初開催となる『千葉国際芸術祭2025』の集中展示 / 発表期間が11月24日で幕を下ろした。3年に1度のトリエンナーレ方式で実施される、千葉市の各所を使った都市型のアートフェスティバルだ。サブタイトルは「ちから、ひらく。」。アートの力で地域をひらき、人々の心をひらく体験を、千葉から世界へ発信している。
国際芸術祭として、日本人作家のみならず、さまざまな国のアーティストが参加している『ちばげい』。千葉駅周辺に加え、西千葉や海浜地区など6つのエリアで大規模にプロジェクトを展開したが、特筆すべきは作品展示に収まらないこと。市民参加が重視されており、リサーチやワークショップなど、ほとんどのプログラムに千葉市民が参画。「地域リーダーズ」という運営スタッフチームも千葉市近郊在住の専門家が中心となっている。
では、その実態はどんなものなのだろうか? 今回はアートユニット・岩沢兄弟のいわさわたかしと、西千葉の創造的な場づくりに長年携わってきた西山芽衣という、「地域リーダーズ」のメンバーを務める2人の対談をお届けする。「ちばげい」のチーム体制やプロジェクトの新規性、そして市民の価値観の変容まで、芸術祭のコミュニティセンターとなっている「アーツうなぎ」にて話をうかがった。
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芸術祭を機に、「実は千葉にいた」プロフェッショナルが大集結
―新しい芸術祭として『千葉国際芸術祭』が2025年から始まりました。拠点となるエリアも多く、大規模に展開しているアートフェスティバルだと思います。まず今回のインタビュー会場であり、この芸術祭のコミュニティセンターでもある「アーツうなぎ」、おもしろいスペースですね。
いわさわ:ここはもともと「うなぎ安田」という鰻屋さんだったんです。2014年に閉店したんですが、物件はそのまま残されていたので、芸術祭をきっかけにコンタクトを取って。みんなで掃除から始めて、2階はイベントスペース、1階は僕ら岩沢兄弟の展示空間とアトリエとして改装していきました。千葉県庁の目の前にあって人通りも多いので、この店で作業をしていると、街の人にも「何かが始まるんだ」という雰囲気が伝わるんですよ。実際、昨年からここで作業をしていると、扉をガラッと開けて話しかけてくれる方も多くて。

―地域の人とのコミュニケーションは展示会期の前から始まってたんですね。最初に、いわさわさんと西山さんの『ちばげい』との関わり方を教えてください。
いわさわ:まず、僕はアーティストとして岩沢兄弟とTMPR(てんぷら)というグループで作品を出展してます。
岩沢兄弟としては、「アーツうなぎ」の空間を活用しながら「キメラ遊物店」というお店として運用していくことが作品です。また、この「市場町・亥鼻エリア」のエリアディレクターと、地元と芸術祭のつなぎ役であるリエゾンディレクターという役職でもあります。TMPRとして自分たちの作品もつくりつつ、いくつもの役割を並走して担っていたので、ほとんど準備期間の記憶が飛んでるくらい(笑)。

岩沢兄弟の弟。1978年千葉県生まれ、武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン学科卒業。クリエイターユニット「岩沢兄弟」の企画とディレクションを担当。学⽣時代よりフリーランスとして映像制作、ウェブ制作などを手掛け、2002年有限会社バッタネイションを兄とともに設⽴。「モノ・コト・ヒトのおもしろたのしい関係」を合言葉に、人や組織の活動の足場となる拠点づくりを手掛けている。空間・家具などの立体物設計、アナログとデジタルを活用したコミュニケーション設計を得意とする。プロダクト開発やワークショップ等も多数手がけ、近年は瀬戸内国際芸術祭出品をはじめアートフィールドでも活動している。

西山:私はジェネラルプロデューサー、クリエイティブディレクター、そして西千葉エリアディレクターという3つの肩書きがあります。ジェネラルプロデューサーとしては、総合ディレクターの中村政人さんや実行委員会の人たちと一緒に芸術祭全体の方向性を話し合ってきました。あとは協賛金を獲得したり、展示場所を探して交渉したり、チームメンバーを形成するために足りていない人材を地域から引っ張ってきたり……広範囲でいろんな仕事をしています。
クリエイティブディレクターとしては、デザイナーさんと一緒に制作物の提案や管理、またエリアディレクターとしては、西千葉エリアで実施されるプログラムに関してアーティストやプロジェクトチームと伴走してきました。

