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「記憶は残っていくのだから、私たちは自分に対しても他者に対しても心を広く持てればいい」
一方、両親を演じたジェイミー・ベルとクレア・フォイのアンサンブルも素晴らしい。若くして亡くなったために息子のほうが年を取っているという特殊な設定ではあるのだが、愛情豊かな両親の像を細やかに体現している。現代から見るとやや保守的な価値観を持っている彼らは、アダムがゲイであることをカミングアウトすると複雑な表情を見せる。息子を愛しているからこそ心配し、ゲイに対する偏見を露わにしてしまうのだ。こうした両親のキャラクター像について、ヘイはこのように説明する。
アンドリュー:そもそも親が息子である主人公より若いという奇妙な設定なのですけれども、この映画では、俳優はとにかくキャラクターをよく理解していなければならなかったと思います。
クレアもジェイミーも実生活で子どもがいて、子育ての複雑さや親であることの大変さをよく知っていると思うのだけど、この映画において重要なのは、親は子どものことをどんな状況でも100パーセント愛しているということです。愛しているのだけど、それだけではどうしても足りないという複雑な状況がときにはあるのだ、という物語なのです。

実際に、『異人たち』においてカミングアウトが含む複雑さは物語上のきわめて重要な要素として描かれる。近年のLGBTQ+を扱った作品では、子どものジェンダーやセクシュアリティーに対して理解のある親の像がよく見られるようになった。現実に存在する差別や偏見を作品のなかで再生産させまいとする意思がそこには含まれているだろう。
しかしながら、『異人たち』に登場する両親はアダムのカミングアウトを受けて、ある種典型的に「古い」反応を見せる。それは彼らが1980年代で亡くなったために当時の価値観で止まっているということもあるのだが、現実においてそのような偏見や差別が決してなくなっていないことを示唆するようでもある。本作のカミングアウトのシーンについて、ヘイはこのように説明する。
アンドリュー:両親は当時の時代感覚でカミングアウトを受けているので、そうした(旧弊的な)反応を見せるわけですが、それ以上にここで描こうとしているのは、(ゲイである)アダムが1980年代当時どのような気持ちを抱いていたか、ということです。その瞬間の世界が自分をどのように見ていたのか、それに対して自分がどのように感じていたか、思い出すのです。
つまり言いたいのは、記憶というのは残像のように自分の中に生き続けるということです。過去にあったことだったとしても、それが一度起こると、私たちの中にずっと残っていくのです。時代は変わったとしても、私たちの中に記憶は残っていくのだから、私たちは自分に対しても他者に対しても心を広く持てればいいのに、という想いがそこには込められています。

それでも、アダムと両親はお互いに思いやりを示し、カミングアウトを経て感情的な側面で理解し合うようになる。同じように、アダムとハリーは肉体的な行為以上に、ゲイとして感じてきた孤独を共有することで精神的に結ばれていくのである。
『異人たち』は幻想的な幽霊譚であると同時に、寂しい現実を生きる人間たちが痛みや悲しみを通してつながっていくさまを美しく映し出した作品なのだ。ゲイが人生で抱えている孤独を丹念に見つめているからこそ、ジェンダーやセクシュアリティーを超えて伝わる感情が浮かびあがってくる。ヘイは、作品の核についてこのように語っている。
アンドリュー:このように死者たちと出会う状況になったのは、ある意味、すべてのキャラクターがお互いとのつながりを求めたからだと思っています。主人公のアダムだけでなく、両親もまた、息子に会いたい、お互いに会いたいと願ったからこそ、こうした状況が具現化したのではないかと想像したのです。

『異人たち』

全国劇場にて公開中
製作年:2023年
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
原作:異人たちとの夏」山田太一著(新潮文庫刊)
監督:アンドリュー・ヘイ
出演:
アンドリュー・スコット
ポール・メスカル
ジェイミー・ベル
クレア・フォイ
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