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駒田早代が貫く三味線文化の守り方。インスタでレッチリを弾く理由

2025.7.14

#MUSIC

テレビで、「フォロワー約84万人、インスタのカバー動画で有名な人」という紹介のされ方をしていた三味線奏者・駒田早代の存在を知った時、「やっぱり伝統芸能も今はショート動画なんだな」という月並みな感想を素直に抱いた。「はやりには逆らえない」という聞き馴染みある教訓の事例が更新されたと思った矢先、彼女は動画を更新する理由を語り始めた。三味線という伝統芸能を後世に受け継ぐための一つの手段であるという。伝統芸能というフィールドから急速に市民権を得たフォーマットに歩み寄った彼女の動機が、自身の承認欲などではなく、もっと大きいものであると知り、問い合わせフォームから取材の申請をするまでそう時間はかからなかった。

「三味線がメインストリームではないという自覚はある」と冷静に語る駒田は、楽器への熱意と、次世代へと繋げていくための信念を熱心に語ってくれた。マネージャーを務める母を交えながら、三味線との出会いや楽器の種類さえ知らずにがむしゃらに練習した子ども時代、そしてしきたりに捉われずに自分が信じる方法で伝統を守っていく決意を伺った。

志村けんの弾く三味線の音に憧れた幼少時代。楽器の種類なんて知らないまま没頭した練習

志村けんさんがきっかけで三味線を始められたと伺いましたが、志村さんのどういったところに惹かれたのでしょうか?

駒田:志村さんは三味線と出会わせてくれたきっかけの人で、最初に惹かれたのは志村さんが弾く三味線の奏でる音でした。子どもながらに、弦が3つしかない楽器を1人で弾いてるとは思えなかったんです。最初に音源で”南部荷方節”という民謡を聴いたとき、てっきり合奏だと思って。「どうすればこんな音が出せるのか」という楽器への興味と、「自分も弾けるようになりたい」というのがきっかけだったと思います。

駒田早代(こまだ さよ)
津軽三味線と長唄三味線の二刀流奏者として活動。7歳から津軽三味線、10歳から民謡を始め、15歳の時に第9回津軽三味線日本一決定戦で優勝。2022年東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業 。2023年四代目杵屋五三郎お家元より「杵屋五司駒(きねやごしこま)」の名を許される。Instagramに投稿している洋楽のギターリフカバー動画が話題で注目を集め、伝統音楽とポップカルチャーを融合させた独自の音楽性を展開。2024年には、1stアルバム『月前恋歌』を発表したほか、11月にはペルーで開催された日本人ペルー移住125周年記念コンサートに出演するなど、多くの反響を呼んでいる

ーそもそも、なぜ三味線だったのですか?

駒田:志村さんの三味線を見た母が勧めてくれたんです。

駒田(母):以前、テレビ番組の『新春かくし芸大会』でドリフターズさんが黒紋付きを着て三味線を弾いているのをたまたま見たことがあったんです。当時は三味線に津軽や長唄などの流派があることも知らず、ただただ圧倒されました。

私もやってみたかったんですが、インターネットもない当時は、簡単に情報にアクセスできるわけでもなく諦めざるを得なくて。そしたらある時、娘が習い事をしたいと言い出したので、「三味線はどう?」って。

ーなるほど。元々はお母さまがやりたいことだったんですね。

駒田:そうみたいです(笑)。ゆくゆくは、習い事として一緒にできたらという気持ちもあったらしいのですが、私の方が忙しくなってしまって……。母にはマネージャーとして支えてもらっています(笑)。

ー先ほどお話されていたように、三味線にもいろいろ流派があると思いますが、津軽三味線を選んだのには理由があるのでしょうか?

駒田:正直に言うと、三味線って一種類しかないと思ってたんです。たまたま近所にあった教室が津軽三味線で、種類があるなんて気づかないまま、ひたすら技術だけ磨いてました。三味線にいろんな流派やタイプがあるって知ったのは、高校生になってからでした。志望校の東京藝術大学には長唄三味線の専攻しかなかったんです。

ーということは、そこから長唄三味線を練習されたんですか?

駒田:はい(笑)。

ーそれでも、東京藝術大学には現役で合格されたんですよね?

駒田:そうなんです。「私はこれから新しい楽器を習うんだ」っていう気持ちで割り切って習ってました。

ーすごい……。実際に、津軽三味線と長唄三味線はどれくらい違うものなんですか?

駒田:全くの別物ですね。演奏スタイルも全然違うし、使ってる道具も違うんです。津軽はべっこうのバチを使ってるけど、長唄は象牙だったりして。三味線の形からして違うし、譜面もまったく別なんですよ。

ー普段あまり縁がないので、三味線の難しさに想像が及ばないのですが、ギターで言うところのFコードのように、初心者がつまずきやすい三味線の奏法はありますか?

