第1話のNHKプラスにおける同時または見逃しでの視聴数が、これまでNHKプラスで配信した全ドラマ(連続テレビ小説・大河ドラマを除く)の中で最多視聴数を記録し、その後も、様々なドラマの人気ランキングで上位にランクインするなど話題となっているドラマ『しあわせは食べて寝て待て』(NHK総合)。
公式サイトで紹介される薬膳レシピも好評で、NHKの火曜22時台のドラマ枠「ドラマ10」のドラマとしては異例の特集番組「しあわせは食べて寝て待て~ありがとうSP」(NHKプラスでは5月31日まで無料配信中)も最終話直前に放送された。
団地暮らしや薬膳生活による「古き良き丁寧な暮らし」の素晴らしさを描いた第1話~第4話までを振り返った記事に続いて、本作のもう一つのテーマを伝える第5話~第8話について、ドラマ・映画とジャンルを横断して執筆するライター・藤原奈緒がレビューする。
※本記事にはドラマの内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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「干す」というネガティブ・ケイパビリティ

「冬になったら、大根も干そうと思ってます」
「何でも干しますね」
「何でも干しますよ」
『しあわせは食べて寝て待て』第8話のさとこ(桜井ユキ)と司(宮沢氷魚)の会話だ。切り干し大根に干し筍、さらには大根をそのまま。最近「何でも干す」ようになったさとこにとって、「干す」ことは、彼女流の「ネガティブ・ケイパビリティ(自分ではどうにもならない状況を持ちこたえる能力のこと)」なのかもしれない。第4話の青葉乙女(田畑智子)が、思い出の味であり、好物でもあるとろろを食べることが「私のネガティブ・ケイパビリティなの」と言ったように。それはどこか、司が第5話で鈴(加賀まりこ)に言われた「柿って身体を冷やすっていうじゃない。でもね、お日さまに干すと変わるの。あなたも、ここでしばらくお日さまに干されたら、あんばい良くなるんじゃないかしら」という言葉と繋がっている気がする。さとこはきっと、「干す」ことで、変わりたくても変われない日常を変えようとしている。「食」を通して、人と人が繋がっていくことの素晴らしさを、そして、生きたいように生きることの容易でなさを描き続けたドラマ『しあわせは食べて寝て待て』が最終話を迎えようとしている。
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旅立つことだけではない「新しい可能性」

『しあわせは食べて寝て待て』の第5話から第8話を通して描かれたのは、団地から旅立っていく人々を見送り、新しい可能性を探して、副業、移住など何度も奮起するも、持病が悪化し、どうにも上手くいかないさとこの姿だった。第4話までの内容から、団地暮らしや薬膳生活による「古き良き丁寧な暮らし」の素晴らしさを呈示するドラマかと思いきや、それだけではないことに驚かされた。
「やっと出ていける。出ていけたら、絶対帰ってくるもんかって思ってたんですけど。……けど」と思いを残しつつ、進学が決まり、団地を後にする目白弓(中山ひなの)。それぞれに現状の生活に行き詰った末に、さとこに代わって移住を決めた反橋りく(北乃きい)と八つ頭仁志(西山潤)。そして、鈴の娘・透子(池津祥子)に鈴の面倒を見ることを正式に頼まれ、困った末に、ふらりと旅立つことを決めた司。第6話で「ここの人たちは、こうやってただ我慢してきた人たちなんだなって。だったら、もうここに未来はないなって」と言い切る高麗なつき(土居志央梨)の言葉はどこか、団地を出て行く彼女ら彼らの思いを代弁しているかのようで、さとこにとってたくさんの可能性を諦めた先に辿りついたその場所の、もう1つの側面を残酷に示してもいる。
巣立っていく人々を、ただ見送ることしかできないさとこは、時折「世界に置いてきぼり」になったかのような感覚に襲われる。旅立つことは、分かりやすく「新しい可能性」へと向かうことだ。でも、団地に留まり続けることもまた、一つの可能性なのではないかという問いの答えを、彼女と共に探し続けるのが、本作後半の1つの見方だったようにも思える。
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「家族のケア」と「自分らしく自由に生きたい」の間の葛藤

