2025年3月1日(土)からBLUE NOTE TOKYOでの来日公演が控えるバンジョー / マルチ弦楽器奏者=リアノン・ギデンズ。
ビヨンセが自身初のグラミー作品賞を獲得したアルバム『Cowboy Carter』への参加で、アメリカ国内での注目度が一気に高まった彼女だが、日本ではまだあまり知られていない存在だろう。
リアノン・ギデンズとはどのような音楽家で、また、なぜ彼女の存在は重要なのか。
『カントリー・ミュージックの地殻変動』(河出書房新社)の編著者で、カントリーと有色人種、カントリーとジェンダーなどのテーマに詳しい永冨真梨に、その足跡を振り返りながら論じてもらった。
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ビヨンセ“Texas Hold ’Em”の大きな意義
先日発表された第67回グラミー賞で、年間最優秀レコード賞を受賞したビヨンセ『Cowboy Carter』。そのリードシングル“Texas Hold ’Em”で印象的に鳴っているバンジョーを弾いているのが、リアノン・ギデンズだ。日本では、本作でギデンズの名を初めて知った人も多いのではないだろうか。
リアノン・ギデンズは、1977年、ノースカロライナ州グリーンズボロで白人の父とアフリカ系アメリカ人の母に生まれた。カントリーサイド出身の黒人女性として、自分は誰か、自分が生きるアメリカとは何かを問い続けるミュージシャンである。
南部の黒人女性であるビヨンセが、音楽産業を動かすファンダムを形成しながら、その作品や活動を通してアメリカ文化と歴史を捉え直してきたとするならば、ギデンズは、彼女と同じことを、アメリカ音楽のアイデンティティを決定づける音楽愛好家や知識層に訴えながら成し遂げてきたと言える。“Texas Hold ’Em”での2人の共演は、黒人女性が多様なアメリカのポピュラー音楽を創造してきたことを世界に発信し、さらには、黒人女性ミュージシャンがアメリカ音楽の芸術的価値を高め、商業的な成功も獲得するというロールモデルも提示したのだ。
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「カントリー前史」の黒人の存在に光を当てたデビュー
リアノン・ギデンズの活動は幅広い。そのルーツには、ギデンズが「黒人による非白人音楽」(※1)と自称する音楽、ストリングバンドミュージックがある。フィドル(バイオリン)、五弦バンジョー、アコースティックギター、アップライトベースで構成されるこのスタイルは、1920年代から1930年代にかけて人気を博し、そのメッカとされるアメリカ南東部のアパラチア地方では人種を超えて演奏されていた。しかし、1920年代ごろ、カントリーミュージックの前身であるオールドタイムミュージックが「南部の田舎の白人の音楽」として概念化し商業ジャンルとなった。人種によって音楽が区別されたことで、黒人のフィドル、バンジョー奏者の存在は歴史から消去されてきた(※2)。
※2 さらに詳く知るためには、細馬宏通「バンジョー史を捉え直す―ビヨンセからリアノン・ギデンズへ」、Hanna Mayree (Black Banjo Reclamation Project)「バンジョーを通じた黒人文化の癒しと再生」、大和田俊之監修 永冨真梨責任編集『カントリー・ミュージックの地殻変動―多様な物語り』(河出書房新社、2024年)。
ギデンズは、歴史に埋もれてきた黒人のストリングバンドミュージックを蘇らせ、それらを現代風に解釈するバンド、Carolina Chocolate Dropsのフィドル / バンジョー奏者兼ボーカルとしてデビューした。このバンドは、ノースカロライナ州西部に位置する山間部の小さな街ブーンで2005年に開かれた黒人のバンジョー奏者が集まるイベント「Black Banjo Gathering」をきっかけに、ドム・フレモンズ(Dom Flemons)、ジャスティン・ロビンソン(Justin Robinson)と共に結成された。

