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デザイナー / アーティストの小田島等にとって、デザインは「甘美な交通整理」

2024.9.26

#ART

グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。

6月26日は、ゾンビタロット占い師のTAZNさんからの紹介で、デザイナー / アーティストの小田島等さんが登場。師匠であるスージー甘金さんとの出会いや、吉本ばななさんの書籍の装丁を手がけた話などについて伺いました。

15歳の時にイラストレーターのスージー甘金さんと出会う

Celeina(MC):まずはプロフィールから参りたいと思います。小田島さんは1972年、東京生まれ。イラストレーターのスージー甘金さんに師事。1995年からジャケットや広告物、書籍装丁などのアートディレクションやデザインを数多く手がけられています。今までディレクションをした主な仕事としては、吉本ばななさんの装丁、ムーンライダーズ、遠藤賢司、くるり、サニーデイ・サービス、シャムキャッツ、のジャケットワークなど。また、キュレーターとしての顔も持ち、様々な展示の企画運営も行っています。

タカノ(MC):皆さんがよく知っている作品ばかりだと思います。

小田島:ありがとうございます。

Celeina:そもそもアートに目覚めたのはおいくつの時だったんでしょうか?

小田島:雑誌のインタビューなどでも良く答えているんですけど、15歳くらいですかね、随分早かったんですよ。アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)もまだ存命だった1986年に、ポップアートに興味を持ちました。そこから色々調べていまして。ヨーロッパへ出向いてポップアートの重要な作品を見て回ったりもしていて、長い間研究しています。

タカノ:ビビっときて、もうその時にスージー甘金さんに会いに行ったんだとか?

小田島:そうなんですよ。1988年、15歳の時にスージーさんにサインをもらいに行きました。

タカノ:すごい行動力ですね。

小田島:原宿のHB Galleryという場所へ会いに行ったんです。ギャラリーに入ったら、安齋肇さんや小林克也さんがいてびっくりしましたね。それが38年前で、僕は今では52歳、スージーさんは68歳ですから。案外と長い関係なんですよね。

Celeina:その後スージーさんのもとで働かれたんですよね。

小田島:スージーさんが審査員をするコンペティションに応募したりして、高校時代から絵を見てもらっていました。専門学校の夜間部に入ったので、昼はスージーさんのところで働いて、夜に学校に行っていました。スージーさんの事務所は新宿にあったんですが、「ヘタウマ」の開祖である湯村輝彦さんのスタジオもご近所だったりしたのでカレーをご馳走になったり、本当に色々な経験をさせていただきました。アルバイトしていたのは1990年くらいですね。

タカノ:イラストとかデザインの師弟関係ってどういうものなんでしょうか?

小田島:最近、水道橋博士にお話を伺うタイミングがありまして、やっぱりビートたけしさんのこと真っ直ぐに尊敬してらっしゃるんですよね。それに比べて、僕はスージーさんとは友達みたいになっちゃって。これで良いのか? と(笑)。

タカノ:仲良さそうにお写真に写っている印象はありますね。

小田島:もちろん尊敬していますし、何もかも教えてもらったという感じですからね。筆の洗い方から、クライアントとの交流の仕方までと言う感じです。

タカノ:厳しい部分もありましたか?

小田島:わりと厳しかったですね。あと、実質的なことを勉強させてもらいました。これぐらいのギャラの仕事だったら、これぐらい時間かけた方がいいとか。かけ過ぎると徒労に終わるよとか。

Celeina:めちゃくちゃありがたいですね。シビアだけど知りたいところだと思います。

小田島:あと、諦めなきゃいけない時もあるよとか。最初は「なんて夢がないんだ…」と思ったんですけど、今では全部勉強になっています。

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