川村カ子トは、旭川アイヌのリーダーであり、JR飯田線開通に尽力した鉄道測量技師だった人物だ。飯田線の開通は本州の近代化の一助を担っており、その功績が評価されてきた。
旭川アイヌの音楽家・現代美術家であるマユンキキは、自身の祖父である川村カ子トに向き合う中で、外部の人たちから伝えられる祖父の偉大な部分だけではなく、直接家族から聞いていた祖父の異なる一面も伝えたいと思うようになったという。それは『あいち2025』で発表される作品に反映されている。
『あいち2025』では、マユンキキ個人としては現代美術の部門に出展、マユンキキがこれまで共演 / 共作を行なってきたメンバーとともに結成した「マユンキキ⁺」としてパフォーミングアーツ部門に参加する。「マユンキキ⁺」の稽古場に伺い、マユンキキがこれまで重ねてきたリサーチをもとに辿った、生前の祖父や周囲の人の記憶について語ってもらった。
自分の肉親という身近な存在の人間らしさに向き合うことで、過去を立体的に捉えること。つまり、現在の時点で知られている結果としての情報だけではなく、さまざまな人の複雑な事情が重なっていた過程を知るということは、どうしてもわかりやすい方向に流されてしまう傾向にある私たちが、川の流れに負けない杭のように、自分の足で立ち続けるための第一歩かもしれない。
INDEX
現代美術『クㇱ』とパフォーミングアーツ『クㇱテ』は対となる作品
旭川アイヌの音楽家・現代美術家であるマユンキキは、声や語りを中心としたパフォーマンス作品を国内外で展開してきた。北海道から東京、シドニーまで幅広く活動し、どの作品もアイヌというルーツに向き合いながら、あくまで個人の視点での表現を貫いている。

1982年チカプニコタン、ヤウンモシㇼ / 近文コタン、北海道生まれ。ヤウンモシㇼ /北海道拠点。アイヌの伝統歌を歌う「マレウレウ」「アペトゥンペ」のメンバー。2021年よりソロ活動開始。2018年より、自身のルーツと美意識に纏わる興味・関心からアイヌ女性の伝統的な文身「シヌイェ」の研究を開始。現代におけるアイヌの存在を、あくまで個人としての観点から探求し、表現している。
2025年9月13日から11月30日まで開催される『あいち2025』では、インスタレーション作品『クㇱ』のほか、それと連動する形で、特別編成の新ユニット「マユンキキ⁺」として音と光と影を用いたパフォーマンス作品『クㇱテ』を上演予定。『クㇱテ』は、姉のレㇰポとのユニット「アペトゥンペ」や、音響設計のWHITELIGHT、アイヌ影絵のコラボレーターであるhoshifuneの小谷野哲郎・わたなべなおか、音楽家で、マユンキキとのアンビエントユニット「西瓜兄妹」の相方でもある廣瀬拓音等が参加している。マユンキキが信頼する仲間たちによる、綿密なリサーチをもとに構成される複層的なパフォーマンス作品だ。


