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NEWS EVENT SPECIAL SERIES

NOT WONK加藤が語る『FAHDAY2024』と街の文化。再開発される街で守りたいもの

2024.9.17

#MUSIC

加藤修平がNOT WONK / SADFRANKとして活動してきたこと、そのすべてのアクションに通底してきたのは、「自分 / あなたの価値を誰かの手に委ねてはいけない」という姿勢である。彼がパンクに共鳴してきたのも、オルタナティブという言葉を単なるジャンルとしてではなく「生きる道の選択肢」として表明してきたのも、構造とシステムによって命に値札が貼られ存在が数値化されていくばかりの現代を生き抜くための新たなユニティを求める精神性からだった。2019年に地元・苫小牧で開催された『YOUR NAME』では、個々の存在のミニマムな証明である「名前」を掲げ、名前を呼び合い対話を重ねることから生まれる信頼と自治を求めた。さらに2023年に『gel』をリリースしたSADFRANKでは、人々に投げかけた「存在とは」という問いを自らに向けるようにして、自己の輪郭を求めながら音楽の宇宙を旅し続けた。常に個人に向き合い、そして個人の存在を押し流さんとするものにNOを突きつけ、生きて生きて生き続けることを鼓舞する視座が彼の表現を前に推し進めてきたのだ。

そんな加藤が興した新たな祭りが『FAHDAY 2024』であり、開催発表とともに放たれたステイトメントの言葉を借りれば「表現の交換市」という看板のもとに人が集う新たな広場だ。

2020年から数年続いたコロナ禍によって半ば強制的に地元・苫小牧で長い時間を過ごしたこと。その日々の中で、加藤が見過ごしていた人の営み。そして、その営みこそが個々の命の主張であり、止まることなく積み重ねられてきた文化そのものなのだという視座——それらを束ね、街という文化の中で交わった人々と手を取り、人と人の連鎖によって大きな円を描きたいという精神性が表されるであろうこの市場について、加藤に洗いざらい語ってもらったのがこのインタビューである。結果として、加藤という人間の一切変わらぬ人間観と、今我々が手元に手繰り寄せるべきものがクリアに見えてくる語録となった。

加藤修平(かとう しゅうへい)
NOT WONK/SADFRANK。1994年苫小牧市生まれ、苫小牧市在住の音楽家。2010年、高校在学中にロックバンドNOT WONKを結成。2015年より計4枚のアルバムをKiliKiliVilla、エイベックス・エンターテインメントからリリース。またソロプロジェクトSADFRANKとしても2022年にアルバムをリリース。多くの作品で自らアートディレクションを担当している。

全部を自分でやり切ろうとした『YOUR NAME』だったのに、到底無理だった。

ー加藤さん考案によるイベント『FAHDAY2024』(ファーデイ)の開催が発表されました。本イベントを「表現の交換市」と位置づけるステイトメントも同時に発信されていたわけですが、そういった精神性、このイベントに至るまでの経緯を教えていただいてもいいですか。

加藤:2019年に苫小牧のELLCUBEで開催した『YOUR NAME』以降、「何かをやらないといけない」っていう気持ちだけがあって。今回の『FAHDAY』は地元の仲間やお店に力を借りながら開催するものですけど、振り返ってみると、2019年の『YOUR NAME』はそれと真逆のものを志していたんですよね。全部自分でやります、全部を自分で制作しますっていう。チケットもNOT WONKの3人の手刷りで、クロークも僕がやって、チケットのもぎりもやって。何しろ3人でやり切りますっていう気持ちで、2019年の7月から半年で準備したものだったんです。

『YOUR NAME』2019年12月7日@苫小牧ELLCUBE(撮影:桑島智輝)