2010年にリリースされたデビューアルバム『Genuine Negro Jig』には、アパラチア地方のピードモンド高原で演奏されてきた、黒人によるストリングバンドミュージックの楽曲と、そのスタイルを参照したR&B(TLCや安室奈美恵のプロデュースワークで知られるダラス・オースティン(Dallas Austin)の“Hit ‘Em up Style”)や、オリジナル曲が収録されている。曲や楽器奏法と歌唱法は、ピードモント地方でストリングバンドのスタイルを継承してきた黒人のフィドル奏者ジョー・トンプソン(Joe Thompson)(※)などから直接教わったものだ。ストリングバンドの再現に留まらず、バンド独自の解釈や独特の奏法を通して、軽快かつ物悲しく、古くて新しい音楽が繰り広げられる。本作は、アメリカのフォークミュージックの過去を再考し、未来図を提示したとして、第52回グラミー賞最優秀フォークアルバム賞を受賞した。
※ジョー・トンプソンは、1918年生まれ、ノースキャロライナ州北部のオレンジカウンティ出身のフィドル奏者。父親や従兄弟もミュージシャンで、スクエアダンスや、収穫を祝うコーンシャッキングという集まりで演奏していた。第二次世界大戦後、ストリングバンドの需要や人気が減り、いったんは音楽をやめていたが、1970年代のフォークリバイバルで注目され、従兄弟のオデル・トンプソン(Odell Thompson)と共にThe New String Band Duoとして演奏活動を開始し、カーネギーホールやアメリカ国外でも演奏した。
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アメリカーナの旗手、クラシック音楽をも拡張
その後ギデンズは、カントリー、ブルース、ソウル、R&B、フォークなどのアメリカのルーツ音楽を現代に継承するジャンル「アメリカーナ」の代表的アーティストとしての地位を固めていく。2014年には、T・ボーン・バーネット(T Bone Burnett)のプロデュースによる、ボブ・ディランの未発表の歌詞から音楽を制作するプロジェクト「The New Basement Tapes」に、エルヴィス・コステロらと共に参加。2015年には、バーネットのプロデュースでソロデビューを果たしている。
黒人女性のバンジョー奏者4人によるコラボレーションアルバム『Songs of Our Native Daughters』(2019年)も注目を浴びた。アリソン・ラッセル(Allison Russell)、アミシスト・キア(Amythist Kiah)、レイラ・マッカラ(Leyla McCalla)と共に、17世紀から19世紀に残されたアフリカ系アメリカ人女性の苦悩と抵抗、そして希望の物語を、黒人女性によるバンジョーの演奏によって表現した作品だ。
イタリア・シシリア島出身のマルチインストゥルメンタリストのフランシスコ・トゥリッシ(Francesco Turrisi)とのアルバム『They’re Calling Me Home』(2022年)では、再びグラミー賞最優秀フォークアルバム賞を受賞している。なお、来る2025年3月、ギデンズはフランシスコ・トゥリッシとともに来日公演を行うことが発表されている。
2020年以降は、アメリカのルーツ音楽を軸足にクラシック音楽の定義を拓こうとする活動が著しい(※)。オーバリン大学音楽学校でオペラを学んだギデンズは、クラシックにも造詣が深い。2022年には、作曲家のマイケル・エイブル(Michael Abe)と共にオリジナルのオペラ『Omar』を製作し、2023年ピューリッツァー賞音楽部門の最優秀作品賞を受賞した。2020年からは、チェリストのヨーヨー・マが設立した「シルクロード」という団体の芸術監督を務めている。同団体のアンサンブルによるアルバム『American Railroad』(2024年)では、鉄道工事に関わった多くの労働者たちのストーリーを、さまざまな国籍や音楽ルーツを持つミュージシャンによって奏で、アメリカのルーツが多文化であることを主張した。3月の来日公演のゲスト、渡辺薫は、このシルクロードと関わるメンバーで、ニューヨークを拠点とする日系アメリカ人の現代音楽の作曲家だ。
※アメリカーナ勢のクラシック界での活躍については、日本でもいち早くギデンズを紹介してきた音楽評論家の能地祐子による著書『アメクラ! アメリカン・クラシックのススメ』(DU BOOKS、2017年)に詳しい。
アメリカのルーツ音楽に根差したギデンズの多岐に渡る活動は、学術界からも認められた。2020年には彼女の出身地にあるノースキャロライナ州立大学グリーンズボロー校から名誉文学博士号を、続く2023年には名門プリンストン大学から名誉音楽博士号を授与されている。