京都を代表するインディバンド・スーパーノアのフロントマンであり、現在は東京を拠点に活動するシンガーソングライターの井戸健人が、ソロ名義では3作目となる『All the places(I have ever slept)』を完成させた。
本作で井戸がテーマとして掲げたのは、「いかにして自分の無意識を楽曲や音に落とし込むか」ということ。多数のゲストプレイヤーに自作曲を演奏してもらい、そこからフレーズやコード進行などを取り出し、さらに歌詞は自動記述で書いた文章を基にするなど、アルバム全体が「意識と無意識の間」で制作されている。そして、そんな作品を作り上げて井戸が感じたのは「それでも、自分からは逃れられない」ということだった。
作品を作るとそこにはどうしても「こう聴かれたい、こう受け取ってほしい」という自我や作為が伴ってしまうものだが、「ただ音楽として作り、ただ音楽として聴いてほしい」という想いはどんな作り手にもあるはずで、井戸の今回の試みはそのためのチャレンジのようにも見える。その結果として、自身のシンガーソングライターとしてのアイデンティティを再確認することになったというストーリーは、楽曲自体の素晴らしさとともに、多くの作り手の共感を呼ぶに違いない。
INDEX
無意識にフォーカスするために。ゲストプレイヤーの演奏を編集して楽曲を制作した理由
―井戸さんは2021年に上京されたそうですが、上京後の変化をどう感じられていますか?
井戸:住んでる場所を楽器可の物件にして、宅録ができる環境を整えたので、音楽を作ってる時間自体は増えてると思います。あとライブにも行きやすくなったから前より行ったり、展示会とか美術館に行く機会も増えてますね。関西では田舎の方に住んでいたので、何かイベントに行くときは見たいものだけを選んでいましたが、今は大体30分くらいあればどこでも行けるし、軽い気持ちで行っています。そこは変わったところかな。

兵庫県神戸市出身。作詞、作曲、編曲、トラックメイク、歌唱、ギター演奏、録音を行う。中学生の頃に録音という行為に興味を持ち、4トラックのMTRでギターや歌の録音、既成音源のコラージュなどを始める。2004年にはバンド「スーパーノア」を結成し、ボーカル・ギターを務める。2020年3月に「井戸健人」名義でのファーストアルバム『Song of the swamp』をリリース。各種の音響効果やリズムセクションの解体など、アレンジを凝らした作品に仕上げた。2022年6月にはセカンドアルバム『I’m here, where are you』を発表。
―僕が前に井戸さんに取材をしたのは「イツキライカ」名義でアルバムを出した2016年だったのですが、2020年に「井戸健人」名義に変えたのは意識の変化があったのでしょうか?
井戸:何かを大きく変えるぞっていう気持ちはなかったんですけど、本名にした方がいいんじゃないかとそのとき思って……すごいちっちゃい理由ですけど、イツキさんって呼ばれることがあったり(笑)、イツキライカは適当につけちゃったから、愛着もなかったし……。
―愛着もなかったんだ(笑)。
井戸:パッと決めちゃったんですよね。でも自分で作ってるんやったら自分の名前で出すかと、そのとき思ったような気がします。
―結果的にイツキライカとして作るものと井戸健人として作るものは変わってきているような気もします。イツキライカの方がフィクション性が強かったのが、井戸健人名義になるとよりパーソナルだったり、実生活に基づいている、そういうグラデーション的な変化はあるのかなと。
井戸:そうかもしれないです。明確な変化があるかと言われると難しいですけど、今の名前になってからは、大きく広げたことを言おうとはしてないと思いますね。前にイツキライカを聴き直すタイミングがあったんですけど、今の自分からすると主語が大きい感じがしました。少し道徳主義的な感じがあるというか。今は自分の考えやアイデアをどういう視点から言えば面白いかを考えたりします。とはいえ、実際に作ってるときはそこまで深く考えてるわけじゃないんですけど。

―それこそ、新作のキーワードには「無意識」を挙げられていますよね。自作曲をたくさんのプレイヤーに演奏してもらい、そこから好きなフレーズやコード進行などを取り出し、編集して、曲にするという方法論は、無意識の抽出が狙いだった?
井戸:前作の『I’m here, where are you』はゲストを招かず1人で作りきったんですけど、なぜそうしたかというと、自分にしかできないことをやりたくて。単純に自分しか参加しなかったら自分ならではの作品になるだろう、という考えがありました。
井戸:でも、そうやって作った作品を聴き返したときに、「これ自分で作ったんかな?」みたいなところもあったりして。
―全部自分でやったのに。
井戸:そうなんですよね。一人で作っても、自分が意識してるところと意識してないところがある。だったらその意識してないところにもっとフォーカスして作ったら、面白いんじゃないかと思ったんです。そのやり方として、自分の好きなプレイヤーに自分の曲を演奏してもらって、自分の好きなところを編集して曲にしたら、1人では思いつかないけれど、でも自分の作品である、といえるものができるのではないか、と考えました。