映画『教皇選挙』が2025年3月20日(木)から公開となる。第97回アカデミー賞脚色賞を受賞した話題作、その魅力を紐解く。
※記事末尾にトリガーアラートがあります。トリガーアラートには、映画本編の内容を明らかにする記述を含みます。あらかじめご了承下さい。
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サスペンスエンターテイメントにして寓話
キリスト教最大の教派=カトリック教会の最高指導者であるローマ教皇が死去した。新教皇を決定するため、世界中から候補者が集まり極秘選挙が幕を開ける。果たして、空位となった教皇の座に就くのは誰か――。
映画『教皇選挙』は、第97回アカデミー賞で作品賞を含む8部門にノミネートされ、脚色賞に輝いたミステリー。外部から完全に遮断された教皇選挙(コンクラーベ)の世界を描いたロバート・ハリスの同名小説を、これが自身初の長編英語作品となるドイツ人監督エドワード・ベルガーが映画化した。
謎と陰謀に満ちた秘密選挙の裏側で何が起きているのか。人々の思惑はいかにうごめき、いかなる結論を導き出すのか? これはスリリングなサスペンスエンターテイメントにして、現代社会の病巣をえぐり出す寓話でもある。
映画はレイフ・ファインズ演じる首席枢機卿トマス・ローレンスの後ろ姿から始まる。コツコツと道を急ぐ足音とその息づかいからは、すでに十分な焦燥感が感じられるだろう。ローマ教皇の死を知ったローレンスは、遺体のもとにあわてて駆けつけたのだ。
すなわち、この物語における最大の「事件」は映画が始まる前に起こっている。同じく教皇の訃報を聞きつけて集まったのは、ローレンスの友人であるアルド・ベリーニ、保守派の重鎮ジョセフ・トランブレら。そして、遺体の第一発見者であるヤヌシュ・ウォズニアックだ。
教皇の死という緊急事態を受けたヒリヒリとしたせりふのやり取りや、さりげない目線の動き、呼吸の間合いなどが、人々の関係性とその間に流れる緊張感を示唆する。フォルカー・バーテルマンの音楽は冒頭からサスペンスフルに映画を盛り上げ、せりふの合間にも弦楽器の音色が絡みあって、さながらすべてが渾然一体となった音楽のようだ。これはただものではない物語がはじまった、とすぐにわかる。

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秘密選挙に渦巻く陰謀
教皇選挙(コンクラーベ)とは、カトリック教会の最高位である教皇の死去あるいは辞任のあと、新たな教皇を選出するために実施されるもの。選挙権を有する高位聖職者の「枢機卿(すうききょう)」は、世界中からバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂に集められ、選挙の秘密が漏洩しないよう、また不要な影響を受けないよう、新教皇の選出まで外部との接触や電子機器の使用を禁じられる。ひとりの候補者が全体の3分の2の票を得るまで、投票は何度でも繰り返されるのだ。
選挙を管理する責任者となったローレンスは、次々にやってくる候補者を出迎える。下馬評で最有力とみなされていたのはリベラル派である親友ベリーニだったが、保守派で嫌われ者のトランブレ、イタリア人の教皇を望む伝統主義者のゴッフレード・テデスコ、初のアフリカ人教皇になるかと注目されるジョシュア・アデイエミらも同じく有力候補だ。

ただでさえ重責に苦悩するローレンスを、突如浮上した2つの謎がさらに追いつめる。ひそかに教皇が承認したという、参加者リストに掲載されていないアフガニスタン・カブール教区の枢機卿ヴィンセント・ベニテスの来訪。そして、教皇が死の直前にトランブレを解任していたという証言だ。つまり、ここには「招かれざる客」がすでに2人もいる。その事実を知ったベリーニは、「年老いた教皇には正常な判断能力がなかった」と断じるのだった。
公正な選挙を実行するため、管理役であるローレンスはグレーゾーンに足を踏み入れる。自らが外部と接触できない以上、助手のレイモンド・オマリーを派遣して事態の真相を探らせるのだ。ローレンスがシャーロック・ホームズなら、オマリーはジョン・ワトソンである。
ベニテスは本当に見かけどおり誠実な男なのか。教皇がトランブレを解任したという噂は真実なのか。それが真実だとしたら、いったいなぜ、何のために?

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世界の象徴としての礼拝堂
『教皇選挙』という映画は、現代社会に対する一種のステートメントだ。密室と化した礼拝堂と、枢機卿たちが利用する宿舎「聖マルタの家」は、さまざまな国籍と民族性、アイデンティティをもつ人々が集まったグローバル社会の象徴として機能する。
主人公のローレンスはイギリス人、友人ベリーニはアメリカ人、対立するトランブレはカナダ人。テデスコはイタリア人、アデイエミはナイジェリア人、ベニテスはメキシコ人だ。聖マルタの家には運営責任者のシスター・アグネスもいるが、「世界最古の家父長社会」である教会でシスターの存在は基本的に透明化されている――特別な問題が発生しないかぎりは。

それぞれの国や思想を背負ってバチカンを訪れた枢機卿たちは、表向きには穏やかに接する。しかし、「文化や人種が異なる者が、神への信仰のもとに結びついている」と口にしたローレンスに対し、テデスコが「実際には言語で分裂している。昔はみなラテン語を話していたのに」と応じるように、水面下には利害と対立が絶えず存在するのだ。「ラテン語はリベラル派が死語にした。このままでは教会が空中分解する」とテデスコは言い放つ。
かたや、テデスコの教皇就任をなんとか阻止したいベリーニも強硬だ。なにしろ「テデスコが批判するものをすべて支持する」とまで言うのだから、そこに筋の通った思想があるのかはもはや疑わしい。「反対のための反対、攻撃のための攻撃」だが、それによく似た主張や論法を観客である私たちはよく知っているだろう。ときには現実の政治空間で、ときにはSNSという言論空間で。