加藤:で、262人のお客さんと24組のオープンバンド(※)、スタッフを合わせた、368人。その一人ひとりの楽しみ方が繋がっていくことによって、本当に素晴らしい1日になったと思うんです。ただ、全部を自分でやり切りますと言って始めたイベントだったのに、そこが到底無理だったっていうのがあって。「一人ひとりに向き合いたい、だからDIYでやる」というイメージだったのに、フタを開けてみたら、ストーブに全然灯油が入ってないとか、そういうことに全然手が回らなかった。そういう一つひとつを、誰かに手伝ってもらうことばかりだったんですよ。

※『YOUR NAME』のオープンステージ企画に出演したバンドのこと。2019年7月5日11:00から7月6日10:30までの期間に応募した全アーティストが出演。出演者には、Gotch、Discharming man、突然少年、やっほー、TIMELY ERROR、The Triops、SUP、インディーガール、まえだゆりな、BANGLANG、INViSBL、ザ・ジラフス、脱兎、Hue’s、SEAPOOL、And Summer Club、LADALES、JEEP、The Big Mouth、cult grass stars、zo-sun park、Dr.NY、MAPPY、大久保光涼が名を連ねた。

ーひとりで頑張ろうとしたことでむしろ、誰かの力を借りていいということに気づかされた?

加藤:そうなんですよ。全部ひとりでやろうなんて考えていたのは俺だけだったのかもしれないっていうことに気づけて。オープンバンドとして出演してくれた人も、お客さんも、「これは私が手伝わないといけないな」って思ってくれていたんだなって痛感したんですよ。なので、全部自分でやると言いながらもたくさんの人に手伝ってもらう結果になった『YOUR NAME』は、到底DIYと呼べるものじゃないっていう着地をしたんですよね。それに、DIYが最も意味を持つのって、DIYでやることが最大のクオリティを生む時だと思うんですよ。そうじゃない限りDIYのイベントなんてやらないほうがいいとすら思っていて。

ーひとりでやること自体が目的になって、その結果クオリティが低いんだったら本末転倒ですからね。もちろん『YOUR NAME』は素晴らしい1日だったし、素晴らしいライブの連続だったわけですけど。

加藤:DIYでやると言い張りながら人の助けをどこかで待っている状態だったとしたら、慈善の搾取でもありますからね。だったらフェアな形でみんなに力添えをお願いして、ひとつの場所を作ろうと思った。それが今回の『FAHDAY』に至る考え方の出発点でしたね。

自分のポリシーやイデオロギーを表現するためだけのイベントを組むのは、ナンセンスに思えてきちゃった。

ー「表現の交換市」という本イベントの位置づけも、各々の人生を持ち寄ってフェアな形で共有するという意味合いなんですか。

加藤:そうですね。たとえばこういったイベントを開催する場合、どうしても言い出しっぺが神輿の上に乗らないといけなくなるし、そうなると神輿の上の人間の利益が多くなることが大半ですけど、俺はそういう仕組みがピンとこないんです。みんなの力を合わせてやったなら、分け前もフェアであるべきだし、そういう場所を作りたいんだよなって、『YOUR NAME』直後から考えていて。

でもそのままコロナ禍に入ってしまって、自分の主義とか精神性とか言ってる場合でもなくなっていった感覚があって。多くの人がコロナ禍で痛感したことでしょうけど、それぞれの人生があって、個々に大切な信念があるわけだけど、そんなことより自分や家族の命、自分の周りの人間の命が常に危険に晒されていて、それを守ることを常に優先しないといけない社会にいて、その中で自分のポリシーやイデオロギーを表現するためだけのイベントを組むっていうこと自体が俺にはナンセンスなことのように思えてきちゃったんです。自分の意地のために「DIYでやるんだ!」なんて言ったところで、お前そんなこと言ってる場合か? っていう数年だったわけですから。

ーとっくに破綻した社会のシステムを目の前にして、今こそ個人と個人の連鎖を基にした新しいユニティを作るべきいうことも痛感しましたよね。

加藤:そうなんですよね。だから、私が独善的に設定したテーマやイデオロギーを叶えることを目的にした場所じゃなくて、その場に居合わせたそれぞれの人間が、ひとりのまま有機的に交差して、それが最終的にひとつの意味や表現になっていく場所があったらなと思ったんです。これは自分の根底にある考えですが、すべての個人の足跡が表現なんだということは変わらない部分ですね。

