2025年3月2日(現地時間)に開催された、第97回アカデミー賞授賞式。ノミネートには話題作が多く、票が割れることが予想されていたが、蓋を開けてみれば『ANORA アノーラ』が5部門で受賞で幕を閉じた。本稿では当日の様子や受賞作を振り返りながら、今年のアカデミー賞を総括する。
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ショーン・ベイカー監督、『ANORA』で快挙
第97回アカデミー賞は、ハリウッドが危機に見舞われるなか開催された。2023年の組合ストライキの影響が依然として残り、制作の海外流出が続くなか、年明けにはカリフォルニアが山火事に襲われてしまった。そんな状況下で行われた授賞式は、カリフォルニアに愛を贈る『ウィキッド ふたりの魔女』(2025年3月7日公開)のメドレーで幕を開けた。
危機の年度に圧勝したのは、アメリカ映画界が誇るインディー監督、ショーン・ベイカーによる『ANORA アノーラ』(公開中)だった。同作の脚本や編集も手がけたベイカーは、個人で作品・監督・脚本・編集賞の4冠を達成。これは1954年のウォルト・ディズニー以来の偉業だが、一作品のみでの達成は史上初となる。
『ANORA アノーラ』は、ロシアの御曹司と突如結婚することになったセックスワーカーが混乱に巻き込まれていくコメディ。これまで意図的に政治性を廃してきたベイカーが「はじめて政治に切り込んだ」と評された、経済格差にまつわる物語でもある。
前哨戦の受賞演説でインディ映画文化の向上をポジティブに訴えつづけていたベイカーは、監督賞の受賞スピーチでも、映画関係者やファンに向けて熱いメッセージを贈った。
「配給会社のみなさん、どうか劇場公開に尽力してください。親御さんたちは、子どもたちを映画館につれていってください。次世代の映画ファンや制作者を育てることになります。そしてみなさん、できるだけ劇場で映画を見て、素晴らしき劇場鑑賞の伝統を永らえましょう」(スピーチより意訳)
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主要部門の勝者たち、そのスピーチと逸話
メイクアップ&ヘアスタイリング賞『サブスタンス』
主演女優賞を『ANORA』マイキー・マディソンに敗した『サブスタンス』(2025年5月16日公開)のデミ・ムーアも、多くの注目を集めた。同作は、50歳になった瞬間に解雇された元女優が「若い身体」を手に入れてルッキズムに苛まれていく衝撃作として、共感を呼んだ。オスカーがめったに評価しないホラー作品でありながら、主演女優賞の筆頭候補に挙がったこと自体が偉業と言えるだろう。
主演男優賞・撮影賞・作曲賞『ブルータリスト』
主演男優賞に輝いたのは、2003年の『戦場のピアニスト』で20代として史上最年少受賞者となりながら、その後低迷も経験したエイドリアン・ブロディ。感極まりながら、俳優業のはかなさについて語っていった演説は5分36秒にわたり、オスカー史上最長記録を達成した。
ブロディが建築家を演じた『ブルータリスト』(公開中)は、予算1,000万ドル(約15億円)未満でありながら、往年の名画のような壮大さを誇る歴史劇。作曲部門を受賞したダニエル・ブルンバーグは、ロックバンドYuckの元フロントマンでもある。
助演女優賞・歌曲賞『エミリア・ペレス』
前哨戦を総なめしていた2部門の勝者は、家族愛にわいた。『アバター』シリーズでおなじみのゾーイ・サルダナは、フランス製ミュージカル『エミリア・ペレス』(2025年3月28日)で麻薬王の性別適合手術計画に巻き込まれていく弁護士を熱演し助演女優賞を獲得。はやくに父を亡くした女性家族の一員として、ジャマイカ系アメリカ人初の受賞を祖母に捧げた。
助演男優賞『リアル・ペイン~心の旅~』
ユダヤ系の青年がルーツをたどる旅を描いた『リアル・ペイン~心の旅~』(公開中)で、わけありのカリスマ従兄弟を演じたキーラン・カルキン。面白い演説で知られる彼は、観客席の妻に「オスカーをとれば四人目の子どもを産んでくれるって約束した」とユーモアたっぷりに語った。また、兄のマコーレ・カルキンも涙したという。
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長編ドキュメンタリー部門では、強力な声明も
長編ドキュメンタリー映画賞『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』
ほがらかなコナン・オブライエンが司会をつとめた授賞式は、きついジョークも政治性も少なく進行された。そんななか、強力な声明が発せられたのが、長編ドキュメンタリー部門。
『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(公開中)は、軍に侵攻される故郷のパレスチナ人居住区を撮影し続けた青年がイスラエル人と協力していく様を映している。ジャーナリストの四人は、受賞スピーチでガザ地区と人質の開放を訴えるとともに、二国間解決を阻むアメリカの外交政策を糾弾した。
国際長編映画賞『アイム・スティル・ヒア』
国際長編映画賞も、政治的な作品が受賞した。ウォルター・サレス監督による伝記映画『アイム・スティル・ヒア』(2025年8月公開予定)は、1970年代の軍事政権下で誘拐された政治家の妻の人生を描いている。同作が記録的な動員数をあげたブラジルでは、過去の失踪にまつわる再審査が進み、死亡の責任が政府にあると認められるなど、変化が起こっていった。もちろん、カーニバルで授賞式を生中継した現地の人々は、念願の受賞に大盛りあがりした。
長編アニメーション部門『Flow』
ラトビアも、初のオスカーに歓喜した。番狂わせを起こしたのは長編アニメーション部門。『野生の島のロズ』(公開中)などのハリウッドの大作を相手どり、同国のインディーアニメ『Flow』(2025年3月14日公開)が栄光に届いたのだ。
細田守や藤原タツキも称賛した同作は、大洪水に見舞われた世界で動物たちが水上の旅をしていく神秘的な物語。主人公の猫の動きがあまりにもリアルなため「鑑賞中にうちの猫も反応していた」と驚嘆したオスカー会員もいたようだ。