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苫小牧で人と人が連鎖して自治が生まれる。そういう連帯が生まれれば、それ以上のカウンターはないんじゃないかなって。
ー人って面白いもので、ルールじゃなくて信頼を手渡したほうが、それぞれに自治と自助を生み出してくれますよね。それはつまり誰も神輿に乗っかっていない状態であり、ピラミッド型のヒエラルキーじゃなくて円のユニティであって。今最も必要なものだなって思います。
加藤:そうなんですよね。結局、誰かが神輿に乗るような構造を作るよりも、お互い「頼んだよ」って言えるかどうかに尽きると思うんですよ。あまりにも理想系すぎるかもしれないけど、一人ひとりがこれは自分のために用意されてるな、自分のやるべきことだなって思えたらピラミッドの勾配がどんどんなくなっていって気づいたらフラットな円の状態になるっていう。これはいくらですっていう値段がついていて、それを払わないと手に入れられないっていうのとは違って。人と人の間にできる特有のマナーや信頼を交換し合えるっていうのが理想なんです。
ーたとえば俺が自分の家で作った野菜を加藤さんにお裾分けしたら、加藤さんがそのお礼で1曲歌ってくれたとする。それを聴いた俺は心が潤って、また生活に戻っていく、みたいな。手渡せるもの、できることが違うからこそ、それが連鎖して生活になっていく、みたいなことですよね。
加藤:そうそう。お金やシステムだってもちろん大事だけど、それ以前にそういう交換が連鎖していくといいなと思う。自分にできること、自分が培ってきたものを交換し合う。人の受け取り方、人の渡し方を側で体感する。それがさらに連鎖する。それらが重なって交換すること自体が一つの形を成していく。それが文化だと思うんですよ。やっぱりね、人が集まることの素晴らしさって、お互いを見合っていることだと思うんです。SNSの監視的なものとは真逆の、FAHDAYは大きな市場なんで、みんなが円形になってお互いがお互いのことを見て、歓び合うっていうことですよね。で、俺は草葉の陰からそれを見ていたい(笑)。

ーあくまで「主催者」じゃなくて「ひとり」で在りたいと。
加藤:そうですね、それが凄く大事だと思います。
ー先ほどは「メッセージよりも、楽しさと歓びが先にあるアクションは初めてなんじゃないか」という言い方をしましたが、とはいえ、ピラミッド型の集権的な構造、人を括る仕組みばかりが加速している現代に対して、カウンター意識を持っているイベントでもあるんですか。
加藤:かなり強烈なカウンターのつもりです。苫小牧の再開発は自分にとって差し迫った問題ですけど、そういう問題は日本の誰しもが抱えているものでもあるじゃないですか。人間と街の順番を間違えた開発ばかりだし、何を大事にして街は作られるべきかっていうことが、ちぐはぐな現状に対する僕なりの楔であることは間違いない。
100%楽しいと言ってくれる人が沢山集まって欲しい反面、ヒヤッとする人がいればいいと思っている。ただ、それは声を大にして第一に言いたいことではなくて、これが俺のカウンターなんだ! って思いながらカレー食ってて欲しいわけではない(笑)。バラバラでいいし、あるいは部分一致くらいでいいんです。ちょっとでもわかるぜって言い合える緩やかな連帯があって、街のみんなで当たり前に続けてきたいつも通りの営みの延長線上で楽しいパーティーになればいい。大都市でもなんでもない苫小牧で、自然に人と人が連鎖して自治が生まれる。そういう連帯が生まれたら、それ以上のカウンターはないんじゃないかなっていう気がするんですよね。

ー支配したい連中、管理したいヤツらからすると、一番気に食わないことが起こるっていうことですからね。システムの行き届かない村ができて、そこで楽しい自治が生まれていくっていう。
加藤:そうそう。もちろん原則はしっかり設定すべきだとは思いますけどね。そこから外れないのであれば、それぞれに広げてくださいっていうだけ。完全一致よりも部分一致のほうが広がりが大きいし、カラフルじゃないですか。そういうものを見てみたいし、自分は構造を作るつもりはなくて、少しの水の流れをつけるだけだと思ってるので。僕は僕で、ひとりの人間として参加するだけだと思ってますね。
ー別に赤レンジャーになりたいんじゃなくて、俺もあなたもひとりの人間なんだっていう当たり前を貫いている。そこにこそ強烈な主張があると思います。
加藤:根本は変わらないですよね。ただ、今回のように何かを主催したり、先日のNHKのドキュメンタリー(※)みたいなもので取り上げられるということは、それがどれだけ小さくても集権的構造の頂点になりうるから、そういうことは拒否しないといけない。そんな構造になった瞬間に、僕がやりたいこととは真逆になってしまうから。