ー個人の日々の営みが「表現」だとおっしゃるのはその通りだと思いつつ、加藤さんご自身は、どういう場面でそれを感じたんですか。

加藤:コロナ禍の間、ずっと地元の苫小牧で過ごしていたことが大きくて。俺はバンドを始めた頃から「東京でひと旗上げて飯食おう」みたいな気持ちは一切持ってなかったけど、それでも軸足を苫小牧に置いたまま東京で活動することの方が多かったから、実際、苫小牧だけでなく東京で得たものや自分の表現に対するリアクションも少なからずあったんですよね。その中で地元と東京での自分の表現の受け入れられ方にギャップも感じるようになっていって。そのどちらもがピンとこなくて、それが自分が鳥でも獣でもないコウモリみたいな感じで、中途半端な気持ちだったんですけど。

でもコロナ禍で半ば強制的に苫小牧で過ごさなくちゃいけないとなった時に、自分が音楽家として表現したいことと、苫小牧での伝わり方、苫小牧が置かれている状況、東京のありさま、東京での理解、その全部がひとつになって融解していく感覚があったんですね。要は、自分が音楽家として表現したいことと、一個人としての苫小牧での営みとの境目がなくなっていったんですね。どちらもれっきとした自分の表現なんだと信じられるようになったんだと思います。

加藤:それこそ去年、自分からより遠ざかって、デカい宇宙を漂って本当の自分を見つけたい、みたいなイメージでSADFRANK(加藤のソロプロジェクト)のアルバムを制作していたんですけど。作り終えた時に、遠ざかろうとしてもなお滲み出てしまう部分に自分自身をみたんです。それから自分のことを宇宙みたいな大きなテーマとして捉えるんじゃなくて、もっとちっちゃくて、ちょっとの角度の違いで色や大きさが変わるようなものとして考えてもいいんじゃないかなって思ったんです。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/4gIseD8M4C2iiX3XuOnQmg?si=txyJmkazRfuWB3T41uwXzA

加藤:そういう歩みも、ミニマムな営みこそが一人ひとりの表現である、どんな場所にも一人ひとりの文化があるという当たり前のことに気づくきっかけだったと思います。自分の外にある社会も「自分」の中に含まれているなんて、当たり前のことじゃないですか。だけど、そういう部分を俺は忘れていた気がするんですよね。一人ひとりの人生を交換しながら個人が生きているんだっていう当たり前のこと。じゃあ、そのことを大きな声で示す場所があってもいいじゃないかと思ったし、それをやりたかったです。

けど……自分のやってきたことをこうして振り返ってみると、宇宙のように大きいと思っていたものがミニマムな答えに繋がっていたり、ミニマムなものが実は一番大きな世界だったり、そこの行き来を繰り返してきただけのような気もするんですけどね。でも、それが芸術をやる意味だと思うんですよ。

ーそうですね。物事を見る選択肢と発想を拡げていくこと。

加藤:それこそ行政がニーズに合わない(※)と取り壊しを決めた場所(『FAHDAY』の会場となる苫小牧市民会館)も、ちょっと見方を変えれば無限大の遊び場になるわけですから。すべてのものは移り変わっていくけど、変わるんだったら、いい方向に変えるべきじゃないですか。苫小牧の市民会館で言えば、会場の周りをぐるりと歩いて見ることが変化のヒントになるかもしれないし、はたまた、苫小牧のどんな場所に位置している建物なのかを考えることも有効かもしれない。あるいは、時代の中でどんなふうにくすんでいった建物なのかを僕の記憶の中から眺めてみてもいい。そこに「在る」っていうことを、多くの視点から見てみたい。僕の中には、そういう行動原理がある気がします。