駒田:基本のテクニックとして、1弦だけを鳴らす弾き方があるのですが、始めたての方の多くが苦戦していますね。弦に当てられずに、すかしてしまったり、他の弦も弾いてしまったりしてしまうんです。ギターのようにどうしても左手の運指が大事なように思えるけど、その前に右手の使い方がとても大事なんです。

ー1つの弦だけを狙って弾くのが難しいっていうことなんですね。

駒田:そうなんです。それができるようになったら次は「前バチ」「後ろバチ」という動きがあります。左手に近い方の三味線のボディを叩くことが「前バチ」、反対側を叩いて太く大きい音を出すためのものが「後ろバチ」です。グルーヴを出すための奏法で、民謡の手拍子にあたるリズムを生み出す役割があります。

左手に近い方の三味線のボディを叩く「前バチ」のを披露してくれた駒田

ーなんで「前バチ」「後ろバチ」が難しいんですか?

駒田:単調に前後に叩いていればいい訳ではなく、「前に行くとき」と「行かないとき」があるのですが、感覚で覚えるものなんです。規則性がない。ギターとかトランペットとかの楽器経験者であればあるほど、その感覚を掴むのが難しいみたいで。説明することもできますが、例外も多いので、本当に慣れるしかないですね。

三味線への情熱とマイナーな習い事へのコンプレックスを抱えた学生時代

ー駒田さんの経歴にお話を戻すと、高校2年生で津軽三味線日本一決定戦のA級女性の部に輝き、東京藝術大学にも一発合格されています。最初は三味線への憧れや熱意から始まった趣味という側面もあったようですが、これまでに挫折しそうになったことや、表現に行き詰まった経験はありますか?

駒田:私の地元の三重県は周りに三味線をやっている人があんまりいなくて、同年代の仲間もなかなかできなかったんです。全国大会ではみんな三味線を弾いてるけど、友達って感じじゃなくて。むしろライバルみたいで楽屋の雰囲気も常にピリピリしてました。だから三味線仲間っていう存在がいなくて、年に一度の大会に向けてモチベーションを保つのが結構大変だった。いつも悔しさが原動力だったように思います。

それでも、救いになったのは7歳の頃から始めた演奏活動。近所の高齢者施設で演奏して、「上手だね」「いいね」って言われるのがすごく嬉しかったんです。「次呼ばれたら新しい曲も演奏できるようになりたい」って思えたことがやる気につながってましたね。

ー三味線との関係は、孤独なものだったんですね。でも、子どもの頃って、友達と好きなものを共有したい年頃だと思うんです。はやりのキャラクターがあしらわれた文房具とか。でも、駒田さんのやられていたことは周りと分かち合えるものではなかった。もどかしい気持ちにならなかったんですか?

駒田:そうですね。大人になった今でこそ、「自分にしかできない」という使命感や誇りを持てるようになりましたが、子どもの頃は、やっぱり周りと違うことをしているのに気遅れて恥ずかしく感じる時期もありました。みんながピアノやバイオリンなどの西洋音楽をやっている中で、自分は昔からある古い楽器をやっていることにコンプレックスを持っていたんです。スポーツをしている方がかっこいいと思ったり、周囲の共感を得られなかったり、好きなことを友達と共有することは諦めていました。

ー相反する感情のように聞こえますが、コンプレックスと「三味線が好き」っていう気持ちは自分の中で共存する感情だったんですか?

駒田:共存してましたね。周りと共有できないと感じたときに、「じゃあもう無理に分かってもらおうとしなくていいや」と思って、自然と割り切るようになったんです。別に隠していたわけじゃないけど、学校で三味線のことを自分から話すこともなかったです。

学校の全校集会で入賞した人がステージで表彰される謎の時間があったじゃないですか? あれがすごく苦手で。部活だったら大体表彰されるけど、私の三味線はそうではないので、自己申告もせず黙ってました。自分で言わない限り学校も何もしてこないし、それがちょうどよかったんです。だから、三味線に関しては完全にプライベートなものとして割り切って、学校生活とは分けて考えていました。

ーそんなプライベートなものとして割り切っていた三味線を「仕事」として意識するようになったのはいつからなんですか?

