ポン・ジュノ監督最新作『ミッキー17』が3月28日(金)に公開された。『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞4冠を達成し、アジア映画の可能性を押し広げてから早6年。待望の新作は、エドワード・アシュトンの小説を原作としたSF映画となっている。
ポン・ジュノはいかに本作と向き合ったのか。映画レビュアーの茶一郎が解説する。
※以下、映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督6年ぶりの新作
ビジネスに失敗し借金を抱えた人生どん底の男ミッキー(ロバート・パティンソン)は、一発逆転のためにある仕事に応募する。しかしその契約書をしっかりチェックしていなかったダメダメのミッキー。彼の就く仕事は、危険な任務で命を奪われ、死んだと思ったら未来のクローン技術により新しい肉体に生き返らされる……また死んでは生き返らされる……何度も死んでは次々と生き返り、肉体を酷使させられる「使い捨て労働者(エクスペンダブル)」だった。

笑うに笑えない奇妙な設定の近未来SF『ミッキー17』は、全世界の映画ファンが待ち望んでいた新作だろう。というのも、本作の監督を務めたのは、あのポン・ジュノ。前作『パラサイト 半地下の家族』は、第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画初となるパルム・ドール(最高賞)を獲得、翌年の第92回アカデミー賞では作品賞含む4部門を受賞した、あのポン・ジュノ監督の6年ぶりの新作映画となれば、期待しないなんて不可能だ。
そんな映画『ミッキー17』はポン・ジュノ監督の過去作の特徴を引き継ぎながら、メジャースタジオの大作だけあり、気軽に楽しめる作品に仕上がっている。テリー・ギリアム監督作(『未来世紀ブラジル』等)や映画版の『スターシップ・トゥルーパーズ』に近い手触りを感じる、エンターテインメント映画の良作だ。
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ポン・ジュノ監督が一貫して描いてきたもの
画面に映る全ての要素に意味を持たせる緻密なポン・ジュノ監督の映画設計は、「ポン・ジュノ」と「ディティール」という言葉を掛け合わせた「ボンテール」という造語が作られるほどに賞賛され、そのストーリーテリングの巧みさとエンターテイメント性の高さから「韓国のスピルバーグ」と呼ばれてきた。実録犯罪劇(『殺人の追憶』)からスリラー(『母なる証明』)、SF(『スノーピアサー』)、ケイパームービー(『パラサイト 半地下の家族』の前半)まで、様々なジャンルを扱いながら、常に作品の軸にはブラックコメディがあり、登場人物の激しい運動が映し出されたと思ったら、ふいにジャンルを超越する瞬間が訪れる。予測不能なジャンル横断は「ポン・ジュノ映画」としか表現できない手触りだ。また、一貫して「階級闘争」「格差社会」「支配階級への皮肉」といったモチーフを扱ってきたことも、ポン・ジュノ監督作の特徴だろう。

監督デビュー作の短編『白人色』においては貧困層の住宅群をリアルに切り取り、初期の短編『支離滅裂』では支配階級の知識人をシニカルな視点で見つめた。『スノーピアサー』では、貧困層が最後尾に住み、富裕層が前方車両に住む未来の列車を舞台に格差社会を水平方向に描き、『パラサイト 半地下の家族』ではその水平方向が垂直方向に転換した。そんなポン・ジュノ監督が一貫して描いてきた「ブラックコメディ」「格差社会 / 支配階級への皮肉」がエンターテインメントとして昇華されたのが、『ミッキー17』と言える。

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ブラックコメディ要素を際立たせた原作からの改変
本作『ミッキー17』の原作はエドワード・アシュトンによる2022年の小説『ミッキー7』だ。原作小説のタイトルが「7」で、映画版のタイトルが「17」なので少し混乱するが、この数字はミッキーの「死亡 / 生き返り」回数(通し番号)を表しており、映画版のミッキーの方が10回も多く死んでいる。映画冒頭では余りにも無茶な業務でミッキーが次々と死亡していく様子をテンポ良くコミカルに描いており、不謹慎ながら笑いが漏れてしまう。このミッキーの死亡回数の大幅増加からも見てとれるように、映画版では原作のブラックコメディ要素をかなり強調させている。
また原作『ミッキー7』にあったギリシャ神話「テセウスの船」の引用から語られる「生き返った自分は死ぬ前の自分と同じ人間と言えるのか?」といった「死」についての考察・哲学は省略されており、かなり思い切った映画脚色と言える。原作ファンは首をかしげるかもしれないが、ブラックコメディを得意とするポン・ジュノ監督らしい改変だ。
さらに、本作では、主演のロバート・パティンソンが一人二役を演じ、コミカルな演技を披露しており、コメディとしての土台を支えている。過去作『グッド・タイム』や『ライトハウス』での怪演、さらには『THE BATMAN -ザ・バットマン-』での陰鬱な存在感とは異なり、本作ではパティンソンが、温かみのある演技を見せている。

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ポン・ジュノが描く権力者像
物語は中盤で、ブラックコメディから大きくジャンルを飛び越える。使い捨て労働者として権力者に搾取されるミッキー(16回目の生き返りなのでミッキー17)の前に現れたのは、まさかのもう一人の自分。ミッキー18だった。ある理由から複数コピーされてしまったミッキー。同一人物のクローンは法律で禁止されており、処分の対象となってしまう。これ以上、使い捨てられてたまるか! 二人のミッキーによる権力者への反逆が始まるのだ。

ミッキーたち労働者を搾取する企業のボス、マーシャル(マーク・ラファロ)の造形も、原作から大きく改変されている。原作で厳格な司令官だったマーシャルが、映画においては過剰なほど滑稽に描写され、コミカルな独裁者となっているのだ。
ポン・ジュノ監督は『スノーピアサー』でのティルダ・スウィントン演じるメイソンや、『Okja/オクジャ』での、やはりティルダ・スウィントン演じるルーシー・ミランドといった権力者を、エキセントリックな演技で作り上げてきたが、本作のマーシャルと妻イルファ(トニ・コレット)はその系譜だと言える。ポン・ジュノ監督らしい「支配階級」への皮肉満載の視点を見てとれる。
