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「普通」も「無能」も「有能」もありのままを肯定

本作は、公式サイトに「肩の力を抜くどころか『膝カックン》してしまうような新時代のお仕事ドラマ」とあるように、脱力しきって見ることができる愉快なドラマでありながら、思わぬところで本質を突いてみせる。例えば仲が悪いとされる鵜飼朱音(さとうほなみ)と鵙尾(土居志央梨)の2人が、実は互いの一番の理解者であることが証明された第3話。鵜飼の出世に対する想いだけでなく、「女性初の部長」である鴫石郁(安藤玉恵)の内なる声を通して、働く女性たちそれぞれの内面が描かれた。一方「老害」と部下に言われショックを受ける営業部部長・朱雀の悲哀を描いた回である第5話は、こじれた上司と部下の想いを解きほぐす回であると同時に、急速な時代の変化に合わせることが難しい現代の中高年男性の生きづらさと向き合った回だった。同期の絆と「リモート」がテーマだった第6話の裏テーマはコロナ禍だ。これらのエピソードから透けて見えるのは、働く現場の今であり、それぞれの世代が抱えている想いだ。

でも、同僚の彼ら彼女ら自身は、自身を中心に描かれた回を経ても大きく変わることはない。「いい人すぎる」鳩山のエピソードは数話に渡って描かれているが、彼はその都度、本質的には変われない自分を認め、変わらず、苦労が絶えない日々を過ごしていく。鷹野に指摘され、自分の中にある同僚への愛を自覚した雉谷も、次の瞬間には面倒事を鶸田に押し付けている。鷹野もまた、第7話の終盤に至るまで一貫して無能を貫いている。第7話で鵤流星(宮尾俊太郎)と鳩山のエピソードを通して描かれたのは、まさに、それらの総括とも言える。「普通であること」から抗おうとした彼らが「普通」でいい、むしろ「普通」なところが好きなのだと抱きしめられること。恋をする彼ら彼女らが「キモいとは幸せなこと」なのだと肯定されること。それらはどれも、「普通」でも「無能」でも「有能」でもありのままでいればいいのだと教えてくれる。