苫小牧市民ホールの移転に関する資料はこちらから閲覧できる

苫小牧市民会館

変化を望まずに毎日を過ごしている。それが凄くカッコよく思えた。

ー共催には、苫小牧に根ざした飲食店の方々のお名前がラインナップされていますよね。コロナ禍の間に苫小牧で過ごして、苫小牧への視座の変化のきっかけになった方々なんですか。

加藤:そうですね。語弊を恐れずに言えば、コロナ禍の最中で出会った苫小牧の人達は、変化を望まずに毎日を過ごしているように見えて。それが凄くカッコよく思えたんですよ。僕は「1から10まで変えてやる」と思いながら音楽を作ってきたので、コロナ禍以前は変化を望まない生き方が、緩やかに何かを諦めているように見えていたんです。だから苫小牧の空気に馴染みきれないところがあったし、正直、一番居心地のいい場所ではなかったんです。でも今は、すでにここに在るものを大事にして遊んだり暮らしたりする、その「ありもの」の受け入れ方がめちゃくちゃクールに見えて。それが面白かった。

苫小牧にあるライブバーBar OldのTakashi Kurogome(主催 / 企画するFAHDAY MEETINGのメンバー)
苫小牧のミュージックバー「Bar Base」の友清裕貴(主催 / 企画するFAHDAY MEETINGのメンバー)

ー諦観の塊に見えていた営みが、どうして今クールに感じられたんですか。

加藤:なんだろうな……僕も歳を重ねたらこういう生き方をするのがベストなんだろうなっていう気持ちでもないんですよ。というよりは、今あるものを大事にする生き方も楽しいんだっていう気持ちも理解できるようになったのかな。諦めの意味合いじゃなくて、変わらないものや生きる安心感を生活に組み込むことって、すごく幸せなことじゃないかっていうことですね。それに、それを望んでも、できない場所とか人のほうが多いんじゃないかっていうことも思ったんですよ。

ーそうですね。生活を脅かす要因が増えるばっかりの時代に。

加藤:昔の俺はそういう緩やかな暮らしを形式的にしか見られてなかったっていうことだと思います。でもコロナ禍をきっかけにして地元の風景に一歩入ってみたら、一人ひとりの営みが緩やかに変化し続けている風通しのいい空間、ツアーで行ったどこの街にもない時間があったんです。自分が見落としてきたものを痛感したところがありました。

ー幸福の在り方は様々で、一人ひとりがそれを握りしめて生きているということが鮮明になっていったっていうことなんですかね。

加藤:そうなんでしょうね。バンドがどうとか、東京がどうとか、そういうことに興味すらない人達とも接する時間が長かったから。苫小牧のダンケンっていう55歳のニュージランド人の友達に苫小牧のスナックに連れて行ってもらって、ママに「どんな音楽やってんの?」って聞かれて、ちゃんと「パンクっすね」と言える自分でいられたり、ママに聞かせたら「いい音楽だと思うけど、これテレビでかからないでしょ」って言われる、みたいなのもよかったんですよ(笑)。初めましての1対1でもちゃんと伝わるんだと実感したし、肩をグルグル回しながらオルタナティブだパンクだと叫ばなくてもいいじゃないか、ちゃんと人に伝えられる音楽を作ってこられたんだから、もっとシンプルに人と対峙していければいいんだと思えましたね。

「街の文化」は、新しく作るものじゃない。日々の営みそのもの。

ー『dimen』のインタビューをさせていただいた際、コロナ禍に入る直前の時期にパニックの発作を起こすようになってしまっていたと伺いました。そういう自分を解き放つために、加藤さん自身が人に開いていったとも言えますか。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/7jFjo6QaBGyv4l6DYz3l9U?si=VqAQy3VYTLetdb0ZfT3X5Q

加藤:そうですね……自分から一歩踏み込んだっていうのは、そういうことだと思います。それこそ見方も景色も変わりましたし、自分をもっと解き放っていいと思えたキッカケだったと思います。

