31歳になった今年は、映画『BLUE GIANT』での活躍も大きな話題になったジャズドラマー・石若駿。12歳にして日野皓正のライブにゲスト出演し、東京藝術大学の器楽科打楽器専攻を首席で卒業するなどジャズやアカデミックな音楽シーンでは10代の頃から注目を集めていた存在であり、最近では椎名林檎、星野源、米津玄師などポップフィールドにも破竹の勢いで軸足を伸ばし続けている。
彼に驚かされるのは、そのプレイにとどまらない。一体いつ寝ているのかと心配になるほど、有名無名を問わず数多くのアーティストの現場でプレイを続ける仕事量――そのフットワークの軽さも尋常ではないのだ。世代やジャンルを超え、レコーディング現場でもライブ会場でも、求められる以上のパフォーマンスを常に提供する彼の無尽蔵なポテンシャルは一体どこから来るのか。成長し続ける石若駿というプレイヤーのチャレンジ精神に迫った。
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コロナ禍に築き上げた関係性が花ひらいた2023年
─まずは石若さんの、今年の主な動向をお聞かせください。絢香さんの全国ツアー『Funtale Tour 2023』に参加することになったのは、どんな経緯だったのでしょうか。
石若駿:確かコロナ前だったと思うんですけど、今回のツアーも一緒に回ったキーボード奏者・河野圭さんに呼ばれて行った先が絢香さんのレコーディング現場だったんです。2020年1月とかだったかな。そこからコロナ禍に突入するのですが、ライブをすることができなくなってもレコーディングだけは行われていたんですよね。ステイホーム中も、動ける人たちは密かに集まっていて。そういう状況下で、河野さんにはたくさん仕事をいただいたんです。
河野さんは宇多田ヒカルさんをはじめ、いろいろなプロデュースをされて、例えばきのこ帝国の佐藤千亜妃さんのアルバムを一緒にやらせてもらうなど、大先輩ですが「ブラザー」みたいな感じで仲良くさせていただいていて。そういう関係性をコロナ禍で築き上げ、コロナがひと段落してようやく自由に動き回れるようになった頃、彼がバンマスを務める絢香さんのツアーに誘ってもらったんですよね。

打楽器奏者。1992年北海道生まれ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校打楽器専攻を経て、同大学を卒業。卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞。リーダープロジェクトとして、Answer to Remember,CLNUP4,SMTK,Songbook Trioを率いる傍ら、くるり、CRCK/LCKS、Kid Fresino、君島大空、Millennium Paradeなど数多くのライブ、作品に参加。
─絢香さん本人からも、「同世代のミュージシャンとライブがやりたい」という意向があったそうですね。
石若:はい。最初は僕と河野さん、ギターの西田修大、それから僕らとの共演数の多いベースの越智俊介(CRCK/LCKS)の4人で回ることになりました。そのツアーが面白くて。絢香さんは、とにかく歌が上手い人だというのは周知の事実だと思うんですけど、ライブをすると、「ボーカリスト」と「バックバンド」が分離することが多いイメージが一般的にあると思うのです。でも集まった僕らはそういうタイプのミュージシャンではないので、同期を流しながらそれに合わせて演奏するということはなるべくせず、人力でなるべくクリックを使わずやろうというチャレンジングな現場だったんですよね。
例えば僕は、主要なバスドラ、スネア、ハイハットを電子のドラムパッドで音色を分けるのではなく、生のバスドラを3種類並べて曲ごとに音色を変えたりしました。そもそも僕は、サンプル音源を電子ドラムを用いて演奏するタイプのドラマーではないですが、今回はRolandのSPD(サンプリングパッド)を導入し、それでシンセの上モノのネタやサンプリング音源を、ドラムを叩きながら出すことを初めてしました。しかも、そういうセットを越智くんや西田くんも組んで、楽器を弾きながらパッドを操作し、同時に足元のペダルエフェクターを踏み替えるみたいな(笑)。そういうことをやりつつ、フィジカル的な演奏も自由度が高く、有機的なアンサンブルが成り立った上で、絢香さんもそれに呼応して歌っているみたいな状態ができたツアーだったんです。それが故に、毎回の緊張感が半端なかったです。ご本人も楽しそうでしたし、僕にとっても非常に新鮮な体験でした。
─コロナ禍でなかなかライブができなくなり、ライブハウスが主戦場のジャズよりも、スタジオワークの多いポップスの方が活路を見出しやすいというか。そういう意味では「コロナ禍」という状況が、石若さんをポップフィールドへと導く一つの大きなきっかけではあったのかもしれないですね。
石若:そうかもしれませんし、「なんとかして動かなきゃ」とみんなが思っていた中、そういう術を持っている人たちや、創作が止まらないアーティストとの繋がりにたまたま僕は恵まれていたなと。まあ、多くのアーティストは宅録で作品を作るなどしていたと思うし、僕自身も西田くんや角銅真実さんと結成したSongbookTrioというバンドでは、Bandcamp限定ですが4つの作品をリリースしました。いい時期だったなと思いますが、ジャズシーンではライブ配信が導入されたところが多くて、おっしゃるように有観客のライブは非常に困難でした。ツアーもたくさん中止になっちゃったし。
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椎名林檎とのSexyZone、そして米津玄師との『君たちはどう生きるか』主題歌
─椎名林檎さんが楽曲提供をした、SexyZone“本音と建前”のレコーディングにも参加しましたね。
石若:今年の春は椎名さんのデビュー25周年のツアーをやっていたので、そのメンツでレコーディングをしました。最初にデモが送られてきて、それをどうやって自分が再現していこうかな、というところから始まるんですけど、そのデモに入っているドラムのグルーヴというか「フィール」に注目するんです。ひょっとしたら、それぞれの奏者のグルーヴを想像しながら全体のデモ作りをしてくれたのかなと推測することもありますし、それを再現したらご本人も、「それがやりたかった!」とすごく喜んでくれて。アーティストが表現したいことを、こうやって具現化していく過程に携わることはやっぱり好きだなと改めて実感しました。

