4月19日 (土)の大阪公演を皮切りに現在開催中の『Girls Just Wanna Have Fun Farewell Tour』は、シンディ・ローパーの6年ぶり通算15度目のジャパンツアーにして、最後の日本公演。当初、4月22日 (火)の日本武道館のみのアナウンスだった東京公演は一瞬にして完売となり、追加公演として翌23日(水)が、再追加公演として25日(金)の公演が同じ日本武道館で開催されることとなった。
1980年代にソロデビューを果たし、70歳を超えてもなお、幅広い世代からの支持を受け続けるポップアイコン、シンディ・ローパー。親日家としても知られ、およそ半世紀にわたってポップシーンの最前線で活躍する彼女のこれまでと日本との関係を振り返る。
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前途多難な下積み時代、「アンユージュアル」なスタート
アメリカはニューヨーク州のブルックリンに生まれたシンディ。学校に馴染めず、授業を受ける代わりに絵を描いたり、歌を歌ったりして過ごしていたという。17歳のときには、自分の置かれた環境に嫌気がさし、高校を退学してしまう。退学後は、ありとあらゆる仕事を転々とし、バンドのバックグラウンドシンガーとしても活動していた。その後、別のバンドにリードシンガーとして加入するものの、喉を痛めてしまい、アーティスト活動を1年間休止するなどの災難に見舞われる。
自身の音楽活動をスタートさせたのは、バンド・Blue Angelを結成した1978年のことだ。イギリスのレーベル「ポリドール・レコード」からリリースしたデビューアルバム『Blue Angel』は、評論家から支持を受けたにもかかわらず、ロカビリーサウンドがシーンに受け入れられず、商業的成功には及ばなかった。バンドはすぐに解散し、シンディは自己破産を申請することとなった。
決して順風万端ではなかった世界的アイコンの駆け出し時代。転機となったのは、「ポートレートレコード」と契約を結んだこと。レーベルスタッフの全面的な協力を受けて、1983年に代表曲”Girls Just Want to Have Fun”や”Time After Time”を収録した1stアルバム『She’s So Unusual』を発表する。女性ソロアーティストとしては史上初となるデビューアルバムからのシングル4曲がトップ5入りを果たすという快挙を成し遂げ、見事なまでの商業的成功を収める。
海外の主要音楽メディアはこのアルバムについて、以下のような評価を残している。
前身バンドのような、単なるオールディーズの寄せ集めではなく、力強いシンセサイザー主体のバンドに支えられ、ローパーは優れた才能を発揮している
Album Review: She’s So Unusual. Rolling Stone(筆者訳)
フェミニズムを巧みに表現したニューウェーブポップのアルバムで、MTV時代の幕開けのきっかけになった
Album Review: She’s So Unusual. Pitchfork(筆者訳)
デビューアルバム『She’s So Unusual』は、シンディ・ローパーという1人のアーティストとして前身バンドからのシフトチェンジに成功したと同時に、音楽シーンの中でも、MTV世代ブームの先駆けとなる画期的な作品でもあったと言えるだろう。
元々、”Girls Just Want to Have Fun”は、男性アーティストが作詞作曲した男性目線の楽曲だった。当時「あらゆる女性に向けたアンセムを」と考えていた彼女が、楽曲を女性の視点で捉え直し、社会的な束縛から解放されて自由に楽しむことを歌ったポップソングへと昇華させたのだ。そして同曲は、いまやフェミニストアイコンとしての彼女を象徴するアンセムとして、広く認識されるようになった。
”Money Changes Everything”では物質主義をテーマに、お金によって目論見や打算が見え隠れする人間関係を、”She bop”では当時としてはセンセーショナルなセルフプレジャーや個人の自由を歌ったシンディ。アンユージュアルな(普通ではない)表現方法で、彼女の存在は一躍知られることとなった。
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東日本大震災直後に来日公演を敢行した彼女が示した、音楽の癒しの力