で、その「営み」とか「街の文化」に対する見方の根っこにあるもので言えば——これは『FAHDAY』をやるにあたって段階をすっ飛ばさないための話なんですけど、2022年に苫小牧で『TOMAKOMAI MIRAI FEST』っていうイベントが始まったんですよ。市長の岩倉(博文)さんを委員長に据えた苫小牧都市再生プロジェクト委員会が主催となって、「地方に眠っている新しいカルチャーやその土地が持つ魅力を再定義し、世界へ発信することを目的に行う」と看板を掲げ、新たな観光資源としてフェスを立ち上げたようなんですけど。そのフェスは東京に本社を置くプロダクション「ASOBISYSTEM」が事業として地方創生を請け負って企画・制作し、その所属アーティストが多く出演したフェスでもあるんですよね。で、それをやってみたら市長がエラい楽しかったらしく、盛り上がって「苫小牧にクラブを作ろう」(※関連ツイート)みたいなことを言ったらしいんですよ(笑)。

ー本当にわかりやすく盛り上がってる(笑)。

加藤:でもね、すでにCLUB ROOTSという今年で18周年になるクラブがあるし、他にもBar BaseとかRock Bar Jamとか音楽を聴いて遊べる店もある。苫小牧で長年やってきている人達がいるんです。そんな中での市長の発言や、フェスのコンセプトの割には地元の音楽シーンを蔑ろにしたような形の開催だったので、流石に僕も納得できなくて。だから僕は、そういう苫小牧で長年場所を作り続けてきた人達と一緒に「俺達がやってきたことを見ていないじゃないか!」ってガツンと怒るのが一番いいのかなと思ったんですけど、意外と苫小牧のみんなはサラッとしていて。「俺達がやっていることとは関係ないからね、俺達は俺達でしょ」っていう感じだったんです。

加藤:で、それこそ「表現」とか「文化」という言葉の話になってくるんですけど、たとえば僕が苫小牧駅からBar Baseに歩いて行くまでに、どの店をハシゴして、何を食って、最終的に何を飲むのかを考えるっていうのも立派な文化だと思うんですよ。そもそも「カルチャー」なんて誰が綺麗に定義できるんだろうって思うし、ある場所に根ざした人達の営みが繰り返されることで形成されていくものが「文化」のはずなんです。だとすれば、自分達の街でずっと続けられている営みを「文化」と呼びたかったし、自分の意志で生活を送っていること自体が人生の「表現」なんだって思ったんですよ。よく言われる「新しい文化を作ろう」とか、何言ってんの? って感じですよ。

ー作るも何も、人と人が交錯する場所にもうあるじゃないかと。

加藤:そう。それに、そもそも誰かが作れるものじゃないんですよね。一人ひとりの中ででき上がったものが交錯したり、まとまったりしながらでき上がっていくのが文化なので。街場を行き来して、人と人が出会って、いろんなものを共有して。そういうおびただしい量の足跡と痕跡が街とそこでの生活を形成しているんですよ。僕はそれこそを文化と呼びたいし、それが一人ひとりの命の表現だと思う。絵を描いたり音楽を作ったりしなくたって、それぞれの生活の往来こそが表現なんですよ。

僕で言っても、音楽家だからって音楽だけを作っているだけでいいはずがない。自分は、社会と接続された存在として生きて、その中ではじめて自分を表現しているんですよ。それは自分以外の誰もがそうだし、誰もが気づけることだと思う。それに気づいてもらいたいから『FAHDAY』をやるっていうことでもないんですけど、楽しかったり嬉しかったりする瞬間の中に「自分がどれほど美しい暮らしをしているのか」っていう気づきがあればいいなっていうのは思いますね。