第5話から第8話では、それぞれが抱える「ケア」を巡る問題も丁寧に描かれていた。第5話で、司が家族を持とうとしない理由には、幼少期からヤングケアラーとして介護と家事に追われていた過去が関係していたことが判明した。「自由でいないと自分が保てない」司も、「同居するといろいろ気を遣うから、気ままっていうわけにはいかない」から息子夫婦との同居を断った“ウズラさん”こと志穂美春子(宮崎美子)も、実家での食生活における価値観の相違に耐えられなくなり、団地を出ると決意した反橋も、根底にあるのは、誰かが担わなければならない「家族のケア」の問題と、「自分らしく自由に生きたい」と願う個人的な気持ちの間における葛藤である。
そして第8話で描かれたのは、高齢である鈴が、変わらず今まで通りずっと団地で暮らし続けたいと思っても、誰かのケアなしでは叶わないのだという残酷な現実だった。鈴が抱えるその切なさは、さとこの母・惠子(朝加真由美)が娘に望んでしまう多くの可能性を、「食べられないご馳走、わざわざ目の前に並べられているみたい」と表現した、さとこの切なさと重なり合う。
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何かを食べさせるさとこの姿と母の並べた「ご馳走」の数々

先の記事でも書いた「生産性や向上心があってこそ認められる場所」である社会から一歩外れたその先にある「自分のペースで生きる幸せ」には、常に少しの「孤独」が付き纏う。本作を通して痛感するのは、自分らしく生き続けることと、大切な誰かと一緒に生き続けることは必ずしも一致しないということだ。でも、ずっと1人で生きなければならない訳ではなくて、それぞれに孤独を抱えた彼女ら彼らは、「食」を通して互いの幸せをちょっとずつ持ち寄って暮らしている。相手の思いが強くなり過ぎたら少し離れて、適切な距離感を意識しながら。
他者の葛藤を目の当たりにしたとしても「抱えている悩みは1人ずつ違って、他人にはどうすることもできないのかも」と、ただ傍で話を聞くだけで、深くは関わろうとしないさとこが、話す相手に対し、突発的に何かを食べさせようとする姿が好きだ。例えば第5話において、司と行った山で彼の過去の話を聞き、何を言うでもなく、手にしていた「気持ちが沈んでいる時にいい」「元気になれる」栗を懸命に差し出そうとする姿。もしくは第6話において、できたての金柑のシロップ煮を、受験勉強のために部屋を借りに来た弓の口に放り込む姿。一方で、さとこの母・惠子が、さとこの家を訪ねテーブルの上に餃子に酢豚、ハンバーグ、エビグラタンと「ご馳走」を4つも並べたのも、母の「食」を通した愛だった。その後、実家に赴いたさとこは、庭でままごとをして遊ぶ姪を見て、姪にかつての自分を重ね、母の並べた「ご馳走」の数々が、どれも過去の自分の好物だったことを思い出す。
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住み続けることによる「しあわせ」に向かって

食べ物は、それを食べた時に感じたこと、言われたことなどのエピソードごと、その人の心と身体にずっと残る。だからこそ、「自分の家やら持ち物を手放すのは我慢できるけどね、自分の味で食べられなくなるのは辛い」という第8話の鈴の言葉は重い。私たちにとって、本当の意味で「帰る場所」となるのは、家でも団地でもなく、それぞれが愛する「味」なのだ。そしてその味は、慣れ親しんだ我が家の味とは限らないし、様々な事情で、かつての自分が好きだった味を楽しめなくなることだってある。日々変化し続ける、その時その時の自分の身体が喜ぶご飯こそが、「世界で一番美味しいご飯」なのだと本作は教えてくれる。そして誰かの心と身体の養分となったその「味」は、その人の幸せな記憶とともに、他の誰かの心に伝播していく。本稿の冒頭で紹介した干し柿のエピソードが、元は、司が鈴に言われたことの受け売りであったように。
司がいなくなった朝、鈴の切なさを癒すのは、「粥有十利(しゅうゆうじり)」という司の言葉の受け売りを言って微笑むさとこと、さとこが作った小豆粥の優しい味だった。移住という「新しいこと」に挑戦できる可能性がなくなり、「ここに住み続ける」と決めたことで「また別の新しい可能性が生まれた」と第8話のさとこは言った。それもまた、第1話で鈴が言った「いい条件が重なった」ということだ。いい条件が重なり続けたその先の「しあわせ」は、永遠に続くものではないかもしれないけれど、それでも懸命に、前を向いて生きようとする彼女の人生は、この先もずっと明るい気がする。
ドラマ10『しあわせは食べて寝て待て』

NHK総合にて毎週火曜夜10時から放送中、NHKプラスにて見逃し配信中
最終話(第9話)は5月30日(金) 午前0:35からNHK総合にて再放送予定
公式サイト:https://www.nhk.jp/p/ts/B9N328J5VP/