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花譜と廻花(かいか) 1人の少女の歩みを、本人と山戸結希が振り返る

2024.12.20

廻花

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「廻花さんは大きな秘密を誰にも言えずに抱えながら、多感な時期を闘い切ったからこそ、純度の高い光景をいろんな人にもたらすことができる」(山戸)

ー“ひぐらしのうた”も、高校生の頃に書いた曲だそうですね。

廻花:そうですね。一時期歩くのにハマっていて、2時間くらい歩いて下校してたんです。そのときにいろんなことを考えて……自分の性格もあるかもしれないけど、当時花譜の活動のことは友達に言ってなかったんですよ。でも時々、「普通に言ってたらどうなってたんだろう」って思ったりとか、単に学校生活でうまく喋れなくなることとか……いろんなことを考えてるときのことを書いた曲です。

“ひぐらしのうた”MVより

山戸:なるほど……冒頭の、「花譜さんにしかわからない体験が廻花さんのアウトプットに出ている」というのは、そういう意味でもあったんですね。具体的に話していただけて、腑に落ちる思いがします。かつ、この曲を聴いている10代の方たちは、歌詞の<みんな>をきっと教室の<みんな>に重ねたりされていて、不思議な重なりをもたらしてくれますね。

足踏みをしてるぼくを横目に追い風が攫ってく

あの子の体

それでいいならいいんじゃないかなんて思ってしまうから

惜しくもないさよならにわざと時間をかけてる

みんなと一緒に泣けなくって、同じとこで笑えなくて

もう誰もこの話はしてなくて この涙は急なんかじゃなくて

なにがいいたかったんだっけ

廻花“ひぐらしのうた”

ー山戸さんはこの曲をどう受け止めて、映像にしようと思いましたか?

山戸:聴いたファーストインプレッションで、ただならぬ気持ちがこもっていることが満ち満ちて伝わりました。日常のささやかなすれ違いとか、そういう規模感の事象ではないのだなと。映像自体はミニマルに、主人公1人の小さな世界で見せている一方で、その心の中には、ものすごい大問題が起こっている、荒波が心と体に起こっているようなイメージで、聴きながら溢れ出してきたのが今の物語でした。楽曲をインプットして、映像でアウトプットする中で、“ひぐらしのうた”は映像にしたとき、出力に力みが入るというか、ブレーキよりもアクセルによって強く紡ぎ出された部分があって。もちろん音楽と映像は別のメディアなので、どうあっても完成形は違う形になるのですが、それでも、もしかして廻花さんにとって不本意な形で、イメージの外側に出てしまうのではないかという怖さを、最後まで感じながら撮っていました。

ー廻花さんは実際どう受け止められましたか。

廻花:いやもう、大好きなMVになって。見るたびに泣いてしまうというか……すみません。(涙を流しながら)ごめんなさい、なんでだろう。

ーゆっくりで大丈夫です。

廻花:学校で、みんなが同じ制服を着て、同じ場所で同じことをしている中で、主人公の子が1人でプールを掃除しながら踊ってるときに、急に色がついて、また色がなくなって、息苦しい中でも解放される時間があって、またそれも終わって……。でも今度はプール掃除をしながら他の子たちと笑い合っていて、私はあのシーンが大好きで、その後のプールに水が入った状態で、制服のままスイスイ泳ぎ出すところもすごく好きで……閉塞感みたいなものを打ち破って、その瞬間だけはどこまでも泳いでいける。それが映像から感じられて、すごく勇気づけられた作品でした。本当にありがとうございます。

山戸:今、心の大事な部分を使ってお話してくださって、こんな冥利に尽きることはありません。ありがとうございます。

ー映像と高校生の頃に感じていた閉塞感がシンクロしたのか、それとも現在の廻花さんの心境とシンクロしたのか、思わず涙が出た理由はどちらが近いと思いますか?

廻花:どっちもあるとは思うんですけど……でも自分と重ねてというより、そこに行くか行かないか、それを超えていいのか超えない方がいいのか、そういうもどかしさや葛藤がありながら、映像の中の子がその一歩を超えて、その先でもきっともがいたり苦しむこともいっぱいあるかもしれないけど、それでもあんなに綺麗に泳いでいる姿にすごくグッときたんです。だからやっぱり、自分に重ねるというよりも、「勇気づけられる」というのが、自分の抱いた気持ちとして正しい表現だと思います。

山戸:笑顔で他者と笑い合ったり、水を得た魚みたいに自由に泳ぐシーンでこそ涙が込み上げるということは、苦悩の先に光を見て、それでも進んでいくという希望に共鳴されているのだと思いますし、それがああ、廻花さんなんだなと感じます。最初に「光と影」みたいなことは誤解だとおっしゃっていたように、光の真ん中に行くために、廻花さんという人格が生まれて、今でも自分の生をより良くするために闘いが続いている。

山戸:“ひぐらしのうた”は自分だけのことを話しているようで、でも誰に向かってるかわからない<ありがとう>が出てくるじゃないですか。それは「私」が「私」としてこの生を受けて、苦しさとともに歩めていることへの、世界への<ありがとう>として受け取っていたんです。ただ自分が苦しいという地平で終わりではなくて、それでもこの世界に何かを還元していきたいという想いがぎりぎり凌駕する。

山戸:“ひぐらしのうた”自体がエンパワーメントする力というか……いや、もっと儚い、その一歩手前にある「エンパワーメントしたい」という願いや気持ちに満ちていて、それを主人公の子は受け取って、あんなふうに泳いでいってくれたのだと思います。歌にあるものが映像に可視化されて、当時の廻花さんの言葉と今の廻花さんの気持ちがこうして出会ってくれたのかなと思うと、すごく心が震えます。

廻花:でも本当に、山戸さんが作ってくださったもののおかげで……。

山戸:そんな! 廻花さんが書いた歌だから、この映像は廻花さんの作品でも当然ありますし、生みの親なんです! 10代のときに直面する逃れようがない状況、心から夢見ていた世界とはいえ、大きな秘密を誰にも言えずに抱えながら、多感な時期を闘い切ったからこそ、純度の高い光景をいろんな人にもたらすことができるアーティストなんだろうなと思います、廻花さんを。

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