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「後進の育成は、一流になればなるほどやる」(山崎)
山崎:私の場合、切っても切れない「イチローとの出会い」というのがあって、小学校の時、課題図書になっていたプロ野球選手のイチローの本を読み、何か好きなことを見つけて努力を重ね、夢を大きく持って一流になる、という生き方に憧れました。それ以来、イチローにとっての野球は、自分にとってはなんだろうというのを探している中で、中学2年の時に授業で映像制作に出会って、これを私にとっての野球にすると誓ったわけです。
でも、大学に行くまで映画に色々な種類があることも知らなかったくらいで、ドキュメンタリー映画を志したのはニューヨーク大学映画制作学部の2年の時です。ドキュメンタリーの基本を学ぶ授業で、アメリカを代表するドキュメンタリー編集者であり、キャリアの後半は映画監督でもあったサム・ポラードという巨匠と運命的に出会いました。

山崎:ストーリーテリングを上手く運べばこんなに伝わるんだとか、ドキュメンタリーにおいて編集ほど大事なものはないんだというような考えを彼から学びました。卒業後は助手になり、生きていくために編集スキルをどう上げてお金を稼ぐかなど全部を教えてもらって独り立ちしていったんですけれど、自分の作品をいつか撮れたらいいなという人生のキャリアモデルみたいなものも学んだ気がします。

山崎:あと、サムさんは第一線で活躍しながら、何十年も先生として、私に限らず後進を育成していたんです。若い人を雇って自分の助手にして、教えながら一緒に制作していくというような、そういうことはやっぱり一流になればなるほどやっていくんだという姿勢も学びましたね。
─そこから後進の教育につながっていくんですね。
金川:僕は前からずっと学校をやりたいというのは言っていました。ドキュメンタリーをどうにかしなければいけないという危機意識があり、そのためには教育が必要でそれをやらない限り変わらないねと、山崎さんも含めたドキュメンタリーの仲間内で集まるたびに話していました。

金川:今回スクールの拠点として、今日の取材場所でもある東急プラザ原宿「ハラカド」内のクリエイティブラウンジ「BABY THE COFFEE BREW CLUB」を使わせていただくのですが、1年ほど前にここがオープンする時に声をかけていただいて、山崎さんから「あそこで温めていたスクールをやったほうがいいよ!」って言われて。場所も見つけたし、これはやらざるを得ないなと本格的に準備を始めました。