─一緒に仕事をしてみた椎名さんの印象は?
石若:ツアーリハの初日に初めて演奏した時、「本当に音楽が溢れているんだな」と思いました。リハを進めるにあたり、フィルインのアイデアとして、歴史的にも世界的にも偉大なドラマーを例えるなど詳細に伝えてくれることもありました。その知識の数もものすごく多いですし、他の楽器のプレイのこともめちゃ詳しい。リハの時はいつも鍵盤を傍に置いて、ハーモニーに対しては、ピアノの林正樹さんに「ここのコードはボイシングがこうで」みたいなことを、ご自身でで弾きながら伝えていました。
ステージングや演出に関しても、僕らサポートメンバーのアクセサリーから靴まで全て細かくディレクションされていました。そこにも感銘を受けたし、関わる人がみんな椎名さんを尊敬する理由もよくわかりましたね。
─石若さんの最近のワークで驚いたものの一つは、宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』の主題歌になった米津玄師の“地球儀”です。映画の公開までアナウンスされませんでしたが、実際の楽曲制作やレコーディングはどのように進められたのでしょうか。
石若:いやもう、僕自身も映画の公開直前まで知りませんでした。Twitterを見て「あれえ? もしかしてあの曲かな!?」みたいな感じでした。
─そんな感じだったんですか(笑)。
石若:レコーディングの時も「米津さんの新しいアルバムに入る1曲なのだろうな」と思いながら、いつも通りスタジオへ行って楽しくドラムレコーディングして。「お疲れ様でした、ありがとうございました! セッティングをバラします!」って言って帰ってそのままいつリリースされるのか、どんなプレイをしたか忘れていたからびっくりしました。「ジ、ジブリ〜?」って。
─あははは。
石若:「言ってよ〜」とは当然思いますよね(笑)。でも、最初にもし知らされていたら「自分が思うジブリ感、出さなきゃ駄目かな」とか余計なことを考えちゃったかもしれない。結果的に、すごく自然体の演奏が残せたのは良かったと思っています。

─米津さんの制作現場はどんな感じですか?
石若:アレンジャーの坂東祐大さんがいる時に僕は呼ばれることが多いです。というのも、坂東さんは高校時代(東京芸術大学 音楽学部附属音楽高等学校)の先輩で。学校でも、彼が作曲した現代音楽の作品に打楽器奏者として関わることがありました。一緒にカラオケや映画を観に行くくらい仲が良かったし、その時の活動があって今こうやってポップフィールドの最前線で一緒にやれているというのも、僕にとっては感慨深いものがありますね。
最初に米津さんの“感電”(2020年)という曲で叩いたときもでしたが、米津さんの現場は予期せぬミラクルが起きて、それが面白いことになるのでいつもワクワクしますね。「今日は何が起きるんだろう?」って。
坂東さんってすごいんですよ。現代音楽作曲家としての凄まじい賞を獲った上で皆さんの耳馴染みの深いようなヒップな活動もなさっているので、無双状態なのかなと思います。
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