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レンガ職人の高山登志彦が見つけた、夢だった彫刻家とレンガ職人の共通点

2023.11.8

#ART

グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。

9月4日は、レンガ職人で高山煉瓦建築デザインの代表、高山登志彦さんが出演。今回は、レンガ職人になったきっかけや、仕事の内容、レンガ建築の魅力などについて伺いました。

フジロックでレンガ職人と運命的な出会い

Celeina(MC):週の最初は番組が推薦する、そしてタカノさんが推薦する、レンガ職人で高山煉瓦建築デザインの代表、高山登志彦さんです。

タカノ(MC):よろしくお願いします。

高山:こんにちは、高山登志彦です。よろしくお願いします。

タカノ:まずリスナーの皆さんにご説明なんですが、『フジロック』のサイコロ企画みたいなものがありまして、それで我々のミッションを決めたんです。

Celeina:そう、やらなきゃいけないこと、というので。

タカノ:その1つで「FIST BUMP」のゲストを探してくるっていうのがありまして、誰か面白い人いないかなって血眼になってフジロック会場をウロウロしていたんですよ。そうしたら、DAY DREAMINGでお会いして。

高山:はい、山の上で。

タカノ:そうなんです、山の上でお会いして。たまたま共通の知人の方がいまして、その方が繋いでくださって。

Celeina:今日の天気もちょっとDAY DREAMING感ありません?

タカノ:ある! 色々なことを思い出しました。

高山:運命的な出会いで。

タカノ:本当に偶然出会ったということで。

Celeina:嬉しいですね。まず高山さんの簡単なプロフィールをご紹介させていただきます。お祖父さん、お父さんと3代にわたるレンガ職人として、18歳のときに第一歩を踏み出されました。3代目継承後も信濃町煉瓦館、晴海トリトンの再開発、そして函館中央図書館など、現代建築から修復保存まで様々なレンガ建築を手がけていらっしゃいます。そして2014年、ご自身が代表となる株式会社高山煉瓦建築デザインを設立。レンガを使ったアートワークの制作を始め、講演会、シンポジウムへの参加など職人の復権、こちらをテーマとする活動も多方面にわたり展開中です。

タカノ:はい。ということでね、僕、初めて高山さんにお会いしたときに、レンガ職人ですと言われて、レンガ職人! ちょっとゲストで来ていただけませんかって。

高山:かなりびっくりされてましたよね。

タカノ:はい、めちゃくちゃびっくりしました。そもそもレンガでお仕事されている方が周りにいなくて。

Celeina:なかなか私の周りにもいらっしゃらないです。

彫刻家を目指していたけれど気付けばレンガ職人に

タカノ:そういえばレンガってかなりレアだなっていう気がしたんですよ。で、実際にレンガ職人さんっていうのは、日本でそんなにいないんですよね。

高山:そうですね、建築に携わる我々のようなレンガ職人は、私が知ってる範囲では、5、60人。もう絶滅危惧種、レッドゾーンの職人なんですよね。

Celeina:すごいですね。本当に初心者で申し訳ないんですけど、レンガ職人って、具体的にはどんなことをされてるんですか?

高山:皆さんご存知の『三びきのこぶた』という、末っ子が非常に強いレンガの建物を作って最後にオオカミを追っ払うという話がありますが、その末っ子のこぶたちゃんみたいにレンガを建物の壁に積むという職人をしています。ですから、公共建築から民間、ランドスケープにかけて、建物の外壁にレンガを積むという仕事をしています。

Celeina:なるほど。『三びきのこぶた』では、あの子はすごく楽そうに、いとも簡単にレンガを積み上げていきますけども、現実には相当な計算と時間を積み重ねて、1つの建築ができあがるわけですよね。

高山:1から重力を味方につけて、1段目から高いところは1000段とか1500段ぐらいレンガを積んでいきます。非常に途方もない労力を要するんですけども、それが楽しくてやってるというのも、魅力があるからなんでしょうね。

タカノ:やはり数学的な技術というか、センスや知識みたいなものが必要になってくるんですか?

高山:なっていきます。構造的な要素を非常に求められる素材なので、やはり頭の中はある程度、数学力というか、数字力がないと、なかなか職人としては一流にはなれないというのはありますね。

Celeina:なるほど。

タカノ:高山さんはお祖父様もお父様もレンガ職人ということで、昔からレンガ職人になりたかったんですか?

高山:実はですね、レンガ職人になりたいとは、当時さらさら思っていなくて。高校を卒業した18歳の段階では彫刻家になりたかったんです。学校に行くとかではなくて、イタリアに行ってマイスターのもとで彫刻の修行を積みたいと思っていて。ただ行くにはお金を貯めなければいけないので、手っ取り早くうちの親父に「ちょっとアルバイトさせてくれよ」と。時はバブル絶世の頃だったので、建築業界がなかなか実入りが良くて、1年ぐらいアルバイトをさせてもらって、お金が貯まったので、「そろそろ親父、行くよ、じゃあね」と言ったら、「いや、ちょっと忙しいからあと半年ぐらい手伝ってくれないか」と。僕もしょうがないかと半年手伝って、それで半年経って、もういよいよ「親父、行くよ」って言ったら、「登志彦、俺を見捨てるのかよ」みたいなね。

タカノ:ずるずると(笑)。

高山:本当にずるずると。で、また半年経ったら、「登志彦、ちょっと言葉を覚えていった方がいいんじゃねえか」って。僕も単純なんで、そうだよな、ちょっと言葉は半年ぐらい覚えていこうと思って。それで騙され騙され、職人になったという。

タカノ:何かお父さんの戦略的な部分はあったかもしれない。

高山:多分、相当戦略性があったと思いますね。

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