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映画『箱男』レビュー 安部公房が50年前に予言した現代社会

2024.9.4

#MOVIE

こちら側の永瀬正敏、あちら側の浅野忠信

この原作に惚れ込み、映画化に尋常ならざる熱情と時間を注いだのが石井岳龍監督である。1997年、ドイツで撮影される予定が、クランクイン前日に諸事情から突如中止に。その後、原作の権利はハリウッドに移り、紆余曲折を経て、27年越しの2024年、石井監督が映画化を実現させた。

前回も今回も主人公の「わたし」を任されたのは永瀬正敏である。実際、長年カメラマンとしても活動する永瀬だからこそ、箱に擬態し、都市の風景と溶け込み、のぞき窓から誰の視線を気にすることなく見たい対象を見つめることができる箱男となった人物の眼差しの繊細さはわかりつくしている。

「わたし」(永瀬正敏)

永瀬は1990年代、『アジアン・ビート』シリーズと銘打った日本を含むアジア6カ国の若手映画監督によって制作された連作プロジェクトに参加するなど、「越境」の心意気で活路を切り開いてきた俳優でもある。

そして安部公房もまた、戦争中、満州にいたことから始まり、戦後は小説家の枠にとどまらず、演劇人として自身のスタジオを立ち上げ、海外公演を果たし、その芝居を自ら映画化した。また、日本で初めてワープロで小説を発表した先駆者と言われ、初期のシンセサイザーをすかさず購入する音楽愛好家でもあり、多ジャンルをシームレスに越境した表現者であった。

ふたりにはいくつもの共通点があるが、永瀬に関して言うと、越境を完遂できない未熟さを持つ役どころを任されることが多く、日本人が簡単に断ち切れない、捨てきれない帰属や依存先の根を浮かび上がらせる役目も果たしてきた。 

対照的なのが浅野忠信の存在である。『箱男』で永瀬演じる「わたし」に取って代わり、本物の箱男になろうとするニセ箱男を演じる浅野。青山真治監督による初主演作『Helpless』(1996年)で見せたように、浅野は葛藤なく「あちら」側に渡ってしまえる者として1990年代の日本映画に現れた。「あちら」とは倫理観としての善悪の悪であったり、法や道徳の外であったり、一般人には許せないアンモラルな領域のこと。そこにすっと突入する役を担うことで、浅野はミレミアム世代の申し子となった。 

ニセ箱男(浅野忠信)

石井岳龍作品においては永瀬と浅野は何度も共演する。その初顔合わせとなる『五条霊戦記 GOJYO』(2000年)で浅野は遮那王という夜な夜な平家武者を斬り殺す源義経を演じ、千人斬りのラインを越えようとする彼を阻止しようと弁慶が立ちはだかる。永瀬はその弁慶の付き添いの刀鍛冶師を演じるが、境界を越えようとする遮那王の顛末を最後まで目撃することさえ許されない役回りとなっている。

こういう権威勾配の壁を乗り越えられない弱者を演じるときの永瀬が醸し出すおかしみのあるペーソスを持つ役者は世界を見回してもそうそういない。永瀬の未熟者を肯定する演技によって、永瀬側の状況にいる観客の多くが、いつか境界を超えたいという夢の残滓を共有し、持ち続けることは救いである。 

この後、永瀬と浅野は石井監督の『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001年)、『DEAD END RUN』(2002年)、『パンク侍、斬られて候』(2018年)で、リミッターを振り切った男たちの対立構造を題材とする作品で、ライバル関係を何度も演じている。

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