株式会社マイキーのディレクター / 『千葉国際芸術祭2025』ジェネラルプロデューサー。1989年、群馬県生まれ。千葉大学工学部建築学科を卒業。まちづくりの企画プロデュースを行う(株)北山創造研究所に入社。2014年、「HELLO GARDEN」「西千葉工作室」の企画 / 立ち上げを行う。2015年、「HELLO GARDEN」「西千葉工作室」の運営母体であるマイキーに入社。2019年、「子ども創造室」を企画 / 立ち上げ / 運営を行う。企画 / コンテンツ開発 / クリエイティブディレクション / 人材育成など幅広いスキルを活かして、西千葉のみならず日本全国で人の日常の舞台となる場づくりと人々の創造的な活動のサポートに取り組む。
―お2人とも八面六臂の活躍ですね。千葉に対する強い思い入れを感じますが、西山さんは千葉大学の卒業生なんですよね。
西山:はい。地元は群馬なんですが、千葉大学に入学してからずっと千葉に住んでいます。とくに、西千葉エリアのまちづくりにはずっと携わってきました。自分が住んできた街でもあり、地域活動をしてきた場でもあるので、そこで芸術祭が行われるとなれば、私にとっては他人事ではありません。
―西千葉は、どういう地域なのでしょうか?
西山:西千葉駅は快速が止まらない駅なので、開発が行われるわけでもなく、個人店が多く人の顔や個性が見えるようなエリア。そういうスケールだからこそ、街の人たちと知り合うきっかけがたくさんあります。また千葉大学があるため、たくさんの若者が出入りしてきた地域でもある。「文教都市」としての誇りもあるから、外から来た人に対して寛容で、新しいことを受け入れる許容性もあるんですよね。
もともと私たちの会社では「HELLO GARDEN」や「西千葉工作室」といった場づくりをしてきましたが、それも地域が応援してくれる空気があったからできました。まちづくりの活動をしているNPOもたくさんあるし、ここ15年ほど小さな動きがたくさん起こっているエリアです。今回芸術祭を西千葉で展開できたことで、アーティストのみなさんの力で新しい風が吹きましたし、西千葉が次のステージにいける兆しやポテンシャルも感じています。

千葉市の中で、比較的様々な駅に散らばっている。モノレールや電車、自転車や徒歩、もちろん車などで移動可能。
―いわさわさんは千葉市出身だと聞いています。
いわさわ:僕はこのすぐ裏のあたりで育ちました。ただ近所の小学校に通っていた頃から、あまり地元意識はなかったんです。中学高校時代も違う街の私立校に通い、大学は武蔵野美術大学だったので東京を満喫していました(笑)。その後アーティストとして全国の地域プロジェクトに関わってきたんですが、僕と兄にそれぞれ子どもができたタイミングで「地元に戻ってみよう」と。子育てをする環境という視点で千葉市を見たとき、自分も子どもも楽しく過ごせる場所をどうやってつくれるだろうと考えながら、この芸術祭に関わってきました。

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観光型ではなく市民参加型。目指すのは、市民の意識が「ひらく」こと
―お2人は「地域リーダーズ」も務めているそうですが、主にどういった活動をするポジションなのでしょう?
西山:地域リーダーズは、芸術祭をつくるにあたって貢献できる専門性を持った人材の集まりです。実はそういう人たちは千葉市にたくさんいるんですが、お互いを知っていても一緒に何かしたり、千葉のためにスキルを活かしたりする機会があまりなかったんですね。私自身、たしかに千葉で長く仕事をしてきたんですが、千葉市全体の大規模なプロジェクトに携わったことはありませんでした。
そんな人たちがこの芸術祭をきっかけに、それぞれの持つ専門性を千葉という街に対して活かす機会が生まれました。地域リーダーズと共に何かを起こすことで、地域の関係性が変化することが大事だと思っています。いま20名くらいの地域リーダーがいるんですが、そのうち3分の2くらいは千葉でもともとつながりのあるメンバーで、公募を見て参加してくれた方も何人かいます。

いわさわ:千葉市以外のメンバーもいますけど、ほとんどが千葉県在住ですね。
―「地域の可能性をひらく 参加型アートプロジェクトの祭典」と謳っているように、そもそも『ちばげい』は市民参加を強く掲げています。
西山:芸術祭としての方針は、写真映えする屋外彫刻を見て回るような観光型というより、まちづくり的な要素も含んだアートプロジェクト型になっています。全ての作品に何らかのかたちで市民が参加しているんですよ。
大事なのはプロセス。できあがった作品を鑑賞するとか、付随的に用意されたワークショップに参加するということではなく、リサーチや素材集め、制作などの各段階に市民が関わっています。もちろん他の芸術祭でも市民参加のプロセスは重視されていると思いますが、その部分を特徴として打ち出して、少しでも多くの市民に関わってもらうことを目標にしているのが『ちばげい』ですね。
市民の方々がアーティストやプロジェクトと深く関わっていくことで、自分なりに何か発見したり、考えたり、そこで出会った人たちと新しい関係性が生まれたりする。結果的に市民の意識や行動に変化が起こることで街全体が変容し、それが千葉市の未来をつくっていくことを目指しています。