対になるという、『クㇱ』と『クㇱテ』の二つの作品の背景には、マユンキキの祖父である川村カ子トの存在がある。川村は昭和初期、日本の鉄道敷設史上最大の難所のひとつとされた三信鉄道(現・JR飯田線天竜峡駅〜三河川合駅)の測量技師として活躍し、同時に旭川アイヌのリーダーでもあった人物だ。
マユンキキ:私が生まれる前に祖父は亡くなっていたので、さまざまな文献を読んだり、家族などに話を聞いたりする以外に、祖父を知る方法はありませんでした。2年前、祖父が敷設に携わった飯田線を初めて訪ねてから(※)、リサーチを重ねるなかで祖父にまつわる思い出が少しずつ増えています。
※『あいち2025』パフォーミングアーツプログラムブックに掲載されている「クㇱテマッとたたく少年」(山川冬樹著)によると、マユンキキの音楽仲間である山川がマユンキキを「三信鉄道で行く、二泊三日・天竜峡の旅」に誘ったのが、マユンキキが天竜峡を最初に訪れたきっかけだった。
INDEX
「祖父の人間らしさに向き合い、複雑な姿を追いかけたい」
『クㇱテ』は、土地のリサーチを通して得た、亡き祖父と繋がる実感をもとに創作された音と光と影のパフォーマンス作品だ。「JR飯田線開通が本州の近代化の一助になったということと、祖父がアイヌであることの間に矛盾を感じる」とマユンキキは指摘する。
マユンキキ:当時は最善だと思われたであろう近代化というのは、アイヌが植民地支配を受けた苦しい歴史と結びついてしまう。祖父の存在には、誇らしさを感じると同時に複雑な思いがあります。飯田線沿いの地元の人に祖父のことを尋ねると、素晴らしい功績を口々に話してくれました。でも、親族から聞いた話では、祖父は怒りっぽかったり喧嘩っ早かったりした一面もあったようで。
祖父の功績は、合唱劇や児童書にもなっているので子供の頃から大まかには知っていましたが、身内の私が、祖父をただ素晴らしい人物と捉えるのは違うと思います。祖父の偉業にだけ焦点を当てて、わかりやすく崇高な存在として祀り上げるのは簡単ですが、一気に祖父という存在が平面的になってしまう。むしろ私は祖父という一人の人間に向き合い、複雑な姿を追いかけたいと思いました。

INDEX
亡くなった人との関わりで、死への恐怖が消えた経験
そのように祖父の複雑な姿を追いかける過程で出会ったのが、飯田線沿いの天竜峡だ。マユンキキは、その激流と断崖の景色は、「地元・旭川のカムイコタン(神居古潭)に似ている」と振り返る。きっと祖父も天竜峡を見て、カムイコタンのようだと思ったのではないか——それが彼女の天竜峡への最初の印象だったようだ。
マユンキキ:私と祖父、そして天竜峡とカムイコタンという二つの土地が結びついたときの感覚が忘れられなかった。時間や土地といった遠くにあるもの同士を繋げたいという思いから『クㇱテ』を創作しています。
カムイコタンは、石狩川が山地を削ってできた渓谷なので、天竜峡と同様に急な地形で事故が多く、毎年旭川のアイヌの人々が儀礼をしに行く場所です。私が見た景色と祖父が見た景色は、100年くらいの時間のズレはあるけれど、大きくは変わっていないはず。リサーチを重ねる中で祖父の思い出が増えていったように、亡くなって今はいない人とでも新たに関係を築くことができる。そう考えることで、死への恐怖が和らいでいきました。
大きな夢だけど、という前置きをしつつ、いつかは「橋」を建てたいとマユンキキは語る。作品を制作し発表するのも、見えない橋を架けているようなものなのだ。距離が遠くて関係がないと思われている二つの場所——近代化以前と以降、過去と未来、上流と下流、アイヌと和人、先祖と子孫、演者と観客といった、一見すると対極にあり不可逆と認識されているものを繋ぐ作品となるのだろう。

作品のタイトルは、どういう意味を持つのか聞いたところ、「クㇱ / kus」は、アイヌ語で「〜を通る」という、「クㇱテ / kuste」は「〜を通らせる」という意味の言葉だと教えてくれた。
マユンキキ:舞台では、観客が演者をその場に通らせることもあれば、演者が観客を通らせることもあり、相互関係が成り立ちます。その相互関係を、タイトルに含ませました。
INDEX
3年前に決断した「狭間に居続けること」
二つの土地を結ぶ作品の根底には、サウンドリサーチもある。昨冬には、マユンキキにとって幼少期から身近な存在だった石狩川近くの雪山に登り、マユンキキ⁺のメンバーと強烈な体験を共有できたという。
マユンキキ:早朝4時頃に山に登ったとき、遠くの工場が動き始めたり、鳥が鳴いたり、音で夜明けを感じることができたんです。光よりも先に音で世界が変わっていく夜明けの感覚が鮮烈で、すごく懐かしい、不思議な気持ちになりました。
その後、母が私を身ごもっていたときに、出産前日に同じ山を登っていたということが判明して、もしかしたら私が生まれる直前にお腹の中で聞いていたのは、あの山の雪を踏む音だったのかもしれない。こんな出来すぎたことってあるんだ、と驚きました。普段からアウトドアが好きなわけではないし、山なんか特に登りたかったわけではありません。でもなぜかこの時は、雪山には登って、音を聴かなければと思ったんですよね。後から考えると、自分をチューニングするために必然だったんだと思います。


