しつつ、出会った誰かと交流を重ねていく」というシンプルなもの。そして、彼を疑いつつも信じようとする人々の関係と、それぞれの心の揺らぎが大きな見どころだ。

(左から)建設会社で働く青年・野々村和也(森本慎太郎)と指名手配班の鏑木慶一(横浜流星)

ブラックな建設会社で働く粗野だが憎めない青年(森本慎太郎)、孤独を抱えるメディア会社の社員(吉岡里帆)、挫折を経て介護士になった女性(山田杏奈)……と、性格や立場がさまざまなキャラクターたち。それぞれが主人公を(逃亡犯ではないかと)疑いつつも、人間として気になっていく(好きになる)過程は、実力派の俳優それぞれの熱演もあってグイグイと引き込まれる。主人公の逮捕にひたすら執念を燃やす刑事を演じた山田孝之も、彼らと対照的な(あるいは部分的に気持ちを同じくする)存在として印象に残る。

刑事の又貫征吾(山田孝之)

もちろん表向きには主人公は凶悪な殺人鬼であり、懸賞金も掛けられているので、現実的に考えれば取る選択は「通報」一択のはずだ。しかし、彼と出会ったそれぞれが往々にして「すぐにはそうできない」ほど、彼に思いを寄せていることが痛いほどに伝わる。その過程で、見る人それぞれが自分に似たキャラクターに自身を投影して、「自分ならどうするか」と考えることもできるだろう。

同時に、「主人公は本当に凶悪な殺人を犯したのか」「それとも冤罪なのか?」と、劇中で彼が出会う人々と同じく、観客もいい意味で疑心暗鬼になり、その真相を見届けたくなる面白さがある。

藤井道人監督と横浜流星それぞれの集大成

藤井道人監督は自身の作品でほぼ一貫して、同調圧力や望まない状況にいることで、生きづらさを抱えている人を描いている。今回の「指名手配をされ、警察のみならず、一般市民からも追われる四面楚歌な主人公の逃亡劇」は、まさにその作家性が究極的に発揮される題材といっていい。

逃亡犯の主人公はもちろん、彼と交流する人々それぞれの、周りから理解されない、または誰かを頼れなかった苦しみも伝わる、彼らの出会いと変化、いや救い、もっといえば人間讃歌を描く藤井監督の手腕が、これ以上なく発揮されている。だからこそ、藤井監督の集大成といえるのだ。

(左から)介護施設で働く酒井舞(山田杏奈)と鏑木慶一(横浜流星)

演技の幅の広さにも定評がある横浜流星にとっても、「5つの顔を持つ逃亡犯」という役柄はまさに集大成だ。もっとも近いのは、やはり藤井監督と組んだ『ヴィレッジ』の「最悪な状況が重なり『修羅』に落ちる」様だろう。他にも『線は、僕を描く』の時のようにひたすらに純朴かつ繊細な青年や、はたまた『流浪の月』の時のようにまともなようで攻撃的な一面を匂わせる恋人を連想する場面もあった。

(左から)メディアライターの安藤沙耶香(吉岡里帆)と鏑木慶一(横浜流星)

横浜流星は常々「演じる」ではなく「(役を)生きる」と表現しているそうだ。その言葉通り、仕草や声色や目線に至るまでこだわり、『正体』というひとつの作品において、5つの顔それぞれで本当に違う人物と思えるほどの雰囲気をまとっている。それは、前述した主人公の文字通り「正体」を疑ってしまう劇中の人々と、さらには映画を見ている観客の心理を強く揺るがせるために必要なことであり、その難しすぎるハードルを、横浜流星ははっきりと超えたのだ。

さらには、横浜流星は中学時代に空手の世界王者となり、さらに2023年にはボクシングのプロテストに合格して、『春に散る』ではもはや「本物」のボクサーの青年に扮していた。その飛び抜けたどころではない身体能力は、今回の『正体』でも「マンションのベランダから飛び降りて全力疾走して逃げる」スリリングなシーンに活かされている。このシーンではアクション指導者やカメラマンとの連携に苦労したこともあり、計14回もジャンプを重ねたそうだ。そのかいあっての、本気の走りぶりにも注目してほしい。

原作者が認めた「アンサー的映画」

本作は純然たるエンターテインメントおよび完全なフィクションであるが、日本の司法制度や警察組織の腐敗といった社会問題、さらにはソーシャルメディアの功罪に切り込む場面もある。警察が性急かつ勝手な判断を下したり、それでも主人公の潔白を信じる人々の姿から、現実の一家4人殺害事件の再審で無罪が確定した袴田巌のことを思い出す方もいるだろう。

また、原作小説を読んでみると、2時間の映画に落とし込むための取捨選択と再構成は的確だと思えた。そして、原作者の染井為人が「ぼくが描かなかった部分をあえて主軸に置いていて、映画『正体』は小説『正体』のアンサー作品だと思います」と語っていることも重要だ。具体的にどういったアンサーが投げかけられたのかは、今回の映画のネタバレになるのでいっさい書けない。だが、なるほど原作小説を読めばこそ、確かに現実の社会問題に対する、映画ならではの誠実な「答え」があった。

あえて本作の難点をあげるのであれば、行く先々で素顔や無防備な姿をさらしていく、日本中に知られた指名手配中の脱走犯が、ここまで長い期間逃げ切れることに、少し無理を感じてしまうことだろうか。原作小説では整形をした(と思われる)場面がある他、誰かに出会う前の状況の説明(推理)もあって補完できるのだが、映像作品ではそこをもう少し突き詰めても良かったのかもしれない……が、一方で、17年間も逃亡していた指名手配犯が日本にいる現実なども踏まえれば、決して絵空事ともいえないのかもしれない。

そんな難点は、全体の完成度と面白さからすれば、ごくごく些細なこと。藤井道人監督の作家性を全開にして、横浜流星の魅力がこの1本の映画だけで味わいつくせるほどに詰まった、ここまで万人におすすめできるエンターテインメントを、映画館で見ないのはあまりにもったいない。日ごろ日本映画を見ないという方も、そのレベルの高さを知るためにも、ぜひ劇場へ足を運んでほしい。

『正体』

■公開:11月29日(金)
■監督:藤井道人
■出演:横浜流星 吉岡里帆 森本慎太郎(SixTONES) 山田杏奈 山田孝之
■脚本:小寺和久、藤井道人
■原作:染井為人『正体』(光文社文庫)
■配給:松竹
■公式サイト:https://movies.shochiku.co.jp/shotai-movie

(C)2024映画「正体」製作委員

<STORY>
日本各地を潜伏し逃走を続ける、5つの顔を持つ指名手配犯
彼と出会い、信じる、疑う、恋する、追う4人--彼は凶悪犯か、無実の青年か?

殺人事件の容疑者として逮捕された鏑木(横浜流星)が脱走した。潜伏し逃走を続ける鏑木と日本各地で出会った沙耶香(吉岡里帆)、和也(森本慎太郎)、舞(山田杏奈)そして彼を追う刑事・又貫(山田孝之)。又貫は沙耶香らを取り調べるが、それぞれ出会った鏑木はまったく別人のような姿だった。間一髪の逃走を繰り返す488日間。彼の正体とは?鏑木の計画とはーー。

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