アフリカ系アメリカ人の日常と人間性をスクリーンに映し出した映画作家、チャールズ・バーネット。その初期代表作、『キラー・オブ・シープ』と『マイ・ブラザーズ・ウェディング』の4Kレストア版が、特集上映企画「チャールズ・バーネット エブリデイ・ブルース」として、2月7日(土)に日本で劇場初公開された。
当時のハリウッド映画、アフリカ系アメリカ人を客層に想定して作られたブラックスプロイテーション映画のステレオタイプな表象から離れ、独自の視点と詩的な感性で撮るバーネットの作風は、世代やジャンルを超えて高く評価されている。なかでも『キラー・オブ・シープ』(1977年)は、伝説的な傑作とされ、「第31回ベルリン国際映画祭フォーラム部門」では国際批評家連盟賞を受賞した。
以下では、『キラー・オブ・シープ』に描かれたテーマを探り、現代への影響を見ていきたい。
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大人の重々しさと子供の軽やかさ
本作において最も際立っているのは、大人の重さと子供の軽やかさとの決定的な違いだ。主人公であるスタン(ヘンリー・G・サンダース)は、羊の屠殺場という動物の死と無機質な作業が繰り返される場所で働いている。2人の子どもを養うため働くも、彼は精神をすり減らしまともに寝ることもできず、妻も沈鬱な表情を浮かべる。

その足取りは車に乗っている時でさえ重く、2人がかりで苦労して持ち上げてトラックに積んだエンジンは、すぐに荷台から転がり落ちて台無しになってしまう。道に置き去りにされたエンジンはどこか寂しげだ。人の心臓のようにさえ見える動かないそれを、カメラはゆっくりと捉えている。このショットに象徴される産業の荒廃と社会の停滞感。周縁化された1970年代初頭のロサンゼルス・ワッツ地区が持つ重々しい空気、その重力に押さえつけられているかのようだ。

一方で、子供たちは驚くべき軽やかさと速さで画面を横切る。地域を走り回り、線路で遊び、塀に登って石を投げる。足取りが軽く、活力に溢れ、そして時に暴力的でさえある。停滞した社会の重さなど感じてないかのように自由だ。
貧困にあえぐ社会と大人と子供の姿を、素人の俳優を起用し、ドキュメンタリーの手法で捉えたこの映画が、イタリアのネオレアリズモ(※)、とりわけヴィットリオ・デ・シーカ監督作品の『自転車泥棒』(1948年)を参照しながら語られるのはもっともだ。
※ネオレアリズモ:第二次世界大戦後の1940〜50年代にかけてイタリアで展開された映画・文学の写実主義運動
しかし、バーネットはこの大人と子供の対照性を残酷なまでに先鋭化させている。それが顕著に現れているのが、子供たちが屋根と屋根の間を飛び越えるシーンだ。ラッパーのモス・デフ(現ヤシーン・ベイ)のアルバム『The Ecstatic』のジャケットに使用されたことでも知られるこの場面。子供たちの跳躍を映した直後、カメラがそのままゆっくりと下を向くと、スタンたちが歩いている。その足取りは重く、気だるささえ伝わるが、ふと彼らが上を見上げるとカメラが切り替わり、今度は真下から、まるで重力などないかのように子供たちが次々と飛び越える姿を捉える。

別の場面、大人たちの乗る車と反対方向に走る子供を一度に収めたロングショット。画面の奥へと向かう車はずんぐりと動き、非常に遅く感じる。一方で画面の手前に向かってくる自転車はとてつもなく速い。
こうして大人と子供、重さと軽さ、そして速さの違いを見事な構図で捉えた印象的なショットの数々は、断片的でつながることもなく物語として結実することもない。断片が反復されたその終わりのなさが貧困地区の境遇の停滞感をさらに感じさせる。