グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。
12月12日は、世田谷区用賀にあるパティスリー「Ryoura」のオーナーパティシエである菅又亮輔さんが登場。実は乳製品が苦手だというバックボーンについてや、自身のスタイルで作られるスイーツとお店の誕生秘話などを中心にお話を伺いました。
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子供の頃一番身近だったのは、実家で作られるお菓子
Celeina(MC):まず、プロフィールをご紹介させていただきます。菅又亮輔さんは、1976 年新潟県生まれ。 高校卒業後、お菓子の世界に入り、26歳から3年間に渡ってフランス各地で修行。 2015年10月に、自身がオーナーパティシエとなる「Ryoura」を世田谷区用賀にオープン。 お店だけではなく、メディアや講習会などでも活動されています。
タカノ(MC):昨日登場いただいた坂井さんは、菅又さんのことを「日本一ケーキを作っている職人」と言っていましたね。
Celeina:毎日どれくらい作られているんですか?
菅又:ちょっと誇張されていますね。(笑) でも結構たくさん作っていて、生菓子だったら500〜600個ぐらいは作ります。
Celeina:1日で?
菅又:はい、それを毎日。あとは、1日おきにクッキーを2000枚くらい、マカロンは500〜600個くらい焼いています。
Celeina:朝は何時からなんですか?
菅又:早くて朝6時半くらいからお店に入って、そこからオープンに向けて準備をしていく感じです。
Celeina:我々が日々食べている美味しいお菓子は、朝から一所懸命作っていただいているんですね……。
タカノ:本当に。なんかもう感謝を噛みしめないとですね。
菅又:楽しくやっているので大丈夫です。
Celeina:菅又さんはご実家がお菓子屋さんだったんですか?
菅又:母の実家が和菓子屋さんで、そこで洋菓子部門として父がケーキを作っているという環境で育ちました。
Celeina:小さい頃からお菓子は身近な存在だったんですね。
菅又:当たり前にあるものだと思っていましたね。佐渡島なのでコンビニとかはまだその時、近くに無かったんです。だからこそ身近に食べられられるのが実家のお菓子という感じだったんですよね。
タカノ:ちょっと羨ましい環境ですね。
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乳製品が食べられなくてもパティシエに
Celeina:小さい頃から結構食べていたんですか?
菅又:実は、子どもの頃から乳製品が嫌いなんですよ。一切食べられなくて。
タカノ:全部というと、生クリームも乳製品ですよね。
菅又:全然ダメです。チーズとかもダメですが、高校3年生のときにバターは克服しました。
タカノ:バター克服!(笑) どうやって克服したんですか?
菅又:色んな食べ方を試してみたんです。「溶かしたらこんな味がするんだ」みたいな発見とか、塩をかけて食べたら美味しかったとか。そんな感じでちょっとずつ美味しさの情報を集めて克服しました。
タカノ:生クリームは今も苦手なんですか?
菅又:全然ダメです。
タカノ:生クリームってスイーツの主演級じゃないですか。
菅又:牛乳とかも当たり前に身近にあるんですが、スイーツを作るときに温めると、牛乳の匂いがすごく出るんです。もうそれがきついんですよね。
タカノ:ちょっと待って、そんなパティシエさんいるんですか!?
Celeina:菅又さん、ボディランゲージも含めて面白すぎます。分量とか味見とかはされますよね?
菅又:仕事なのでしますね。
Celeina:仕事だからって思いながら、召しあがっているんですか?
菅又:できれば回避したいのですが、食べないと味が作れないので。でも、試作すると僕が乳製品嫌いだから最初は何の味もしないものができるんです。そこからちょっとずつ自分が食べられない味にしていくんですよ。そうすると、みんな美味しいって。
タカノ:その逆センサーみたいなものがすごく進化して敏感になっていて、味に対して信頼感のおけるものになっているんですよね。
菅又:どうなんでしょうか。(笑)
Celeina:意外でパンチがありすぎて。
タカノ:菅又さんが食べられないものを作ることによって、みんなにとっては美味しいものができると。
菅又:そうです! そういう感じです。
タカノ:面白いですね。
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できなさをバネに努力していたらお菓子作りが面白くなってきた
Celeina:基本的にレシピは分量が決まっていて、量りながら作られるんですか?
菅又:もちろん決まったレシピで普段は作るんですが、最初に作るときは「わあ、牛乳の味がしてきたな」と思ったらそこで分量が決まります。
Celeina:そこでメモするんですね。(笑) そんなに乳製品が苦手というバックボーンがありながら、パティシエになろうと決めた瞬間はどこにあったんですか?
菅又:なんとなく……。
Celeina:ご実家の家業だったということでは?
菅又:就職活動とか進学のことを考えなければいけない高校3年の9月ぐらいかな。ギリギリでこの先どうしようと思っていたとき、父に「お前は何がしたいのか」と聞かれて「ケーキ屋かな」みたいな感じでした。父がお菓子を作っていたのが、なんとなくかっこよく見えたんじゃないですかね。
Celeina:なるほど。
菅又:だから、なんとなくこの世界に入っちゃったんです。
タカノ:でもパティシエというお仕事に、やりがいや魅力は感じているわけですよね。
菅又:今は。
タカノ:「今は」ということは、ぐっと入り込んだ瞬間があったんですか?
菅又:当時は面白くなかったから、専門学校にもあまり行けていなかったんです。だけどそれでは就職もできないので、先生が「夏休みにも1ヶ月間お菓子を作りに、学校に来い」と。そうしたら、クラスのみんなが当たり前にやっていることが、自分は全然できなかったんです。レシピを見ても卵は泡立たないし、スポンジはパサパサだし。できないことが悔しくて、ずっとやっていたらどんどん面白くなってきたんですよね。
タカノ:なにがあるかわからないものですね。
菅又:人生って不思議だなと。
タカノ:まだまだお話を聞いていきたいのですが、1曲挟みたいと思います。菅又さんに選曲をお願いしたんですが、選曲理由から聞かせてください。
菅又:お店をオープンした当初、色んなことを悩みながらよくドライブをしていて。そのときによく聞いていたのがサカナクションで、その中でも妙に刺さって「俺、頑張ろう」みたいになれたのでこの曲にしました。
タカノ:では、曲紹介をお願いします。
菅又:サカナクションで“ユリイカ” です。