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アキ・カウリスマキ映画を解説。物質主義社会の片隅で生きる人々の居場所を描き続ける

2023.12.15

#MOVIE

理想郷への逃走から、逞しく根を張る映画へ。『浮き雲』から生じた変化

しかしわたしは、『マッチ工場の少女』から『枯れ葉』の間にあった多くの映画たちを見落とすこともできないと感じる。プロレタリアの人生を自身の映画世界に持ちこむという意味では「労働者三部作」と同様だが、『枯れ葉』にはユートピアへの逃走が描かれていないからだ。それは、カウリスマキがその30年の間に映画作家として重要な転機を迎えたことと関係している。

もしアキ・カウリスマキの映画を観たことがないという方に『枯れ葉』を観る前に観賞すべき作品として「労働者三部作」以外にわたしがもう1本推薦するとすれば、迷うことなく『浮き雲』(1996年)を挙げる。『マッチ工場の少女』のあと、まさにフィンランドから旅立つように舞台を国外に移した『コントラクト・キラー』(1990年)、『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992年)を経て、批評的に失敗した『レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う』(1994年)とノスタルジックな小品ではあるが古典映画を愛するシネアストという出自に立ち返るかのようだった『愛しのタチアナ』(1994年)を挟みつつ、現代フィンランドの映画作家として渾身の想いで作り上げた傑作だ。また、カウリスマキが本作とのちの『過去のない男』(2002年)、『街のあかり』(2006年)の3作を併せて「敗者三部作」としていることを考えても、そのキャリアにおいて重要なターニングポイントだったと見なせるだろう。

『浮き雲』場面写真 / ©Sputonik OY

もちろん『浮き雲』の主人公も労働者だ。由緒あるレストランで働くイロナと夫で市電の運転士のラウリは、同じ時期に失業してしまう。深刻な不況のなかで夫婦はなかなか再就職先を見つけられず、それどころかラウリはカジノで持ち金すべてをスッてしまう始末。しかしひょんなことからイロナは自身がオーナーとなって、かつての仲間たちと新たなレストランを開店することになる。

1990年代前半、フィンランドは重要な貿易相手国だったソ連の崩壊によって深刻な経済危機に陥り多くの失業者を出している。『浮き雲』は当時のそうした社会状況をダイレクトに反映した作品であり、そして何より重要なことに、カウリスマキは登場人物を「ここではないどこか」へ旅出せなかった。その場所で逞しく生き続けることをついに力強く肯定したのだ。

『マッチ工場の少女』のあと国外で映画制作をしたことにより、カウリスマキはフィンランドの外に「ユートピア」など存在しないと身を持って感じたのかもしれない。しかしそれ以上に、故郷で不況にあえぐ労働者を見つめるほどに、彼らが地に足をつけて生きる場所をせめて映画のなかに作り上げたかったのではないか。『浮き雲』の終盤で、イロナがオープンするレストランの名前は「職」だ。彼女が生きるための場所は、労働者の誇りとしての「職」である。

『浮き雲』はまた、自立した女性を明確に描いた作品でもある。当初はカウリスマキ映画の顔であるマッティ・ペロンパーを主役に想定していたが、彼が1995年に44歳の若さで急逝したことにより、もう1人のカウリスマキ作品の顔カティ・オウティネンが主演を務めることになった。彼女が扮するイロナは良質なレストランで長年勤め上げた誇り高き労働者であり、夫ラウリと支え合いながらも彼の収入に依存していない。さらには夫婦が失職したのちは、妻が主導して新たな収入源を生み出していく。奇しくも、貧しい暮らしからの脱出のために金持ちの男に頼ろうとしていた『マッチ工場の少女』でオウティネンが演じた主人公とは対照的なキャラクターだ。

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