誰もが他者を尊重することが当たり前になれば、私が作品を作る必要はなくなるーー自分が作品を作らなくてもいい世界に変わることを望むというマユンキキに、「そういう世界が訪れた時に何をしたいか」問いかけた。
マユンキキ:なんだろう……ただ楽しいだけのことをしたい。ただ楽しいだけのことってなかなかできないじゃないですか。私、鼻歌が世界で一番幸せな歌だなと思っているんですが、作品を観た帰りに、みんなが絶対に鼻歌を歌っちゃうような。ただ楽しかったことだけを思い出せる作品を作れたらいいですよね。
話を聞く中で、疑問が生まれた。祖父の偉業が語り継がれて残っていく一方で、祖父の人間らしい側面も残したいと作品に反映したマユンキキは、その狭間を揺れ動くことについて、どのように考えているのだろう。
マユンキキ:どちらかの側に行くことってできないんじゃないかと思うんです。全てのことに事情がある、それはとても重要で。例えば祖父が鉄道を作ったことにも事情があるし、祖父に鉄道を依頼した人にもその人の事情がある。よいことも悪いことも、結果に辿り着くまでに本当にたくさんの事情が重なっています。
そうした、どんな事情も無視したくない。だから私は狭間に居続けて、揺れながら考え続けるしかないなと覚悟したんです。どちらかの側に寄ってしまうのって、楽なんですよ。でも楽をしないで、狭間にいたい。そうしないと自分の中にどんどん矛盾が生まれて、自分が美しくなくなってしまう。人として美しく在りたい。それをとても大事にしていて、だからずっと悩み続けるのだと思います。

INDEX
リラックスパフォーマンスについて
最後に、鑑賞マナーをゆるくする「リラックスパフォーマンス」を取り入れているマユンキキ⁺の公演について、取り入れた背景を聞いた。
マユンキキ:芸術祭も色々な地域で開催されていますが、地元の人を置いてきぼりにするのはすごく嫌なので……どのような感想を抱いてもいいんだと、緊張感をほぐし、安心できる作品にしたいです。アートや舞台は敷居が高く感じるかもしれないですが、『あいち2025』で発表する私の作品は、「そんなことはないから来てね!」と言いたいです。
橋や鉄道は、美術や舞台と違って入場規制がなく、そこに自然にあって何かのサポートが必要であっても誰でも通ることはできるもの。そういう作品を目指して、緊張感や安心感も全部含めて、現象として「舞台」があり、「舞台」という現象の中にただ「いてもらう」という状態を目指しています。同じ題材を扱った舞台とインスタレーションを行き来して、それぞれの表現の違いや、二つの作品を体験することの相互作用を、多くの人に感じてもらえたらいいなと思っています。

マユンキキ⁺『クㇱテ』

世界初演・新作
10/3(金)18:30♣、10/4(土)17:30♣、10/5(日)14:00★♣
会場:瀬戸蔵つばきホール(自由席)
10/12(日)13:00♡、18:30♡、10/13(月祝)11:00♡、16:30♡
会場:愛知県芸術劇場 大リハーサル室(自由席)
★ミート・ザ・アーティスト(終演後、トークあり)
♣リラックスパフォーマンス公演
♡託児サービスあり
『国際芸術祭「あいち2025」』

テーマ:灰と薔薇のあいまに A Time Between Ashes and Roses
芸術監督:フール・アル・カシミ
[シャルジャ美術財団理事長兼ディレクター/ 国際ビエンナーレ協会(IBA)会長]
会 期:2025年9月13日(土)~11月30日(日)[79日間]
会場:愛知芸術文化センター、愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなか
主 催:国際芸術祭「あいち」組織委員会
[会長 大林剛郎(株式会社大林組取締役会長 兼 取締役会議長)]