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吉田雅史はアンダーグラウンドなヒップホップシーンから『批評再生塾』まで渡り歩く

2024.5.31

#MUSIC

20代からはアンダーグラウンドなシーンでラッパーとして活躍

タカノ:ラッパーとしての活動を始めたのは何歳ぐらいからでしたか?

吉田:ラッパーの活動を始めたのは2000年頃で、20代になってからです。8th wonderというグループをやっていたんですが、メンバーとはクラブで出会ったんですよ。そのときは外国人の友達とクラブに遊びに行っていて英語で喋っていたので、後の8th wonderのメンバーにも英語で「ヒップホップ最高だよね〜」とか話かけていた。お酒も入っていたからか、なぜか日本語はカタコトの設定で(笑)。でも別の日本人の友達と日本語で普通に喋っているところを見られて、「お前さっきは英語で話かけてきていたけど、日本語もペラペラなんじゃねえか!」ってツッこまれたんです。そこから気づいたら仲良くなって、一緒に活動していくことになったんです。

タカノ:そんな始まり方があるんですね(笑)。当時はどういうシーンでしたか?

吉田:出会い方からしてパーティーラップをやりそうなイメージかもしれないんですけど、違うんですよ。当時のヒップホップシーンとしては、アメリカでは1990年代後半からヒップホップがどんどん商業的になっていたんです。そこで、本物のヒップホップはポップで商業主義的なものじゃないということで、アンダーグラウンドなヒップホップをやる人たちがどんどん増えて、新しいスタイルが更新されていく感じでした。それに日本も歩みを一緒にしていた時代だったんですが、そこに自分たちも出ていったので、超アンダーグラウンドなリアルなヒップホップをやっていました。DJ KRUSHさんがシーンを引っ張っていて、THA BLUE HERBや降神とかが出てきたタイミングだったので、シリアスでヒリヒリするようなシーンでしたね。

タカノ:その当時の空気感を現場で感じているなんて、すごいですよね。

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