「ネオ風街」。東京・吉祥寺を拠点に活動する4人組バンドであるグソクムズは、このように称されている。「風街」とは、ロックバンドはっぴいえんどがセカンドアルバム『風街ろまん』で作り上げた架空の街の名前。1964年の東京オリンピックの開催は、日本が高度経済成長の最中にあることを告げ、開発と近代化が急速に進行する日本は、同時に古き良き自身の姿を喪失した。1971年にリリースされた『風街ろまん』で建設されたこの不可視の街は、そんな失われた街の姿を映し出していた。
1971年から半世紀が経過した現在。はっぴいえんどから影響を受けたグソクムズは、新たな「風街」を建設しようとしているように思う。そこで本稿では、はっぴいえんどとグソクムズ、彼らが作り上げた、また作り上げようとしている「街」とは何なのかを考えていく。
INDEX
グソクムズの「ネオ風街」はいかにして建設されたのか?
はっぴいえんどが作り上げた「風街」は架空の街であり、天空の城のように、私たちの前には姿を現さない。それは「風街」が、客観的な描写を用いながら、ノスタルジーを歌ったものであるためだ。一方で、グソクムズの「ネオ風街」は、架空ではなく、今の私たちが生きている実在の街を、具体的な描写をもとに描き出していく。そして、グソクムズの街を描いた主観的な描写は、リスナーそれぞれが思い描く「街」へと普遍性を帯びていく。
シンガーソングライターの米山ミサによるソロプロジェクト、浮(ぶい)とのコラボレーション楽曲”暮らし的“はその一例だ。この楽曲は、吉祥寺のライブハウス曼荼羅にてレコーディングされ、ジャケットも井の頭公園の風景が使用されており、彼らが活動する吉祥寺という街への愛着や、街の温もりを感じ取ることができる。公園の水面が光り輝く姿や、夕方五時のチャイムが鳴る頃の、迫るような夕陽に包まれた真っ赤な街。そんな風景が、瞼の裏に浮かんでくるのだ。
私たちは、彼らの音楽を通じて、吉祥寺という街に誘われていく。街を案内される。そして、吉祥寺を案内された私たちは、自身の故郷に思いをはせることにもなるだろう。どこかの街へと旅するということは、自分の街と離れるということでもあるからだ。
グソクムズの音楽を聴いたときに感じてしまう懐かしさは、それぞれが描く「故郷」の心象風景――例えば、駅の周囲に高層ビルが立ち並ぶ一方で、駅から離れれば田園が広がる小さな街のような姿であり、都会性と田舎性が混ざり合った街の姿――へと転化する。
こうしたグソクムズの特徴は、5月24日から4カ月連続でリリースされている、「旅」をテーマに作られた楽曲群にも表出している。私たちをグソクムズの街・吉祥寺へ案内してきた彼らは、今度は私たちとともに旅にでる。それは、グソクムズ自身が吉祥寺という街を相対化する旅路であると同時に、吉祥寺へと思いをはせる道でもあるだろう。私たちは彼らとの旅の中で、今まで通りに、いやそれ以上に自身の街を思うのかもしれない。
このように「私の街」を歌うグソクムズに我々が自己を投影する一因には、彼らの歌が一人称(わたし)または二人称(あなた)で綴られる、主観的な表現を用いていることもあると考えられる。「わたし」を語った小説や映画に、感情移入してしまう経験を持っている読者も多いはずだが、主観的に描かれた物語は、時として私の物語になるのはセオリーでもある。