駒田:もちろん三味線はずっと好きで続けていたけど、もともとは看護師や管理栄養士を目指していて、進路としては現実的な職業を考えていたんです。高校2年生になって進路を本格的に決めるタイミングで、看護学部や栄養学部を中心に志望校を選んで、進路希望調査を提出したんですが、三者面談のときに先生から、「あなたは(三味線で)日本一を取っているのに、それで本当にいいの?」って言われて。「本当にやりたいことを4年間学ぶ場所が大学なんだよ」という言葉が妙に刺さって、「私の進みたい道ってこっちじゃなかったかも」と思い始めたんです。

負けず嫌いな性格なので、それからは迷いなく「どうせ行くなら一番のところに行きたい」と、ほとんど何も知らないまま東京藝術大学を志望するようになりました。今思えば、現役で合格できなかったら三味線は続けていなかったかもしれません。大学合格後は、迷いなくプロを意識するようになりました。

駒田(母):周囲に同じ境遇の人も少なかったですし、受験の情報も少なかったので、ある意味、知らなかったからできたかもしれないなって思います。難しさを知っていれば身構えてしまったかもしれないけど、考えすぎる前にやってみたことがよかったのかもしれません。

型にはまり過ぎない。習得した型を「どう発展させていくか」が駒田早代の原動力

ーSNSでは洋楽のギターリフを三味線でカバーした動画を多く投稿されていますが、普段はどんな音楽を聴くんですか?

駒田:演奏会で披露する民謡を聴くときもあるし、次に投稿する動画用に洋楽のギターリフを聴く時もあります。Mrs. GREEN APPLEの楽曲の展開の多さは、私自身の楽曲制作にも参考になることが多くあるので、よく聴きますね。電車とか乗っている時に、シャッフルで民謡の次に(カバーしたことある)レッチリが突然流れてきてびっくりすることもしょっちゅうです(笑)。アルゴリズムもびっくりしてるかもしれません。

ー駒田さんの音楽の再生履歴を反映するように、2024年に発表されたアルバム『月前恋歌』は、電子音楽っぽいサウンドやケルト調の楽曲もあったのが驚きでした。三味線の音にあまり馴染みがない自分でも、普段聴いてる音楽のように楽しめた作品でした。どのように楽曲制作に取り組んだのですか?

駒田:ギタリストの渥美幸裕さんと制作したのですが、「どんな音を入れたい?」というところから始まったんです。私はケルト音楽がすごく好きなので、フィドルを取り入れました。フィドルとバイオリンって、実は同じ楽器なんですが、クラシックの世界では「フィドル」よりも高尚なものであるという理由で「バイオリン」と呼ばれるようになったらしいんです。フィドルは、もともと酒場などでみんなが手拍子しながら楽しむような、庶民的で生活に根ざした音楽を奏でるための楽器だった。私は、そういう暮らしの中から自然に生まれてきた音楽の方が好きなんです。だから、ケルト音楽取り入れたかったのかもしれない。「敷居が高い」音楽よりも、そこに居合わせた誰もが楽しめるような、生活と結びついた音楽の方が好きなんです。

https://open.spotify.com/album/4oHst0xCbM8jXg3pJWcUfp?si=jNTU6_iCQ8Gmkn8WH7TF_w

駒田:ルーツをたどると、三味線もシルクロードを通って中国から伝わってきたものであり、ケルトやフィドルも、西側の「向こうの音楽」だった。今でこそ「伝統楽器」とされる三味線も、かつては民謡を演奏するための「生活に根付いた音楽」だったわけじゃないですか。通ずるものがあると思いますね。

ーそういう意図があったんですね。今やロックバンドがロック以外のジャンルを取り入れた楽曲を発表することは当たり前なのに、三味線奏者の方のアルバムだから三味線で溢れたサウンドなのだろうという固定観念があったんだと思います。「なんでもありでいいんだな」と駒田さんのアルバムに改めて気付かされました。

駒田:型にはまり過ぎても良くないなって思います。最初に基本を覚えるうちは、ルールに従うことは大切だと思うんです。でも、それを習得したあとに、「どう発展させていくか」が本当に大事だと思うんです。その型にはまったままでいるのは、三味線奏者としてはいいかもしれないけど、アーティストとしては限界があると思ってて。

だから私は、いろんなジャンルの音楽家とコラボレーションしながら、三味線という楽器をどう生かすか、どんな音が出せるかを常に探っています。時には、津軽三味線特有の奏法が合わない楽曲もある。「津軽三味線の正しい弾き方」に捉われず、この楽器から出る音をどうやったら生かすことができるか、津軽三味線を使う意味を考えながら取り組んでいます。

自分の「好き」を極めるだけでは伝統芸能は守れない。どれだけ世間に歩み寄れるかが大事

ーいわゆる伝統芸能に従事している方で、「型にはまり過ぎても良くない」という感覚があるのに驚きました。型にはまり過ぎても良くないと思うようになった出来事などがあるのでしょうか?

