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憧れた東京に正解はなかった。どこにいても少数派だった日々で磨かれた音楽的感性
―東京に来てから、福岡にはなかった「お前もこれ分かるか」みたいな共通の感覚や場面を感じることはありましたか?
橋本:千葉の大学に通っていたので、東京の中心にいたわけではないものの、もちろんいろんな人がいていろんな音楽を聴いてるんだろうなとは思ってました。でも、自分が子どもの頃にネットで感じていた、「東京に行けば同じ感覚の人がたくさんいるんだろうな」という期待は、実際に出てきてみると全然違いました。やっぱり自分の好きなものはマイノリティーなんだなっていうのを実感したんです。

橋本:例えば、スケートカルチャーが好きで、freshjiveというブランドがすごく刺さっていたんです。地元にいるころは、SupremeとかStussyと並ぶくらい有名だと思っていたんですが、東京に来てみたら全然知ってる人がいなくて、アパレル関係の人に聞いても「知らない」って言われて。
そういう経験を通して、音楽に限らず自分に刺さるものって、案外一般的には刺さっていないんだなって改めて感じました。
―僕も大学進学のタイミングの上京組で「東京ならみんなアクモン好きでサマソニに毎年行ってるんだろう」みたいな期待があったんですが、実際はそうでもなくてちょっとがっかりしたんです。最終的には「そういうものか」と時間が経って受け入れられたんですが、橋本さんも似た経験はありますか?
橋本:あるかもしれない。もっと独善的だったというか。自分が好きなものを盲目的に知らない人にも伝えようとして、「なんでこんなにいいのに知られていないんだろう」と不思議に思っていました。
おそらく、自分ぐらいの人間でも良さを感じ取れるんだから、他の人だったらもっと簡単に分かるはず、と思っていたのかもしれません。でも最近になって、そういう気持ちはだいぶ薄れました。人それぞれ感じ方も違うし、育ってきた環境も違う。当たり前のことなんですけど、ようやくそれが腑に落ちてきた気がします。
―橋本さんの生い立ちは、自身の音楽に影響していると思いますか?
橋本:作品にダイレクトに影響しているかというと難しいですけど、僕は千葉で生まれて、5歳まで神奈川の茅ヶ崎に住んでたんですよ。だから育ちは福岡だけど、住んでいる当時はむしろアウトサイダーとしての意識が強かったです。いろんな場所を転々としていたからこそ、特定の音楽にのめり込むというより、いろいろなものを取り入れたのかもしれない。自分なりに「これもいい、あれもいい」と触手を伸ばして自分自身が形成されてきたように思います。
そういう意味で、振り返ってみると自分たちがデビューした頃も同世代のシーンの中で、どこか距離を置いている自分がいたなと思います。自分の距離の取り方って、昔からあまり変わっていないのかも。自分が完全に福岡で生まれ育っていたら、人間性とか、出てくるものもまた違っていたかもしれないです。