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ロバの視線が表すもの。先入観や思想を手放した感覚で世界と出会い直す
それは、EOの目を通して描かれる人間たちの行為ですら同様だ。動物愛護団体による主張も、心優しい女性による親切な振る舞いも、サッカーチームの対立も、唐突な殺人も、獣医が損得関係なしにEOを救うのも――それらは物語を構成する要素として配置されているわけではない。時折EOが人間から受ける暴力に観る者は怒りを覚えるだろうが、だからと言って、それらは「人間は残虐なものだ」という作家による「主張」のために導入されたものでもない。それらはただ、そこで起きるのだ。

スコリモフスキはインタビューで、現在ヨーロッパで戦争が激化していることに心を痛めていると話している。おそらく多くの人がいま、世界で起きている悲惨な出来事にさまざまな意味や文脈を求めようとしているだろう。そしてときには、それらに対して「主張」や「メッセージ」を放つこともあるだろう。
『EO イーオー』はしかし、それとはまったく異なるやり方で世界に対峙する。先入観や凝り固まった思想を完全に手放して、ただその瞬間に起きていることに目を凝らし、耳を澄ませる。どこまでも感覚的に、ロバのように曇りのない瞳で……。そこには意味を超えた喜びや悲しみ、驚きや快楽があり、スコリモフスキはそれこそが映画的な営みであると提示するかのようだ。映画は――芸術は、「理解する」ためにのみあるのではない、と。
いま、人間によって世界中で引き起こされている悲惨な事態を思うとき、ロバのように純粋に世界を捉えようとすることはあまりに無邪気なことだと感じる者もいることだろう。だが、『EO イーオー』は詩的な映画表現としての力強さでそうした冷笑的な考え方をも乗り越えていく。そしてこの映画を観るわたしたちもまた、理解したつもりになっていた世界と新たな感覚で向き合うことができるのだ。