駒田:学生時代に、当時はやっていた”千本桜”を吹奏楽部の友達と放課後に耳コピして遊んでたことがあったんです。私は三味線で、その子はピアノ。自分の中で「三味線を通じて他の楽器とセッションできた」という成功体験につながって、すごく嬉しかったんですよね。耳コピした”千本桜”のフレーズも自分の三味線のレパートリーとして残るから表現の幅が広がったし、民謡以外の曲も弾けるんだなという気づきがあった。そこから古典以外の曲にも挑戦するようになったんです。

もちろん、民謡も大事で日々勉強中ですが、それとは別に「違う軸」も持ちたいという思いが芽生えたんだと思います。だって、私の演奏を見に来てくれた人に「次の曲は秋田県の民謡の”本荘追分”です」って言ってもわからない人にはわからないじゃないですか(笑)。

私は好きな楽器をやっているけど、好きな楽器がメインストリームではないという自覚もある。本当に奏者人口が少ないので、継承していかないと廃れてしまう。自分の好きを突き詰めてるだけじゃダメなんです。どれだけ世間に歩み寄れるかも大切だなって思います。

ー「伝統」と「しきたり」って紙一重だと思うんです。「このままでは良くない」と思って、声を上げたり仕組みを変えようとしても、社会の組織に属していると、長いものに巻かれてしまったり、大きなものに抗えなかったりすることもあると思うんです。

駒田:結局みんなやっていることが同じなんですよね。三味線を残したいと言いながら、みんな三味線を弾く上で好きなこと(民謡)ばかりを極めるのに躍起になっている。誰もが「伝統を残したい」という気持ちはあっても、それじゃあ残らないでしょって思ったんです。みんな同じでは文化は発展しない。同じフィールドで競い合って、仕事を奪い合っているようでは意味がないし、私はそういう世界とは違う場所で三味線を残していきたいと考えるようになりました。自分には自分の得意なジャンルがあるし、誰もやっていない土俵で勝負したかったんです。

ただ、そうやって民謡に真剣に取り組んでいる人たちを否定するわけではありません。上の世代の言葉にも耳を傾けながら、バランスを取って活動していくのは難しいですが。

ー三味線界からの反応はいかがですか? どの世界でも否定的な人はいるのかなと思いますが。

駒田:私の周りの師匠たちは比較的寛容な方が多かったです。ネガティブな人もいますが、全く気にならない。私がSNSに投稿したギターリフのカバー動画がうまくいったら真似する人も出てきたので、間違ってなかったんだなと思います。何をやっても結果が出ればいいんだと思います。田舎の高校だったので、

それに、三味線に詳しくないお客さんを目の前で演奏した時に一番楽しませることができる自信もある。「難しかったね」と思いながら帰ってほしくない。ステージに立ったら、技術よりもどれだけ楽しませられるかの方がよっぽど大事だと思うから。

三味線をもっとカジュアルな存在にしたい

ー駒田さんにとって、理想のライブはどんなものですか?

駒田:「早代さんのライブに行くと元気がもらえる」と思ってもらえる音楽とステージを目指しています。

コロナ禍以降、「うるさい」とか暗くて強い言葉や表現が音楽に増えたような気がするんです。でも、私は明るくて前向きな言葉で人を元気づける音楽のほうが好き。音楽は共感だけじゃなくて、前に進む力を与えてくれるものであってほしい。人間の暗い部分をさらけ出すよりも、「こっちにおいで」とポジティブなパワーで導くことができる音楽を届けたいですね。

三味線だけでなく、職人が少なく存続の危機にある伝統工芸品とのコラボも積極的に取り組む駒田。取材当日は、黒留袖の着物をリメイクしたジャケットを着用していた。

ー三味線奏者としての活動を通して、今後の目標はありますか?

駒田:三味線をカジュアルな存在にしたいです。プロの奏者が増えてほしいというわけではなくて、関わる人の分母が増えてほしい。かつて、三味線はもっと身近なもので、民謡もその土地に根ざした歌として、人々の生活に寄り添ってきたものだった。ラジオもインターネットもない時代に、田植えの歌がなぜ遠く離れた地域でも歌われていたのかというと、口伝えで広まりながら、その過程で姿形を少しずつ変えながら生き続けてきたから。今の時代にあやふやな状態で存在できるものってほとんどないじゃないですか。まるで大規模な伝言ゲームみたいで面白いと思うんです。三味線を「伝統」と崇めるのではなく、三味線をより身近な存在に感じてもらえるような活動をしていきたいと思っています。

だから、SNSではポップスのカバー動画を投稿するし、私の演奏会では民謡以外の楽曲も演奏します。生活の中にもう一度取り戻したいんです。そして、三味線人口を増やすための目標としては、譜面のリリースと修理技術の勉強に取り組んでいます。私も習い始めたころは情報が少なくて苦労したので、気軽に三味線に取り組めるような環境を整えていきたい。そして、三味線奏者よりも三味線を修理できる人の人口の方が急激に減少しているので、少しずつ修理の仕方も学んでいます。三味線は修理しながら長く使い続けるものなのですが、海外の方は特に修理が大変みたいで。ありもので代用している人もいるみたいなんです。私のオンラインの三味線レッスンに参加してくれている海外の生徒さんも多くいるので、そういう人たちのサポートもできたらなって思います。

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