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芸術監督・フール・アル・カシミによる作家の選出理由
—作家の選出理由についてお伺いしたいと思います。
アル・カシミ:まずは、オープニングを飾るブラックグレース。2023年に私が『シャルジャ・ビエンナーレ』のキュレーターを務めた際にコミッションをお願いしました。主宰者のニール・イェレミアのインタビュー動画を見ていたら、「太平洋の島で起きている先住民の問題についてダンスで対抗しようとしている」というコメントがあったので、それは何なのだろう?と思いInstagramで連絡をしたのが最初です。話し合いをする中で、その年のビエンナーレのテーマ「Thinking Historically in the Present(現在という時間の中で歴史的に考えること)」に対し、応答するような新作を作ることになりました。それが今回皆さんにご紹介する『Paradise Rumour(パラダイス・ルーモア)』です。この作品はポストコロニアリズム——ポストと言っていますが、今も終わっていませんからポストと言いたくない人もいますが——の歴史を今どう考えるかということについて扱っています。

アル・カシミ:芸術祭のエンディングを飾る、コンゴのアーティスト、フォスタン・リニエクラの『My body, my archive(マイ ボディ・マイ アーカイブ)』は、2017年にNYのメトロポリタン美術館(MET)のレジデンスで制作された作品『Banataba』から始まっています。METには植民地時代にさまざまな国から集められたものが収蔵されていて、そこには彼の先祖にまつわるものがたくさんありました。ほとんどが男性のものでした。彼はそのときに女性、特に彼の家族で亡くなってしまった女性たちに関係するものを選びました。この作品は、表象の問題も扱っているしMETのアーカイブという意味では「返還」の問題も関わってくると思いました。彼は「まだ書かれていない歴史を扱っている」と言っています。
アーカイブは書き残すものであるというのは西洋から押し付けられた概念です。植民地支配以前のコンゴでは、歴史は書き残すものではありませんでした。仮面や彫刻、物語といったようなさまざまな異なる形式で継承されてきました。また、フォスタンが自分の出身地を訪ねた際に、その土地で語り継がれている物語のほとんどが男性のものばかりで女性がまったく表象されていなかった。彼は村の彫刻家に、自分の家族の女性たち、祖母や母の彫刻の制作を依頼します。彼らの文化的なコンテクストの中で彫刻を作るということは、亡くなったものに対して新たに命を注ぎ再生させる行為。歴史の中で不在であった女性たちを生き返らせるために、彫刻を制作しています。
『My body, my archive』では、アーカイブにはどんな方法があるのか、今また別の方法を探すことができるのだろうか、というアーカイブそのものについて疑問を投げ掛けます。そして、西洋から押し付けられたアーカイブは、どうやったら土地の人々のものになるのかという問いをも投げかけています。