新日家としても知られる彼女と日本の関係は深く、デビュー前の定職もなく不安定な日々を過ごしていた時期までさかのぼる。彼女は当時ニューヨークで日本食レストランを経営していた日本人女性と出会う。夢を追う若者を積極的にサポートしていたその女性は、シンディの当時の状況を見かねて、彼女の店で働くよう提案。「いつか売れる日が必ず来るからその日まで頑張りなさい」と励まされたことで、シンディは日本に親しみを覚えるようになった。
その後、彼女は1986年9月に日本武道館で初来日公演を果たす。1995年に阪神・淡路大震災が発生した際には、義援金を寄付しただけではなく、翌1996年2月に行われたチャリティーイベントの生田神社震災復興節分祭にて豆まき神事にも参加。日本への親身なサポートを続けた。
日本との関係がより強固なものになったのは2011年の東日本大震災。2010年にリリースしたアルバム『MEMPHIS BLUES』を引っ提げた東名阪でのジャパンツアーを3月16日から予定していた彼女は3月11日に来日、上空で東日本大震災を迎えた。予定していた空港に着陸できず、混乱の中で来日していた海外アーティストが続々と公演を中止して帰国する一方、シンディは予定通り公演を開催した。
さらに翌年の2012年にもシンディは新潟、東京、大阪、愛知を回るジャパンツアーを開催。ツアーはライブビューイングが開催され、岩手、宮城、福島の映画館では無料上映された。ツアーの合間では、震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市の小学校を訪問したり、記者会見にも参加したり、惜しみない支援をもたらしてくれた。記者会見ではこんな言葉を残している。
「私は(震災直後の日本に)留まりました。なぜなら私がいることがいい意味で気晴らしになると思ったからです。70分か80分でしかないですけど皆で集まって、一緒に歌うことができるわけですから。私は音楽には癒しの力があると思っています。もしかしたら、その(震災の)ことを少し忘れられるかも知れない。ほんの少しの時間だけれど。そして気分が少し晴れるかも知れない。そしてまた現実に戻るわけですが、以前ほど辛くないかもしれない。私はいつも音楽に助けられてきました。なので単に私はそれを他の人にも伝えていきたいだけなのかも知れません。念のため申し上げますが、本当にひどかったです。大量のがれきが私の国に向けて流れていますから、いずれ、どれほど甚大な被害だったか、理解するかも知れないと思っています。以上です。私は大統領選に出馬するわけでもないですし(笑)単なるロックンローラーですから。私はロックンロールが世界を救うとずっと信じています。ロックが世界を救う、今でもそれが私の原点となっています。そのように私は育ったのです。」
シンディは忘れない・・・今年も3.11に自身のSNSで日本へのメッセージを投稿。(2012年3月12日日本外国特派員協会記者会見時の模様も全文掲載します)https://www.sonymusic.co.jp/artist/CyndiLauper/info/550460
東日本大震災から14年が過ぎた2025年の現在。我々は日本各地で多くの天災を経験し、世界はいろいろな問題に直面している。日々の生活で小さなことに足元を掬われることだってある。それでも、シンディが言うように、音楽の癒しの力に頼って楽しむ権利は誰にだってあるのだ。
今回のツアーは、彼女の約40年に及ぶキャリアを総ざらいするようなセットリストになることが公言されている。シンディは「みんなが幸せな気持ちになれる形でお別れを言いたかった」と述べている。前触れもなく突然解散や活動休止を発表するアーティストやバンドもいるなかで、シンディは最後の機会を与えてくれた。Girlsもそれ以外も、彼女と目一杯「Have Fun」しようではないか。
シンディ・ローパー『Girls Just Wanna Have Fun Farewell Tour』
4/19(土)Asue アリーナ大阪 17:00 開場 / 18:00 開演
4/22(火)日本武道館 18:00 開場 / 19:00 開演
4/23(水)日本武道館 18:00 開場 / 19:00 開演
4/25(金)日本武道館 18:00 開場 / 19:00 開演