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なぜ、逃げるのか。なぜ、カメラの前で語らないのか。
今回の「マミー」にも推薦コメントを寄せた。いくつか送り、どれか使ってくださいと担当者に委ねたところ、採用されたのは、「多くの人が『その話はもうやめてくれ』と逃げる。なぜ、逃げるのか。なぜ、カメラの前で語らないのか。各人の後ろめたさが渦となりながら問いかけてくる」だった。この「逃げる」については後述する。
その他に送っていたコメントの一つがこれだ。「何をどこから見ても死角が生じる。ならば、死角を確認する。探る。この事件は死角が放置されている。なぜそのままなのか」。私たちは、ホースで水を撒いた林眞須美を知っている。そして、その林がカレー鍋にヒ素を入れたことを知っている。知っている? 本当に? どこかの監視カメラ(防犯カメラ)に彼女の姿が映り込んでいたわけではない。林がカレー鍋にヒ素を入れた裏付けとなっているのは「目撃証言」と「科学鑑定」。この映画でまず明かされるのは、目撃証言の不安定さ。当初、ここから見ていました、と証言した場所からは鍋が見えないとわかった。すると、見ていた場所が変わった。

〝変わった場所〟からも全てが見えるわけではなかった。そこには死角がある。ならば死角を調べなければいけない。そこには誰がいたのか、いなかったのか、何が置いてあったのか、置いてなかったのか。でも、この事件ではそれが十分になされていない。林眞須美が取材陣に向かってホースで水を撒けば、地面が水に濡れる。水をかけられた人がいれば、服や肌のどこが濡れたかわかる。それを知っている。だから、「実際には、林眞須美はホースで水を撒いていない」と言う人はいない。いたら、映像を突きつければいい。写真を並べればいい。では「林眞須美はカレー鍋にヒ素を入れた」はどうか。突きつける映像はあるのか。写真はあるのか。

自分がコメントに書いたように、当時、捜査にかかわっていた人たちが、こぞって現時点での取材を断る。「その話はやめてくれ」と逃げる。なぜだろう。ヒ素を混入して複数人が亡くなった。凶悪犯罪である。二度とあってはならない事件について、なぜ語らないのだろう。この映画の、メインキャッチコピーは、「母は、無実だと思う。」だ。息子がそう語る。
「無実だ」ではなく、「無実だと思う」。彼自身の揺れ動きを捉えていく。時折、撮る側も感情を抑えられなくなる。「あの人」が起こした「あの事件」についてのドキュメンタリー。私たちは「あの人」を知っているが、実は「あの事件」を知らない。「衝撃の結末に、感涙必至、映画館を出た後、あなたの見える世界が変わります」、そんな言葉を並べれば、観に行ってくれるだろうか。それとも、あんな事件のこと、今さら改めて知りたくないよと、そのままにするのだろうか。

映画『マミー』

2024年8月3日(土)より東京 シアター・イメージフォーラム、大阪 第七藝術劇場、ほか全国順次公開
監督:二村真弘
プロデューサー:石川朋子、植山英美(ARTicle Films)
撮影:髙野大樹、佐藤洋祐
オンライン編集:池田聡
整音:富永憲一
音響効果:増子彰
音楽:関島種彦、工藤遥
製作:digTV
配給:東風
2024 年/119 分/DCP/日本/ドキュメンタリー
©2024digTV
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