4月25日(金)よりサイコスリラー映画『異端者の家』が公開されている。プロットは「若い女性2人がサイコパスな男性の家に足を踏み入れてしまう」とシンプルながら、そこには、「宗教」の本質に迫る「寓話的」な側面も。その魅力を紹介しよう。
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若い女性宣教師が「ばつが悪くて帰れない」に状況に
主人公のパクストンとバーンズは、モルモン教の女性宣教師だ。布教活動がうまくいかない中、彼女たちが訪れたのは森に囲まれた一軒家。そこに住む気さくな男性・リードは「妻がいるから心配ない」という建前のもとで彼女たちを家へと招き入れる。彼女たちが神の教えを説き始めると、リードは「どの宗教も真実とは思えない」などと持論を展開する。実は、その家は数々の「罠」が張り巡らされた、迷宮のような場所だったのだ。

まず描かれるのは、多くの人に経験あるであろう「帰りたいのに、ばつが悪くてなかなか帰れない」心理状態。そして、そこから主導権を奪われていく過程が恐ろしい。主人公2人はもちろん布教の目的があるので、最初こそ積極的に「教える」立場だったが、リードはあらゆる宗教に精通しているようで、正論めいた言説で2人を圧倒していく。さらに、リードはブルーベリーパイを焼いているという「妻」にたびたび話しかけているのだが、その姿は見えず、2人は「どう考えてもおかしい」と気づいていく。さらに、決定的な「物理的に玄関から出られない」状況にまで陥ってしまうのだ。