僕は正直、このまま新しいものを欲し続けても幸せな未来が見えてこない気がするんですよ。

ーメッセージや問題提起の前に「楽しい」が先にあるアクションは、NOT WONKにとって初めてと言っていいんじゃないかと思うんですよ。

加藤:ははははは。確かにそうかもしれない。

ー楽しさと歓びが先にあって、その中に個々の気づきがあればいいっていう。そこが、以前の加藤さんと違うところのような気がするんですよね。

加藤:そういう意味では、自分なりに新しいものを作らないといけない! っていう思考だったのかもしれないですね。

ーでも、事情と建前で作るものではないですからね。あくまで一人ひとりの命の交感であるっていう部分は一切ブレてない。

加藤:だって、無理して何かを作らなくても、そこに文化と生活があるんだから。つまんねえと思って見ていた街の景色も、ちょっとだけ見方を変えてみれば面白いものになる。点でしか見られていなかったものも、もっと大きくて緩やかな流れの中で形成されている。そうやって角度を作ることが何よりも大事で、その角度を見せるっていうのが『FAHDAY』の大事な部分なんじゃないかなって思います。アートの役割ってそういうことだと思うし。

ーまさにそうですね。今の視座を広げたり、違う角度や選択肢を見せたり。音楽はもちろん、アートの力はそこにあると思う。自分なんて、社会なんて、世界なんて——そういう考え方に偏りやすい時代だと思うんですよ。システムはとっくに崩壊していて、戦争も虐殺も未だに止まなくて、リアルにもインターネットにも悪意が蔓延している。そういう現実がどうしたって目前に広がって、先にエンドロールを見せられているような気持ちになることが多い気がするんです。その中で、今あるものをどうやって面白がって笑顔で生きていくのかというミニマムな発想こそ、実は一番大きな世界に繋がるものだと思うんですよね。

加藤:これ以上に新しいものを買ったり、新しいものを作ったりすることで、果たしてスゲえ幸せな未来が訪れるのかってことですよね。僕は正直、このまま新しいものを欲し続けても幸せな未来が見えてこない気がするんですよ。新しいものを作ったり新しいテクノロジーに慣れていくことも大事かもしれないけど、それは目的じゃなくて手段じゃないですか。いつかお金持ちになったら家とか建てたいですけど(笑)、幸せの第一定義はそれだけじゃない。逆に言ったら、そうやって何かモノを手に入れ続けるのが幸せだとしてしまうと、家を建てた後には何を買わなくちゃいけないの? ってことになるんです。それじゃあもう、キリがないですよ。

やっぱり自分にとっての幸福は度数や比較や物量で量れるものじゃないし、それぞれの幸福の在り方がそこに集まっていて、同じように息をしているっていうことこそが面白いんです。それが僕の思う「表現の交換」なんですよね。EGO-WRAPPIN’のライブを観るのも、苫小牧でクロゴメさんが作ってる開運ラーメンっていうめちゃくちゃうまいヴィーガンラーメンを食べるのも、苫小牧で体験するためにかかるお金は違うけど、得られる幸せの方向は同じだと思うから。その「同じ」という感覚は、さっき言った自分の表現とイデオロギーと街の暮らしが融解していった感じに近しいんですけど。あくまで個人の幸福、生活の表現がそこにあるっていうのは、オルタナティブやパンクっていう言葉を知らなくても理解できることのはずだから。そこにスッと置いておけば、誰もが勝手に触れられる1日にしたい。キュレーションは僕ではあるけど、自由に遊ぶ上では僕の顔なんて必要ないし。

苫小牧で人と人が連鎖して自治が生まれる。そういう連帯が生まれれば、それ以上のカウンターはないんじゃないかなって。

ー人って面白いもので、ルールじゃなくて信頼を手渡したほうが、それぞれに自治と自助を生み出してくれますよね。それはつまり誰も神輿に乗っかっていない状態であり、ピラミッド型のヒエラルキーじゃなくて円のユニティであって。今最も必要なものだなって思います。

加藤:そうなんですよね。結局、誰かが神輿に乗るような構造を作るよりも、お互い「頼んだよ」って言えるかどうかに尽きると思うんですよ。あまりにも理想系すぎるかもしれないけど、一人ひとりがこれは自分のために用意されてるな、自分のやるべきことだなって思えたらピラミッドの勾配がどんどんなくなっていって気づいたらフラットな円の状態になるっていう。これはいくらですっていう値段がついていて、それを払わないと手に入れられないっていうのとは違って。人と人の間にできる特有のマナーや信頼を交換し合えるっていうのが理想なんです。

ーたとえば俺が自分の家で作った野菜を加藤さんにお裾分けしたら、加藤さんがそのお礼で1曲歌ってくれたとする。それを聴いた俺は心が潤って、また生活に戻っていく、みたいな。手渡せるもの、できることが違うからこそ、それが連鎖して生活になっていく、みたいなことですよね。

加藤:そうそう。お金やシステムだってもちろん大事だけど、それ以前にそういう交換が連鎖していくといいなと思う。自分にできること、自分が培ってきたものを交換し合う。人の受け取り方、人の渡し方を側で体感する。それがさらに連鎖する。それらが重なって交換すること自体が一つの形を成していく。それが文化だと思うんですよ。やっぱりね、人が集まることの素晴らしさって、お互いを見合っていることだと思うんです。SNSの監視的なものとは真逆の、FAHDAYは大きな市場なんで、みんなが円形になってお互いがお互いのことを見て、歓び合うっていうことですよね。で、俺は草葉の陰からそれを見ていたい(笑)。

ーあくまで「主催者」じゃなくて「ひとり」で在りたいと。

加藤:そうですね、それが凄く大事だと思います。

ー先ほどは「メッセージよりも、楽しさと歓びが先にあるアクションは初めてなんじゃないか」という言い方をしましたが、とはいえ、ピラミッド型の集権的な構造、人を括る仕組みばかりが加速している現代に対して、カウンター意識を持っているイベントでもあるんですか。

加藤:かなり強烈なカウンターのつもりです。苫小牧の再開発は自分にとって差し迫った問題ですけど、そういう問題は日本の誰しもが抱えているものでもあるじゃないですか。人間と街の順番を間違えた開発ばかりだし、何を大事にして街は作られるべきかっていうことが、ちぐはぐな現状に対する僕なりの楔であることは間違いない。
100%楽しいと言ってくれる人が沢山集まって欲しい反面、ヒヤッとする人がいればいいと思っている。ただ、それは声を大にして第一に言いたいことではなくて、これが俺のカウンターなんだ! って思いながらカレー食ってて欲しいわけではない(笑)。バラバラでいいし、あるいは部分一致くらいでいいんです。ちょっとでもわかるぜって言い合える緩やかな連帯があって、街のみんなで当たり前に続けてきたいつも通りの営みの延長線上で楽しいパーティーになればいい。大都市でもなんでもない苫小牧で、自然に人と人が連鎖して自治が生まれる。そういう連帯が生まれたら、それ以上のカウンターはないんじゃないかなっていう気がするんですよね。

ー支配したい連中、管理したいヤツらからすると、一番気に食わないことが起こるっていうことですからね。システムの行き届かない村ができて、そこで楽しい自治が生まれていくっていう。

加藤:そうそう。もちろん原則はしっかり設定すべきだとは思いますけどね。そこから外れないのであれば、それぞれに広げてくださいっていうだけ。完全一致よりも部分一致のほうが広がりが大きいし、カラフルじゃないですか。そういうものを見てみたいし、自分は構造を作るつもりはなくて、少しの水の流れをつけるだけだと思ってるので。僕は僕で、ひとりの人間として参加するだけだと思ってますね。

ー別に赤レンジャーになりたいんじゃなくて、俺もあなたもひとりの人間なんだっていう当たり前を貫いている。そこにこそ強烈な主張があると思います。

加藤:根本は変わらないですよね。ただ、今回のように何かを主催したり、先日のNHKのドキュメンタリー(※)みたいなもので取り上げられるということは、それがどれだけ小さくても集権的構造の頂点になりうるから、そういうことは拒否しないといけない。そんな構造になった瞬間に、僕がやりたいこととは真逆になってしまうから。

参考記事:NOT WONK加藤の密着特集がNHK総合・北海道で放送、地元・苫小牧に拘る理由に迫る(NiEW)

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